生命の講座 第三講義VOL2 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

創価学会の中の同和チームと在日チーム
心無い電磁波攻撃を受け続けているようです。
語りかけの人間達が教えてくれました。



何でも同和チームの人間達が
在日チームの人間達のいる時に私を怒らせて


私の印象を悪くする事で在日関係者の私への攻撃の手を

強めようとしていたという事です。


朝から晩まで延々と電磁波の効果が続くため、
そして私の行動や食事の内容をも利用しては
延々とそれを悪い効果にするよう仕向けてくるために
私は気の休まる暇がありません。


2014年11月19日 17:26

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質問にお答えしますね。


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旧約聖書にあるように、本当に困ったときには
神が天からパンを降らせてくれるから心配するな、
ということなのかなと勝手に想像しました。


そこで久しぶりに聖書を開いてみました。


「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか」、


「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。


この世で自分が生きていくために食べ物のことばかり考えるのではなく、
永遠の命を得るために、まず創造主の法を学び実践しなさい、
ということなのでしょうか。

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今の私がうまく説明するのは大変なので
過去の記事からの一部引用してお答えしますね。

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其の例え話の中ではアダムスキーは不幸になりました。


教会を破門され、人間社会では買い物をすることも出来なくなり
まともに相手をしてくれる人間はいない状態にされたからです。


しかし創造主はアダムスキーを見捨てませんでした。


教会に悪人とされても、アダムスキーは創造主の法を
無視して生きていたわけではないからです。


人の社会を追い出された後も、


自然環境はアダムスキーに水や食料を与え続け
彼を養う事になりましたし


人間環境から離れていたことで
以前にもまして健康になることにもなりました。


教会の権威が「裏切り者は誰だ!
アダムスキーに餌をやったのは誰だ”」
と騒ぎ立てても当然犯人は見つかりませんでした。


創造主の法がアダムスキーに糧を与えてくれていた。


教会を裏切ったのは創造主だったわけです。


あの例え話の中では、教会とされていた存在は
この地球社会の支配者そのものだと思います。


アダムスキーは妙な烙印を押されたことで
人々の社会の中では売ることも買うことも
一杯の水をもらうことさえ出来なくされていました。


しかしアダムスキーは創造主の法を
無視して生きていたわけではなかったので、
創造主の意志がアダムスキーを導いてそれを生かし続けました。


今のこの社会の中では、このような例え話は現実的ではないでしょうが
この話は平和な社会であればそれが正しいことを身をもって
体験できると思いますし


少なくともこの例え話は、
創造主の法が私達にどんな影響を及ぼしているかを
示していると思います。


本来の自然環境、人間の住むべき環境の元では
私達は創造主の法に従うことで
其の生のための生活環境を確保されることになるのだと言うことです。

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ここまで過去の記事の引用です。


創造主の法に従う生命体はその法則によって生かされる。


其の例えがイエスの語った鳥の話でもあったはずです。


「自ら撒く事も刈る事も無いのに神はそんな鳥をも
養ってくれている、ましては神が一番期待している人間が
其の恩恵にあずかれない訳が無い。」


そういう趣旨だと理解ください。


少なくとも2000年前の社会であれば
それが例え話として妥当だと判断し
イエスキリストはそう語ったのだと思います。


そして恐らくはこれも真理です。


ただ、パンに関してはモーセの時代に
マナなる物が天から降り注ぎ


移動中のヘブライ人達はそれを食べる事で
生き延びたという話がありました。


それを演出したのが天使達である事は
言うまでもありません。

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「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
寿命をわずかでも延ばすことができようか」、

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これは私達がいくら自らの文明や社会を誇ろうと
私達は白髪を黒くする事は出来ない(白髪染があるなどといわないように)


自分の命を延ばすことも出来ない。


つまりは老いや老化含めて
神の法則の前では無力な人間であるという事を
示した言葉です。


私達は、人間がとても偉い生命体であり
他の生物とは違うのだと勘違いしていますが
結局は神の被造物に過ぎず、


神の摂理の元それに逆らって生きるなら
決して自分の望むような生き方は出来ない存在です。


(勿論一度きりの人生を送っているつもりなら
望む生き方も可能でしょうが)


思い悩んでも何も変えられないし
負の想念を垂れ流すだけですし


長い人生を考えた時に真理を理解し
其れを実践する事の方が
私達には良い影響を齎す事になる。


イエスは其れに触れていたのだと思います。


何度も繰り返しますが
私や兄弟姉妹にとってこの社会での生は
永遠の中のほんの一瞬にしか過ぎません。


肉体などいずれかならず朽ち果てて
その後は再び土(元素)になるのです。


心=肉の求める心地良さばかりに執着して
そんな滅び行くフォームに執着して
それが私達にとって一体何になるのかという事です。


まして永遠を理解できる人間にとっては
この社会での数年の寿命の延長など
何の価値もないということ。


健全な肉体と健全な精神を保った状態で
生きている時こそ、私達は真理を実践できるのであって


肉に拘る其の意識は私達にとっては誤りであるという事を
イエスキリストはここで表現したのだと言えます。


どんな時であっても私達が意識すべきは肉(心)ではなくて御霊(魂)である


イエスキリストは何よりもこの事を
私達に告げたかったのだと思います。


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生命の講座 第三講義VOL2


アダムスキーの例とは少し異なりますが
TVを例として触れておきたい事があります。


私達の感覚器官としての魂が
一体どのような役目を果たしているのかと言う事についてです。


私達が魂を持って受け止める事になる想念=思念波は
エネルギー体でもありました。


それは私達が思考するたびに全身から放射線状に放たれて
辺り一帯に蔓延する事になります。


その想念を無自覚に受け止めているのが私達の魂なのですが
これはTvとその電波との関係にも酷似しています。


私達が無自覚なだけで私達の周囲には多くの電波が飛び交っているのです。


それは独自の周波数帯を持って存在し、例え私達人間には感じる事が出来なくても
TV受像機はその電波を受止めて其れを再現している事を私達は理解しています。


TV局においてTVカメラとマイクを持って撮影し、編集されたそれらの情報は
電波と言う形に変換されては日本中へと送り届けられています。


それは勿論、私達の目には見えませんし
通常私達はその存在を認識する事も出来ません。


しかしながら、私達がもしもその周波数帯を受け止めて
更に脳内で再現できる能力を持っていれば
私達はTVの電波の存在に気がつく事にもなります。


長い目で見れば実は私達の脳機能は
そんな能力をも秘めているようです。


つまりその辺を歩いていて、TV電波を受止めて

「今日はニュースでこんな話をやっているな」
と認識する事もできるようになると言う話です。


しかし少なくとも今の私達には未だそれは不可能です


それは私達の魂が受け止める事の出来る波動や周波数帯が
限られていると言う事、更にはそれを再現する機能が
私達の脳では今は未だ整備されていないからです。


では何故にTVではそれが実行可能なのか?


言うまでもなくTVにはTV局各社が発している特定の周波数帯の
電波を受け止める能力が備わっているからであり


それを映像や音声として再現できる機能が
備わっているからです。


TV局の電波と言っても周波数帯が異なるわけですが
TVはそれらを全て受け止める事も出来ます。
(アンテナの事は無視してください)


この事でTVの受け止める事の出来る電波の周波数帯は
広い範囲である事も想像つきますし


受止めた電波を再現する機能を持っているから
TVはそれを実現出来ている事にもなります。


つまりは私達がテレパシーを使用するためには
特定の周波数帯を受止めるための能力が
必要だという事になります。


そして其れを意識する事も私達には必要なのです。


別の例で表現してみます。


特定の周波数帯を受け止める事に関して、
テレパシー能力の高い天使達を、ビルの屋上にいる人間に例えると
私達は地べたを歩いている人間に例える事が出来ます。


例えば地べたを歩いている私達は
目の前で事故が起きたとか
近くで火事が起きたという事を知れば


それにすぐさま反応する事になります。


其れに対して不安や恐怖を感じる事になりますし
そのために本来まっすぐに進もうとしていたのを
回り道をする事になるかもしれません。


直ぐにでも目的地に行かねば成らないのに
火事の現場を眺める続けるかもしれません。


目の前の事象に対して影響を直撃され
しかも通常視界に映るのは前方や
足元だと思います。


しかし屋上で眺めている人間は
其れらを見下ろしては客観的に判断する事ができますし
物理的な影響は少ないはずです。


地べたを歩いている私達は視界も狭く
意識も特定方向にしか向ける事が出来ません。


しかしビルの上にいる人間であれば
真下を眺める事も出来ますし
水平方向を見れば遥か彼方まで眺める事も可能です。


其の上に精神的なゆとりがある人間は空を見上げる事もあります。


この例えは私達地球社会の人間は
特定の低い意識の波動ばかりを受止めて
其れによって他人の想念の影響を直撃されている存在であるという事。


更には其の事を自覚できない存在だと言う事を
示しています。


天使達であれば例え同じ想念を受止めても
それを冷静に受止め影響を受けないでいる事が出来ます。


しかも彼らは私達社会の波動ばかりではなくて
同じ天使達の社会の波動を受止めますし


時にはしっかりと天を見据え(例えです)
創造主の意識をも感じようと勤めます。


つまり私達は同じような意識の波動、似たような想念ばかりを
受止めているだけですが、


天使たちは幅広い想念を受け止める事が可能だと言う事です。


しかも彼らは良くない想念を受止めた時には
其の悪影響を避ける事も出来るわけです。


テレパシー能力に関して
自覚して其れを応用している人間と
無自覚で生きている人間とでは


それほどの違いが出てくるのだと言う事を
理解して下さい。


人間は想念的な生き物である、


そして想うことなくして生きている事も出来ない。


その事を考えても、私達にとって如何に想念
そしてテレパシーを理解する事が大切かが
解るかと思います。


永遠への地道な一歩はテレパシーから。

そしてテレパシーの第一歩は三次元と四次元の理解からです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】