生命の講座 第二講座 VOL7 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



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ユダヤの傀儡たちがこぞって私に死ねと語りかけてきます。



出来るものならそうしたくて何度も食事絶ちもしましたが

中途半端に暗示をかけられエゴをつけられては

結局は息絶える事が出来ずにいます。


そんな私がおとなしく室内でゲームをしたり

漫画を読んでおとなしくいてさえ

この人間たちの私への復讐は止まりません。


言ってみればユダヤの呪いそのものです。




私は生殺しの状態で今辛うじて生きている状態です。


この連中の恐ろしさを身を持って体験しているところです。


複数組織が私に関与してはお互いを悪者扱いしては

主犯が誰であるかも隠しながらひたすら私を苦しめ続けています。



怒りを起こさせるためにあらゆる関与をしたうえで

怒れば其れが気に入らないと攻撃を強化する。



共通している事はどうやら皆が

ユダヤの傀儡、若しくは其の実態に気が付き恐れている人間たちだと言う事。


さっきまで出すかどうかと我慢していた記事を

漸くだす気になりました。


今は創価学会が私を攻撃していると

音声送信の語りかけが言うので

其の前提で触れておきたい事があります。



まず最初にこの記事は、私が意図的にマインドコントロールされて
出す気になったことに触れておきます。


私に対して心無い行為を繰り返しているのは
創価学会の中の一部の人間達の様です。


私と妻を電磁波刺激で絞め殺すとか窒息させると言う暗示も
頻繁に受けていますし、


私が記事を書く気になったのは仲間を集めて、
それを実行させるためなのかも知れませんし、


そうでなければ別の人間達が
私が記事を出す事が私達を守る事になると考えたためなのかも知れません。


いずれにしても、私の脳機能を勝手にコントロールしている人間達が
私を意図的に怒らせて出すのを止めていた記事を出させたわけです。


何故に私が記事を公開するのを止めたかと言えば
私が世界支配層と言っている人間達の傀儡が、私に暗示で


「世界はこれから良くなるし
黙っておとなしくしていれば普通に暮らすことも可能だ」


と語りかけ続けていたからです。


私は自分が語る事がこの社会を却って混乱させるかもしれない
可能性を意識して、それを止めるべきだと考えました。


しかし最後に精神記事を出した後の世界は
今一体どうなっているでしょうか?


私が想像していた通り、世界各地で民族闘争や思想活動の混乱は極め
イスラム世界は悪者に仕立て上げられて、


独自の国家を作り上げては、世界の支配層の目の敵にされていますし、
おまけに脅威の伝染病が世界にむけて放たれそうな勢いです。


全ては私が予想していた通りになっています。


おまけに私達夫婦の置かれている立場も決して改善されていませんし
最近は再び悪化の傾向にもあります。


と言う事は決して日本の中も世界も良くは成ってはいないと言う事です。


それどころか混乱に拍車をかけた状態が続き、
世界は最悪の方向にさえ向かっているように思えます。


私は記事の反響で自分の状態がどうなるかを
確認する事にします。


その結果次第では、私は残りの生命をかけて
記事をつづる事になるかもしれません。


私の脳機能は、関与のされ方次第では、
何時止まってもおかしくないような状況にあります。


私の周囲に取り巻く、若しくは訪れてくる人間達の手によって、
そこまで壊されているのです。


それを理解した上で、この社会の支配者層が決して語らない、
そして私達が知るべき真理の欠片を
語ってやりたいとも考えています。


今これを書いている最中も
妻を人質にしては私に公開を止めるよう
語りかけが頻繁に聞こえてきています。


この社会が今後どうなるかは残念ながら
先が見えかかっている気がします。


ただ、其の中で一つでも多くの魂を救う事ができれば、


そして人としての真の生き方を
理解して実践して貰えるように出来ればと願い
自分の命の灯し火を記事に変えていければ良いなと考えています。


これは従来の私の姿勢そのままです。


そして私は”今現在”だけは洗脳効果から
開放された状態にあります。


其の状態で書いた記事である事を先ずは触れておきます。


内容は短いですが参考にして下さい。



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第二講座  VOL7
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通常私達は魂の意識を無視して生きています。


感覚器官にしても、それを使用しては好きと嫌いを作り上げては
それを持って分割や不快なものを自ら作り上げています。


そして心のエゴを持って作り上げたその分割意識が
時には私達の心を不快にするのです。


先述の人間関係を考えてみても、現象にしてみても
もしも私達が嫌いなものを大量に作り上げたとしたら
どんな状況に置かれるかを思考してみれば良いのです。


不快な現象や人間に出くわすたびに
私達の心は乱れる事にもなるはずです。


そしてそれが続けば今度は其の事がストレスや
苛つきの原因にもなります。


皮肉な事に、私達はそのような状況になって初めて
神頼みをしようと意識する事もあります。


自らが魂を無視してエゴによって導かれた結果
不快なものを大量に作り上げ、


それに耐え切れなくなった時に
初めて神を意識するという非生産的な行為を
私達は続けているのかもしれません。


元々が心ばかりを意識している人間が
魂の意識を簡単に受け止める事も出来ず


結果として自分が作り上げた不快な状況を
自ら改善する事も出来なくなり


時には宗教という、真理へのきっかけを
求める事にも繋がるのだと思います。


この社会における宗教が時には創造主への法への
橋渡しをしている事も確かです。


ただ、其の宗教の全てが私達の真理への橋渡しを
しているわけではないのです。


現に世界では宗教が多くの争いごとを作り上げては
民族闘争や紛争の原因にもなっています。


それは彼らが単に知識としての思想ばかりを重視していて
自分達の行動は思想には伴なっていないからだと思います。


心は自分が不快な想いをする事を嫌います。


そして心のあり方は得てして独断的で傲慢で、身勝手だと思います。


しかし私達は自分の価値観を絶対的であると
誰もが信じて行動していますし、
其の価値観を否定される事を嫌うのです。


そして私達の心は誤りを認める事だって嫌うはずです。


しかし私達は本来は謙虚な気持ちを持って
何事をも見つめる事が求められていると思います。


赤子のような、幼子のような心を持って正しい事は正しいと認め
誤った事に関してはそれを訂正するそんな意識が大切だという事です。


心の先入観や誤った価値観が
真理を理解する事を妨げる事もある。


私達は其の事をも意識すべきです。

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P。S。


私達の社会は価値観の多様化した社会だと言われます。


そして其れが当たり前だと言う意識すら、
私達にとっての新しい価値観になっていると思います。


一方では価値観を無理やり統一させるような流れもあります。


思想や教育においてです。


そんな社会だからこそ、異なったものに憤りを感じたり
それを裁こうと言う意識にもなるのでしょうし、


逆に本当は道徳的に誤った価値観であろうと、
それを見てみぬ振りをする
そんな人間も増えるのだと思います。


自らの価値観は他人に押し付けるものではないと言う点においては
価値観の多様化は否定できません。


そして正しい価値観であれば、それを共通認識して欲しいと
言う意味では価値観の統一化も否定できません。


しかしこの社会の中では両者の悪い側面ばかりが私達の価値となっており
それは争いの原因でしかありませんし、


「君子危うきに近寄らず」の意識の形成にしか
役立っていないと思います。


人間同士がお互いを理解しあうには
価値観の共通性こそを意識してお互いが妥協しあう


そして異なる面に関しては時には自分も他人から学び、
間違いはお互いが協力して更正していく、
そんな姿勢こそが大切なはずです。


しかし、この社会では価値観成るものが、
自分の心のエゴの満足と独自の知識と能力を過大評価に置き換えられているからこそ
混乱に満ちているのだと思います。


そして私達は当初から向いている方向さえ違うのではないでしょうか。


そう言えば、教育の場では虐めが問題になり
それに対処するために再び”道徳”が教科として
取り上げられそうな気配があります。


私の時代には当たり前であった、
子供にとって一番大切である心の教育を、


一時は学歴社会が教育の場から奪ったようですが
それが復活する事は素晴らしいと思います。


しかし一方では教育を受けるべきなのは子供よりも
むしろ成人している私達大人である事をも
触れておきたいと思います。


年齢は成人とされていても
子供よりも遥かに濁った精神をしていて
誤った価値観に捉われている。


それが私達の社会の中の大人の実態だからです。


道徳を理解できない大人が親になり
子供も其れを学ぶ機会を失ってきた。


そんな日本社会を変えようとすれば
先ずは大人こそが其れを学ぶべきではないでしょうか。


子供は親の鏡とも言います。


虐めが増え続けているのも全ては
親の教育の責任である。


虐めを止めようとする子供から
私達は学ぶべき事があるのではないでしょうか。


社会を本気で変えようとすれば
権力や恐怖や圧力に立ち向かって行く勇気や
人としての適度な正義感や強い意思だって大切です。


私の兄弟姉妹には是非とも其れを理解して頂きたい。


今私達に欠けている物はまさにそれかもしれません。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】