創造主の意識  心と魂を使用する | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


兄弟姉妹へのアドバイスのつもりの記事です。


私以上に覚醒の進んでいる方には不要の記事ですが
参考にして頂ければと思います。


私達の実践すべき事の具体的な方法を取り上げて見ました。


心と魂を並行して使用するための手段です。


以前に


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11408396865.html
創造主の意識 日々の実践事項


という記事で、
私達がすべきことを記事にして取り上げた事がありましたが、


それに関して、
「具体的な方法が書かれていない」と指摘してくれた方がいました。


私は覚醒者・理解者が意識の経路としての
魂を感じることができる事を前提として記事にしてしまったので


大元の魂と言う意識を感じるという事に関しては
イメージも掴めない内容となってしまっています。


私と共に一年以上の間学んでくれた方も居れば
そうではない方も居る事を考慮してなかった事が悔やまれます。


と言うことで、私達が魂の意識と呼んでいるもの、
もしくはそれに近い意識を感じるために
どうすれば良いのかについて触れてみたいと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私達は”心”と言う意識と”魂”と言う意識を持っていると言う説明で
私はアダムスキーが生命の科学の中で取り上げている
”心”と”意識”について学んできました。


私達が”心”と言っているのは
私達が通常何も考える事なく使用しているもので、


外部からの刺激に対して反応する時に
その行動を司っている私達の脳機能を主としている意識です。


これは元々が脳がその機能として備えている本能、
さらには私達が視覚・聴覚・味覚・嗅覚と言った感覚器官を使用して
認識してきた現象や体験を価値観として作り上げているものです。


元々の本能に”肉体を維持する”
”自らの肉体が危険に晒されない事を求める”

という意識があるために、


その後に作り上げた価値観とあわせて
自己防衛的に機能する傾向の高い意識で、


その思考の中心は自分の保身であり、
その心の価値観を満たし心地よい状態であることを願います。


元々脳が備えている本能は、
肉体を滅ぼさないための機能と受け取れますし、


例えば睡眠や空腹を感じそれを満たそうとすることで
肉体が滅ぶことを防いでいます。


更に性欲は無自覚の種族保存の本能ともいえます。


そんな本能と、
後天的に自分が体験したことが合わさって
価値観として作り上げられ、


その中で心が心地良いと感じた事を、
私達の行動の基準としているのが”心”だと認識してください。


それはエゴと欲と本能の塊に近いものです。


脳には本能として与えられているものがあり、


そのために心は自分の肉体を守るためにも
心が苦しむ事を避ける傾向を持っていて


しかも後天的な価値観と結びついては
様々な種類のエゴを持つに至っています。


それぞれ欲の優先順位も人によって異なる事になりますが、
心の指示する行動の目的の中心は
あくまで自分が心地良い事を目的とする傾向にあります。


そして私達の心を司っている四つの感覚器が
それぞれ好き嫌いの意識を持っているために


私達はそれを持って現象や存在を好き嫌いで分類しては
そこで不快なものを作り上げる事にもなります。


その不快な物や現象に遭遇するたびに
心が不快な思いをするために
私達はその不快感をなくそうと行動することにもなります。


そしてそれに従う事での行動の中心は
自分の心がより快適であることです。


しかし私達にはもう一つ意識の経路があります。


それは私達の本能や後天的に作り上げている価値観とは無関係で、
すべての正しい知識と行動基準を持っているものだと考えてください。


それが魂と言う意識であり、
それは同時に私達に命を与えているものであり
四次元での創造主のエネルギーの分身として存在している物です。


私達が心に従えば、その行動の目的はどうしても
個人の満足や価値観を満たすことになりますが


創造主の意識でもある魂の持っている価値観は
私達の魂の進化であり、同時に万物との調和です。


と言うことは私達が魂の意識に従えば、
自分の肉体のエゴのためではなくて


自分の魂の進化のため、
更には創造主の想いでもある万物との調和や万物への慈しみのための
行動を実践する事ができると言うことになります。


そしてそれを実践し続けることで魂の進化を果たしながら
万物への奉仕をして行こうと言うのが私達の大きな目的です。


そこで問題となるのは私達が通常”魂”と言うものを
意識の経路として使用していないこと。


もっと言えばその存在を認識する事が出来ない事です。


そこで私達は当初はその魂という意識の経路が存在することを
まずは理解し、信じなければならないわけです。


生命の科学=創造主の法を学ぶために
私達が必要とされる当初のたった二つの戒律は、


宇宙とそこにある見えない法則、
つまりは”因”を作り上げた創造主が存在していると言うこと。


そして私達はその創造主の残像思念としてのエネルギーの一部を
”魂”として持っていると言うことでした。


この魂が肉体と言う器に生命を吹き込んでいるわけですし、


私達の実態は、創造と崩壊を繰り返す三次元に存在している”肉体”ではなくて
四次元的な存在である”魂”であると言うことでした。


三次元空間の万物は、四次元に存在する私達の魂と言う想念の塊を
元素と言う三次元に存在している材料を使用して表現しているに過ぎず、


私達人間の本体であり、半ば永遠を生き続けることになるのは
私達の魂だと言うのが私達の理解です。


そして私達は魂の進化のためにも、社会の改善のためにも
心のエゴを持って行動するのではなくて


魂から感じる事になる創造主の意識を持って行動することが
求められていると言うことです。


そして私達が魂の存在を感じる事ができない理由は

そこから私達に与えられている感覚や情報は
”印象”や”閃き”や”イメージ”と言う形をとるからでした。


そして創造主が私達に与えるのは知識であり知恵です。
(進化することで未知能力も開花することになりますが)


しかし私達は肉体を司っている
四つの感覚器官を使用する事に慣れ親しんでいます。


映像を視覚で認識し振動を聴覚で認識し
匂いを嗅覚で認識し、味を味覚で認識することによってです。


しかしそれらの器官では私達が認識できないものがありました。


私達の思念波といわれるもの、つまりは想念であり私達の想いです。


そして今では”想念”がエネルギーとして科学的に
理解されるようになりましたが
実は私たちはその想念を認識できる器官を持っているのです。


それが私達の魂です。


この魂は私達の肉体に命を与えるだけではなくて
元々が創造主の残像思念ですからその想いをも伝えますし


更には他人の想念を受け止めてそれを印象や閃きやイメージとして
私達に与える器官でもあるのです。


つまりは魂は、私達がテレパシーと呼んでいるものを
受信する器官だということです。


しかし私達は通常肉体の感覚器官ばかりを意識しているために
想念を受け止めるその器官の存在を認識できては居ないのです。


でも確実にそれは存在していて私達に情報を与えています。


”閃き”や”イメージ”時には”印象”といった形で
私達はそれを受け止めているのです。


視覚であれば受け止めるのは映像で、
聴覚であれば受け止めるのは振動つまりは”音”ですが
魂が受け止めるのは”想い”であり”思考”なのです。


私達が思考や想いを受け止めた時に
私達はそれを自分の思考や想いだと感じてしまうことになるために


実際は外部から受け止めたものであっても
それをテレパシーとは認識できないわけです。


しかし現在は科学が発展し、
その結果他人の思考を映像化することも可能となっています。


更には脳波を増幅しては
他人の脳で再現することも既に実験は進んでいます。


そこでは私達の脳波や、私達が常に全身から発している想念を
思考として受け止めることができます。


つまり私達の思考はエネルギーとして受け止めれる事は
すでに証明されているのです。


他人が思考したことを私達が受け止めることができたならば
それはどのように私達に伝わることになるのか?


自分が頭の中で思考している状態を想像すれば
与えられた情報も”思考”であることが容易に判断できるはずです。


テレパシーは音ではありません。


そこで私達が受け止めるエネルギーを
脳が再現する事になるのは他人の思考なのです。


私達が印象を持ったり、
イマジネーションを使用して何かを思い浮かべたり、
物事を考えたりするその感覚、


それが想念と言う形で全身からエネルギーとして発せられ


受け止められた想念は”魂”と言う感覚器を通じて
私達の脳へと伝えられることになります。


受け止めるものが”思考”や”想い”なので、
それが自分の物と他人の物との区別がつき難いために


私たちは想念を受け止める事があっても
その体験に気がつくことも出来ないのです。


私達はそれを”閃き”として
自分が思考した物だと認識してしまうことになります。


結果テレパシーとしての想念の授受は認識されないことになります。


しかし私達が魂という意識の経路を強く認識できるようになれば
そこが頻繁に想念を受けとめるようになりますし、


その受け止めた物が自分の思考ではない事に気がつけば


それが自分の心の想いなのか魂の受け止めた想いなのかを
容易に区分する事も出来るようになります。


そして私達は魂が受け止める想念のうち、
創造主の意識を選別し、
それを実践する事を求められていると言うことです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

といっても想念を頻繁に受け止める事の出来ない私達は
アダムスキーが言っているように心と魂を並行して意識して
使用すると言う行為は難しいものとなります。


そこで当初は魂の代用として
私達はいくつかの方法を用いることでそれを補う事が可能です。


私が頻繁に引用するのは私達が”理性”とか”良心”と呼んでいるものです。


自分が何か誤った行動をしようとした時に
私達に対してささやきかけるもう一人の自分を感じる事もあります。


「そんなことをして良いの?」

「それはいけない。」


そんな意識はそのまま私達の魂の意識に繋がる物だと思います。


私達はそんな体験をする時には
自分を客観的に見つめている事にもなります。


心の暴走を抑えるもう一人の自分が居るのです。


それを強く意識することで
私達は本能的な意識の経路(心)と並行して
理性的な意識の経路を持つことになります。


その事を常に意識し続けるのです。


これは魂の意識の経路を感じるために役立つはずです。


次に、私が頻繁に取り上げる、
何かの行動をした後に感じることがある”罪悪感”です。


私達が誤った行動をした時に
それに対して持たされることになる”罪悪感”や”後味の悪さ”は


そのまま魂の意識が、
私達の行動が誤っていた事を告げていると認識してください。


私達はその時に


「その行動が間違っている」


と言う印象を受けた事になるのです。


それを認識してはその行動を誤りと判断し
自分に対して新たな戒律を設けることも出来ます。


更にアダムスキーは自分の行動の動機について
意識することを勧めていました。


その行動をした時に、その動機が個人的価値観から出ているのが
宇宙的意識(全体を想う気持ち)から出ているものかを分析して
宇宙的意識を行動の動機にする事を実践しなさいと言うことでした。


私達の進化と改善にとって大切なのは”行動の動機”で、
それを意識して行動を続けることで
私達は魂の意識の経路を感じやすくもなるのです。


これらを実践することで私達は印象や閃きを
受け止める機会が増えるはずです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


次に、印象や閃きを受け止めた自覚を持つ事が出来たら
今度はその時の自分の脳機能の状態を強く意識してください。


見えない脳に神経を集中しその働いている状態を認識するのです。


(私は毎日延々とこの作業をしています。
今は右脳が動いていないとか、良好であるとか
判断することも出来るようになります。


とりわけハイテク被害者にはそのギャップが感じられると思います)


おそらくは印象を受け止めたときには私達は無自覚に
心と魂の二つの意識の経路を同時に意識していると思います。


そして多くの場合は右脳と左脳がバランス良く機能していることでしょう。


その時の感覚を維持するように勤めるのです。


おそらくは印象の多くを受け止めるためには
右脳が正常に機能していなければいけないと思います。


私のようなハイテク被害者が右脳を狙われると
時には閃きがまるで起きない事になるので
おそらくは想念を受けとめる機能の中心は右脳だと思います。


自分が想念を受け止めた時には
その時の自分の脳の状態を意識するわけです。


私達は、見えないものと見えるものを同時に感じる練習も
し続けていると思います。


見えない自分の脳の動きではありますが、
その状態を感じることを意識し続ければ
自分の脳機能がどんな状態であるかも認識できるようになります。


そして自分が頻繁にひらめく時に使用しているであろう
脳の各箇所の状態を意識し維持する。


それを繰り返すうちに、私達は自分の心と同時に
魂という器官からの意識を感じ易くなるための状態を
認識できるようになるはずです。


その状態を記憶したらその状態を維持し続けるように勤めるわけです。


その状態は上述の”印象”を受け止めやすい状態でしょうし、
もう一人の自分が自分を客観的に見つめている状態でしょうし、
理性的な状態でしょうし


罪悪感や、後味の悪さなども頻繁に感じる状態だと思います。


私達はその状態を維持しながら物事を思考し
行動の動機を意識しながら
いろいろな体験をし続ければ良い訳です。


そしてその行動が誤っていたと認識した時は
それを修正する様に努めることになります。


そして新しい戒律が増えることにもなります。


私が、魂の経路を感じるためにも
自らの一番の戒律としているのが以前にも触れた


「強い感情を表現しないようにする事」です


感情は心の働きですし、それを強く表現すると言うことは
私達が心に強く囚われている事に他ならないからです。


お釈迦様の言っていた「エゴや煩悩を抑える行為」と言うのも
エゴを捨てることで心の動きを抑える事につながると思います。


”心”という、自己主張をして止まないエゴの意識を抑えることで
私達は”魂”と言う謙虚な意識の経路からささやきを聞くことになるのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


私が自ら感じて実践している事を具体的に表現すれば
このような内容になりますが参考になったでしょうか?


付け足しておけば、私達には
「見えるものと見えないものを同時に認識する事」


が求められています。


心の司る視覚という感覚器を持って認識しているのは
ただの”現象”に過ぎません。


そしてその現象=存在と私達が認識しているようなものは
私達の生命活動ではなくて”私達の想いの表現”に過ぎません。


私達は魂を持ってその対象の持っている”生命”を見つめることが
求められています。


私達が見つめるべきは現象ではなくて
想いであり、魂の意識だと言うことです。


それは視覚では認識できないものですが、


私達は視覚だけで物を認識しようとするために
物事の半分しか理解していないと言うのが
アダムスキーの話でもありました。


そしてそんな私達の事をイエスキリストは
「見ているが見ていない」とか


「死人である」と表現していたはずです。


見えるものを、ただ目を持って見つめているだけで
知恵を持って思考しようとしない私達は、
本来の人間としてあるべき生き方をしてはいないと言う事の例えです。


今まで私達は、本来感じることの出来る世界の
半分しか体験しては居ませんでした。


兄弟姉妹達には、すべての機能をフルに利用して
先ずは死人であることから脱却して欲しいと思います。


小さな日々の実践が私達を確実に進化させます。


大多数の人間が理解できなくても私達は真理の世界を生きるのです。


見えないものを信じる事の出来るものは幸いです。


イエスの使徒はその言葉を理解し実践しなければなりません。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.


見えないものを見るのは私達の魂の意識です。


当初、私達はそれをイマジネーションでそれを
埋め合わせる事になります。


ここでも右脳の機能が重要な役目を果たすことになると思います。


それについても機会があったら記事にします。