転生とカルマを意識する | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

追加コメント


10月23日A.M10:43



今日の記事は夜になります。


私の叫びとも言える内容で
少し前に出した記事の後編です。

--------------------------------------------



脳への介入がかなりきつくなっています。


排泄妨害も相変わらずで今日は息苦しくなるほどです。


腸内の異物が大きくなっている事も
おそらくは無関係ではないのだと想像しています。


それを締め付けたりせり上げては
脳や身体への介入を強化しているようです。


昨日は頭頂部の皮膚のあちこちが痛むほど
激しい脳への関与を受け続けました。


そして今は思考が纏まらない様な
そんな状態を誘導され続けていて
まともな記事が書けないのです。


昨日の記事も気に入らなかったのだと想像できますし
やってきているのがどんな人間達かも
そこから推測できると思います。


HAARP関係に関してはグラフは改ざんされていることも
確実になりました。


私達は目に囚われることなくその異変を感じ
それを警告していければと思います。


関東に脅しとも言える小さな地震があったようですが
関東、フォッサマグナ周辺に
大きなひずみが出来上がっている可能性を
常に念頭に周囲の異変に警戒し続けて欲しいと思います。


A.M10:43



今日は二つの記事をまとめて公開します。



一つ目は地震・災害関係の記事です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11385998427.html

ラストスパート?予定まであと二月??





周囲には付きまといの影は激減しています。


と言っても電磁波出力がポンポイントで
激しい状態が続いています。


腸内に異物でコーディネートした排泄物を貼り付けて
頭皮に随分と嫌がらせを受けましたし


脳の管理は延々と続いています。


半分ハイな気分でもありますが
脳の回転は制御されています。


室内で7ヶ月前に録音した
妻宛の生命の科学を流していますが
やはり彼らは嫌がるようです。


自分で語ることができない脳状態にされてますから
私にはこの手段しかないのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は転生の法則に関して具体的なイメージを持って貰うために


私の理解の範囲で、具体例を示しながら
判り易そうな仮定をも用いては紹介しようと思います。


勿論私の理解の程度が大前提となっていますので
絶対的なものではありませんが参考にはなると思います。


ここでの標本は私=諸星と言うことにしますが、
もちろん私の前世とか今の生とは無関係で
あくまで例えですので表現を見て突っ込まないでください。


工作員の中には
例え話や冗談も理解できない人間達がいますので
前もって触れておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

諸星と言う人間がいたとします。


この人間は前世ではお金と権力に囚われて
横暴の限りを尽くした人間だったとします。


貧しい人間の立場や、権力を持たず顎で指示される人達の
心の痛みをまるで理解していない資本家でもありました。


そしてこの諸星は前世にはその横暴ゆえに
自分のエゴを満たすために自分勝手に振舞っていたために
多くの人間に結果として苦痛や不安や貧困を齎しました。


しかもその横暴に対して自分は何の負い目も感じることなく、
尚且つ前世では何のお咎めも受けることもありませんでした。


そして自分の人生を全うして次の転生へと進んだとします。


この諸星はこの事によって多くのカルマを負う事になりました。


他人に対して齎した多くの不安や苦痛や貧困に対して
自らは何の責任も問われる事がなかったからです。


更にその多くの人間達は何の罪もないのに
諸星によってそのような不快な思いを人生で強いられ
悪い意味で人生まで変えられた人間もいました。


因果と言いますが、この場合諸星は自分の因に対して
報いを受けてはいません。


一方他の人間達は自らは何も悪くないのに
一方的に不快な状態を齎され報われないままです。


この時、諸星は自分の魂に
多くの負のカルマを背負ったと考えてください。


諸星は創造主の法を無視して生きた事で
自分のエゴは満たし自らは心が心地良い状態で
一生を終えましたが、一方では多くの負のカルマを背負ったわけです。


更には人の事を理解しようとしない意識、
貧しい人や権力のない人間の立場を理解しようとしない意識が
一方では、はっきりと創造主の法にも触れたと考えてください。


諸星は間違っても進化できるような魂の状態ではありません。


創造主の法は私達を覚醒へと誘導します。


そして私達がその誘導に導かれるためには
万物や現象に対して多くの事を理解し、心のエゴを抑える事を覚え、
創造主の意識を感じる事のできる状態へと進むことが必要です。


創造主の法へ導かれる事のなかった勉強不足の諸星は、
今度は更なる課題を創造主に与えられることになります。


「自ら学ぶことが出来ないのですから
私が学ぶ機会を与えてあげましょう。」


そんな意識を持って慈しみをもって創造主は
私達に課題を与えるわけです。


創造主の法は諸星に、次の転生では、
貧しい人間の苦しみと無力な人間の虚しい思いを学ばせるように
働きかける事になります。


諸星は理解不足のためにそんな心無い行動をとったのですから、
それを学ばせる事で諸星の行動を改善することを期待してです。


地球社会の場合は進化以前に、
私達は創造主の法の存在にすら気がついていないのですから、

それを気がつかせるためにこそ、その法は働くのだと思います。


そして気がつくためにも一定の課題をこなして
人としてあるべき魂の状態を確保することが、
おそらくは私達に求められているのだと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そしてこの諸星は次の生では貧しい家の子供として生まれ、
権力とも全く無縁な環境に転生する事になったとします。


更に仮定をしておけば

この諸星の魂には前世において自分が苦しめた多くの人間に対しての
カルマが残されているという事にもなります。


そんな人間達の齎された不快感を
今度は諸星が体験するような機会も
次の人生では頻繁に出てくることになるのかもしれません。


更に通常は有り得ない事ですが、
説明を判り易くするために私達の魂の状態に点数をつけてみます。


私達が創造主の法へと導かれ、
記憶を持っての転生へと進むことのできる
魂の状態を”±0”以上と言うことにします。


つまりこれは天国にいける状態、
もしくは永遠の命を得る状態ということです。


そして魂の状態は、私達の取る行為によって
随時変動するものであると仮定します。


一番最初に私達の魂が生まれでた時には無垢の状態なので
同じような”±0”状態だったかもしれませんが


その状態ではこの地球社会の学習を果たしていないので
それをこなす事が私達の当初の目的とされたはずです。


地球社会の中での様々な体験を通じてです。


そして体験を果たして学習をした後に
私達は次の社会へと転生する予定だったと言うことです。


しかし私達はその体験の中で
心に囚われる事を習慣としてしまうこともありますし、
本能や心のエゴに囚われて行動することも出てきます。


私達のこの社会の生活環境と、私達の魂への理解の足りなさが
私達の魂に減点要因を齎し続けてきたわけです。


そしてアダムスキーの話からも、私達地球の殆どの人間は
魂のマイナスポイントを増やし続けていると言うことになります。


地球社会の人間の殆どが、今現在創造主の意識からかけ離れ
人としての進化を果たせる状況には
存在していないと説明することもできます。


この例えによれば、私達は自分の今回の生を終えた時に
その数値が0以上であれば無事進化を果たし
記憶を持った転生へと進むことになります。


しかしその事が私達にとってはとても難しいのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここでの諸星は、前世で心無い行為を繰り返したために
次の世で生まれて来た時の魂の点数が当初-250ポイントだったとします。


生まれてきた環境は、
創造主が諸星の足りない理解を深めようとして与えた
お金がなくて権力も持てない環境です。


創造主の法が私達に与えたこの環境は、決して前世の罰ではなくて
私達が学ぶべきことを学べる環境を与えることで
学習の機会を持つ事を期待したと認識してください。


勿論これは個々の人間に対して
神様が今判断して与えられるものではなくて


創造主の法を通じて私達はそんな環境に置かれるような
仕組みが出来上がっていると認識してください。


私達は前世と全く無関係に
今の生を生きているわけではないはずです。


初めて生まれて来た魂がどんな取り扱いとなるのかは不明ですが
少なくとも転生を繰り返している私達の魂には、カルマもあれば
学ぶべき課題も積み上がっていると思います。


この諸星は、前々生では白人として存在していて
KKKのような組織に所属していて黒人差別をしていた人間だとします。
(注:KKKとはクー・クラックス・クランという有名な
有色人種差別団体です)


そしてこの諸星は前世においても
そのいわれなき差別を特定の民族に対して無差別に続けたという
実態があったとすれば、


創造主は前世に於いての課題として
”差別をしてはいけない”という課題を与えていたはずなので

諸星はその分の学習もまだ終えていない事になります。


そして今世では、その分の学習をも強いられる事となり
諸星は、貧しく権力がない上に、
人々に虐げられる立場に生まれ変わった事にします。


【ここで考えるべきことは、この諸星は
父の元に帰るために一体どんな人生を送るべきかと言うことです。】


私達は創造主の法の存在に気がついていませんし
まして因果やカルマといわれるものも意識してはいません。


その結果三次元の心を持っては行動し
その心が心地良くなる事ばかりを繰り返してしまいます。


本人が気がついてくれないからこそ、
嫌でも学ぶ事になる学習の機会を
転生の法則は私達に与える事になると理解してください。


そしてこの場合諸星は
生まれた環境としてその学習の機会を与えられていますし
魂には自分が背負っているカルマが沢山あるでしょうし


その上に魂のマイナスポイントは250もあります。


このままではこの生でも本来目的とすべき
進化への転生は果たせないことになります。


と言うことは諸星は、
創造主の課題として与えらえた自分の置かれた環境の中で

その立場から何かを学ばなければなりません。


貧しい人間の気持ちを理解し、
他人を理解すると言う意識を学ぶのでしょうし、


無力な人間の立場を理解し、権力の弊害を学ぶのでしょうし


差別をやめて万人に平等に接することを学ぶのだと思います。


そのためにも自分の置かれている環境の中で
人としての道徳を失うことなく
精一杯に生きていく事が求められると思います。


背伸びして成りあがろうと努力するのではなくて
現状を学び理解した上でこそ努力が報われる。


そんな事に繋がって行くのだと思います。


一方自分が他人に対して作り上げたカルマが
この生では自分に不運な出来事として
降りかかってくる事もあるかもしれませんが


それをも受け止めて乗り越える事を
求められるのかも知れませんし、
そこから何かを学ばされる事になるかもしれません。


そしてそんな生き方をしていれば自然とエゴとも
決別していく事になるのだと思います。


創造主はきっとそんな誘導をしてくるはずです。


繰り返せば、地球社会に対しての創造主の思いは
進化と言うよりは覚醒への誘導であるはずです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところで、このポイントを増減するのは
私達の行動と思考だとします。


私達は自分が自覚していないだけで日々多くの罪を犯している存在です。


聖書の規則や人的決め事を破るのが罪ではなくで
本当は創造主の意志とは異なる事をすると
そのすべてが罪と認識されると言うのが宇宙の法則の思考です。


創造主の法則の下での罪は
創造主の意志を尺度として測られるのは当たり前のことです。


だからこそ生命の科学を学ぶ人間は
当初は戒律が存在していなくても


時間の経過と共に、進化の程度と共に
創造主の意識を受け止める度に、
閃きや印象を受け止める度に戒律を増やし続け、


結局は無限の戒律を自らに課すことになるのです。


と言うことは、私達が認識すべき罪の範囲は広く
とても多いことになります。


そして”罪”と言っても軽度で悪気のないものから、
故意による犯罪の様な重いものまで沢山存在している事にもなります。


そしてとりわけ罪が重くなるのは、
自分がその事を”罪と認識していながら実行する場合”で


逆にそれが罪と知らずに実行している場合は
軽度だと想像できます。


そこに悪意が有るか無いかといったことで
同じ行為で有っても私達の魂に与える影響は異なるはずです。


自分の良心に逆らう行為は
創造主の意志に逆らう事に他ならないので
その罪は重いと想像できます。


一方私達は、生活の中で他人のためになる行為や
魂にとって良いとされる行いをする事もあります。


そこでの行為は当然、
創造主の法ではプラスと認識されるはずです。


それは思考含めてだと思います。


例え犯罪行為や他人に迷惑になる行為を想像しただけで、
それを実行しなかったとしても、


イエスキリストが言っていたように、
私達は自分の中では罪を犯しているわけですし


そんな”想い”はそのうち私達の身に染み付いては
私達の行動にまで影響を及ぼす事になるはずです。


罪と言える行動は勿論”減点”と認識されるでしょうが
思考に関しても結局は私達の心へと影響を与え


その価値観を変え行動を変えることになりますので
罪と無縁ではないと思います。


悪しき想いをめぐらす事は、
私達の魂を腐らせる行為だと言うことです。


一方私達が実行する”奉仕”と言われるものは
そのまま私達にとってプラスの行為となると思います。


勿論奉仕と言っても色んな状況が考えられますし
人に認識されない陰徳といわれるものもあれば
偽善といえる物まで色々だと思います。


そしてここで大切なのは
その行為を実行するに当たっての動機です。


他人からみれば”善行”であっても
それを実行する目的が自分を美化する目的であれば
その奉仕は無償のものではありません。


見返りを求めての物であり魂に与える影響は
良いものではないはずです。


その行為は心のエゴから出ているからです。


そして更にその行為によって
他人からの賛美を受けると言う報酬を得た場合には


その人間は行動に対してその対価を受け取っていることにもなります。
因果で考えても、その時点でその行動に対する清算は済んでいるのです。


一方良い行いであっても、
この社会の中では何の見返りも受けないような行為は
結果を受け取っていないことになりますから


どこかでしっかりとその対価を受け取ることになるはずです。


このようなものが魂の加点となるのだと思います。


そのような行為や想いが魂に反映すると仮定して、
その反映の影響の仕方をプラスやマイナスとして表現してみます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

魂にー250ポイントと言う負債をもって
貧乏で、権力とも無縁で、しかも虐げられる立場に生まれた諸星は
その環境の中で延々と苦しむことになります。


裕福な人間達が着飾って消費や美食やレジャーに勤しんでいる間も
諸星はそれを羨ましそうに眺める事しか出来ません。


そんな環境の中で、諸星は少しでも裕福になろうと
必死に働く事にもなるかもしれません。


しかし諸星は学ぶべき課題があるために、
いくら働いても生活は楽になりませんし
一方全く出世をすることも出来ません。


差別や虐めにも遭い続けてもいます。


諸星がその時環境の中で学んでいるのは
前世からの課題そのものです。


諸星が前世では学ぶことが出来なかったものを
今度は身をもって体験し続けているわけです。


そしてその中で諸星が貧乏な人間の立場や
権力のない人間の立場更には差別される人間の立場を理解し
成長したとすれば、


背伸びせず、今自分のおかれている立場の中で
精一杯の幸せを求めようとするかもしれませんし。


その中で創造主の法の存在に気がつくことになるかもしれません。


この社会の中での社会的な立場は
傍目には何の取り柄もなくて貧しい底辺の人間であっても
諸星は魂の成長を果たすことになります。


そしてもしかしたら前世の課題をすべてクリアしては
一方では他人に対してや万物に対して見えない奉仕を積み重ね


+1を増やしては死ぬ頃には250のマイナスをすべて
清算しているかもしれません。


それが実現すれば諸星は魂の進化を果たし
別の高度な精神を持った人間達が暮らす惑星に
転生することになるかもしれないわけです。


しかし、もしかしたら諸星は愚か者で、
自分の立場が少しも良くならない事を呪って金持ちを妬み、憎み、


他人を押しのけてでも自分だけが幸せになろうと勤め
犯罪行為を犯してでも自分が裕福になりたいと考えるかもしれません。


その想いは諸星の行動にも現れて
気が付くと更なる減点を受け続けては


当初の250ポイントのマイナスを
-2000ポイントまで膨らませてしまうかもしれません。


その生き方の選択次第で、
諸星の次の生の運命も大きく変わってくることは言うまでもありません。


前者の場合、他人の痛みを理解したことで魂の進化を果たし、
その中で道徳や良心を意識して生きては


自分の魂に対してプラスの効果を齎し続けることになるかもしれません。


課題を果たしたと認識した創造主の法は諸星を
覚醒へと誘導することになるでしょう。


他人を思いやり、悪と感じたことは避け、
無償の奉仕をも実践できる存在へと誘導するかもしれませんし


そして次には前世までに作り上げてきたカルマやマイナスポイントを
解消するように諸星に働きかけるかもしれません。


一方後者の場合は諸星は、
自分の不運をすべて神の所為であるとまで認識しては
創造主の法に従うどころか


神を呪い、犯罪の限りを尽くしては
この社会の中で悪徳を尽くすかもしれません。


その意識も行為も当然負の影響を魂に齎し続けることになりますし、


少しも学習することなく自らの行為に反省もなく、


その上に今の自分の心の心地よさのために犯罪行為含めて
他人に危害を加え続けてはエゴの限りを尽くし
暴走することになるかもしれません。


そんな状態にある人間の耳には、
創造主のささやきなど聞こえるわけもなく


生涯負のポイントを魂にため続け
抱えきれないほどのカルマと課題を抱えては
人生を終えることになるかもしれません。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そして肉体が滅んだ時に諸星は
転生の法則の適応を受けることになります。


これこそが私達が最後の審判と呼んでいるものに
他ならないはずです。


これに関しては、
自分が死んだときにアカシックレコードから
自分のすべての過去を見せられるとか


色んな話が語り継がれていますが私は具体的には認識できません。


ただ、この時に私達の魂の状態こそが評価されて
次の転生に影響を与える事になるはずです。


生前に、創造主の法からかけ離れていた人間であれば
多くのカルマや課題、魂への負のポイントが溜まっているでしょうし


一方創造主の法や道徳を意識して、人を思いやって生きてきた人間は
おそらくは課題をこなし、良い意味でのカルマや
魂へのポイントが溜まっていることになります。


そしてそのポイントが一定値以上を示した時には
私達は次の進化へと進むことを許可される。。


そう理解していただければ良いと思います。


ここでの仮定では、それが±0以上であれば
私達は次の進化へと進むことになります。


勿論普段から私達が意識している
記憶を持っての転生の可能な場所への転生です。


私達は今よりも高い知能と道徳を持った人間の社会へと
生活の場を変えていくことになるわけです。


一方、不合格となった人間は
今回の生き方で学び足りなかった事を課題として
更にはそこでのカルマをも背負って次の生へと転生することになります。


ところで私達は時には魂を消滅させることになります。


これに関してはイエスキリストが
創造主を恐れろと言う話をしていたはずです。


「肉体を殺すことが出来るものではなくて
魂を斬る物をこそ恐れろ」
とです。


三次元社会において私達を殺傷出来る人間は大勢居るでしょうが、
私達の魂を斬ることの出来る人間はいません。


肉体を滅ぼすことが出来る人間は存在していても
彼らは私達の魂を滅ぼすことは出来ないわけです。


創造主を恐れと言えば、創造主が恐怖の対象に感じますがそうではなくて
創造主の偉大な法則をこそ私達は遵守すべきであると言う
たとえだと思います。


極端な話が、他人に脅されようが圧力をかけられようが
私達は自分が魂から感じた意志を捻じ曲げてはいけないと言うこと。


人間の出来ることは私達を肉体的に滅ぼすことだけですが
創造主は私達の魂すら滅ぼすことが出来ます。


なので、例えば創造主の意志にそぐわない事を強いられて
それに背いて結果命を失うことになろうとも、


人間の脅しや圧力に屈服して
創造主に逆らうよりはましだと言う話にもなってきます。


魂を斬ると言うのは魂が消滅させられる事だと認識して下さい。


私達は半ば半永久を生きている存在です。


私達の魂が創造主の意志からかけ離れない限り
私達の魂は創造主の世界である四次元に存在し続けることが出来ます。


それは同時に三次元での転生を繰り返すことを意味します。


しかし創造主の意志を無視してエゴによって生き始めた後には
私達を待っているのは魂の消滅です。


おそらくはその魂の存在自体が
創造主の世界である四次元で存在できないような異質な物となった場合に
その魂を消すことになるのだと思います。


先日の説明にあったように、四次元という創造主の意志の世界では
そこに存在しうるものはその社会の性質に適合したものでしょうし


創造主の意志にはエゴが含まれて居ないのですから
エゴで満たされた心の影響を強く受けた魂は
その殆どが四次元では存在できないことになりますし


以前から私が繰り返し触れている15回程度、
創造主の意識からかけ離れ続けて転生を繰り返すと
私達が魂を消すことになると言うのは、


結局は魂が退化か変貌して修復不能となり、


創造主の四次元的な世界において
エネルギーを受けることも存在し続けることも
不可能になるからではないでしょうか。


アダムスキーは”電池切れ”に例えて説明していたようです。


上の例では、諸星がもしもその転生を迎えた時
創造主の意志からかけ離れて15回ほどの転生を繰り返していたとすれば
その次の転生は存在していないことになり


-2000ポイントの状態のままで
魂を消していくことになります。


その個性としての諸星の意識は消えてなくなり、
その魂を構成していたものは全てが
元の創造主の中へと帰っていく事になるのかもしれません。


一方、地球社会の中においては多くの人間が
記憶を失っての転生を経験することになります。


しかしそこで与えられた生活環境や
その人生の中の試練の中には当初から予定されていた物が
組み込まれていると思います。


誕生日と時間によって運命をはじき出す風水師がいますが
彼らは宇宙的エネルギーの法則のようなものを
数字ではじき出しては他人を占っています、


つまり私達の新たな誕生=前世での死のタイミングは
それが自然なものであれば創造主の法に従って
導かれたものである可能性が高いと言う事です。


勿論、その人生で学ぶべきことを
学びやすい環境へと転生させるためです。


私達が知覚出来ない創造主の法は
あらゆる場所で私達に影響を与え続けているのです。


先日の三次元と四次元に加えて、
私達が創造主の法を理解するための動機となりそうな
転生の話ですが如何でしたでしょうか?


私達は見えない法則と見えない世界を理解すべき
時代を迎えていると思います。


それは自分の魂を消さないためでもありますし、
この社会から卒業していくためでもありますし、


何よりも地球社会を壊さないためにです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P.S.


私達の個々の人間の想いが
この地球環境を作り上げている。


その想いの影響が地球独自の周波数にまで関わってくるのだと思います。


アダムスキーが生命の科学の中で触れている一節を
もう一度引用します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

英知に身をゆだねている物はすべてたえず存在の状態にあるという証拠があります。
そしてこうした物質は常に高次な表現の状態に精化され、万物に役立ち、
こうして宇宙の目的を遂行します。


これが事実であることをわれわれは知っています。
というのは、物質でできている地球は数十億年間存在し、多くの変化を経てきました。


しかし人間の諸文明は興亡を繰り返しています。
ある文明は創造主のもとに続き、ある文明は人間の心の意志によって消滅します。
これは人間の作り出す材料が消滅することを意味するのでもなければ、
意識に終わりがあることを意味するのでもありません。


エゴの心が宇宙の英知を離れて行動したいと主張するときに消滅があるのです。


永続する唯一のものは”宇宙の意識”と材料なのであって、
これはたえまなく活動と更新の過程を通じて働いています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

創造主の法則の下では、永続するものは宇宙の意識と材料だと
アダムスキーは触れています。


昨日の四次元と三次元の話を思い出していただければ、
四次元における創造主の残像思念としてのエネルギーと
三次元における諸元素のみが、永続を保障されていることになります。


どんなに進化した惑星でもその惑星自体がいつかは滅ぶことになりますし

どんなに進化した人間でもその魂を腐らせ
消えていく可能性を持っているからだと思います。


私達はその意識が宇宙的であれば、つまり創造主の意志にかなった存在であれば
それは永続することになります。


(元素であっても惑星の崩壊でその形を変えうる可能性はありますが
微粒子と形を変えたとしてもその材料は消えることはないと言うことです。)


ここでは文明の話をしていますが
勿論それは文明に限らず存在するもの全般に関わる法則です。
(私の過去の記事を参照して下さい)


創造主の意識を無視してエゴによって歩み始めた固体に
創造主の法が力を与え続けることはないと言うのが
創造主の法の下で存在しているこの世界の定め。


元々の意志が進化と調和であり
万物への慈しみである創造主の意識の中で


エゴの意識が存在し続けることが出来ないのは
当たり前のことです。


ただ、私達はその実態を知らなければ
生き方を変えるきっかけもないままに
気が付くと魂を消している可能性がある。


だからこそこの真理を多くの人間に理解してもらい
意識の改善を図る必要があるのです。


今私達が置かれているのは個々の人間の魂の崩壊だけでなくて
私達がエゴに生きて悪しき想念を巻き散らかし続ければ
今度は地球社会にも影響を与えると言う瀬戸際かも知れないという状況です。


地球社会は二重にも三重にも、目に見えない危機に
晒されている可能性があるのです。


そんな私の寝言とも言える警告を真摯に受け止めて
恐怖や不安を感じることなく
自分の進むべき道を見つけて頂ければ幸いです。



http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11370292500.html
生命の科学 復習・応用編 VOL4 潜在意識のカルマ
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11369748271.html
生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?