普遍的真理 VOL22 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


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以前から掲示板を見ていて思います。


直接書き込んで意見を言いたいとです。


ただ、私は頻繁にアクセス規制にかかったり
書き込めない状態(反映されない)にされるので
それも工作員に利用されそうなのです。


ここを見ている事はないと知りつつも
似たような疑問を持っている人に
私の理解の範囲で創造主の法を説明できれば思い
頻繁にコメントを取り上げる羽目になっています。

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709 :神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 03:36:15.73 ID:4Zqf4nCr

>>704
ホーキングやドーキングがその好例だろう。


ホーキング博士は紙面で、
「人間の脳は機械のコンピュータと同じで、壊れたらその機能を失う」
や「壊れたコンピュータはそこで終わりで、あの世の世界はない。
あの世の存在は、死を恐れる 人たちのファンタジーでしかない」
という内容の発言をした。

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科学知識に長けていて、しかもそれが悪い面で強く現れ
目で見える現象でしか物事を判断できない人間には、


当然この三次元の現象だけが立証可能な世界になるのは
いうまでもありません。


それが有名な博士の意見だからと言って
それを鵜呑みにする必要もなく、


現象の専門家なのですから現象面に関しては
参考にさせて貰えば良いのだと思います。


アダムスキーの時代には
アダムスキーがヒントや助言をした事が元になって
発明や発見が続いていた事もあり


生命の科学がこの社会にも根付きそうな気配もあったようですが
結局はすべての科学者が口を封じられる結果となったようで


アダムスキーの功績を語る人間は
一人もいなかったようです。


しかし当時、現実社会の現象を重視していたはずの人間たちが、
アダムスキーに従いその意見を尊重していたのは事実です。


しかし今現在の社会では、科学者や物理学者に
三次元以外の領域を認識させようと言うのが
もしかしたら間違いなのかもしれません。


それ以上に私達にとって危険なのは
権威なる者の発言に重きを置いてそれを妄信することです。


権力者や専門家には真理を語る人間はいないのです。

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727 :神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 04:02:14.43 ID:4Zqf4nCr
霊界はすべて非物質な霊的なものからなっている状態の世界だから、
現代科学で解明することはまったく不可能なのだ。
今の科学は、物質的なものしか対象においてないからね。

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ここで”霊界”なる言葉が出てきます。


スエデンボルグや既存の多くの宗教では
”四次元”という世界を認識するのではなくて


死後には”霊界”があるとして認識しているところが
私達とは異なります。


この主張の主はおそらくはスエデンボルグの信奉者だと思いますし
限りなく真理の解釈の仕方が近いだけに残念でもあります。


ただ、ここでの他のコメントは
私もその通りだと思います。


科学の研究対象は三次元の”現象”に過ぎないのです。


それはこの次元の最小単位としての元素と言うものが
(粒子の話は於いておきます)
次元で生じさせている物であり


それが全てではないということを
私達は認識できています。


ちなみにアダムスキーは当時には既に
光より早い物質や分子よりも細かい粒子の存在を主張し
科学者にその知識を与えていたはずです。

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736 :神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 10:43:27.34 ID:55kwizuk
>>709
人間死んだら終わりなら、
この世で法律や倫理を守る意味ない。


本能に従って、欲望を満たす鳥獣の世の中になるはず。
しかし実際にはなってないない。
ならないってことは死んだ後に何かしらの賞罰があるって考えられる

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この社会は既に、半ば欲望を満たす社会になっていると思います。


ただ、元々脳に備わっている本能と言う意味ではなくて、
それに付随した価値観のために、


個人個人により作り出された
その満たすべき欲望が異なっているのだと思います。


欲望は単に本能に直結するものだけではなくて
脳に刻み込まれた体験や価値観によって
作り上げられるものではないでしょうか。


マズローが触れていたように
それには段階もあり、個人個人で
そのもっている意識も異なるものだと思います。


ただ、本人はそれを実行することで心が心地良いと感じるはずですし
それが高尚なことでも低俗なことでも
心の欲求を満たしている事に変わりはないと思います。


そして死んだときの賞罰ですが
賞罰ではなくて法則に触れる事になるのは
いつもの説明どおりです。


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738 :神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 10:53:53.36 ID:cMYerbGL
そうすると世界の全ては神のみ力の影響下にあることになるが
その一部として自由意志を与えるという秩序をつくっておきながら
その反映である反逆を認めないのはなぜか


自由意志は与えるが反逆は認めないというのは矛盾ではないのか

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創造主は反逆を認めています。


だからこそこの社会の中で、
確実に誤った生き方をしている人間でさえ直接罰を受けることなく、


時には死ぬまで、その生前の罪をあからさまにされることなく、
お天道様の元どうどうと生きていれるのではないでしょうか。


地球社会のような殆どの魂が未覚醒の社会では
創造主の法は私達一つ一つの魂の資質を試していると言えます。


以前、工場の生産ラインにおいての不良品に例えて
その事を説明しました。


私達は完成品(覚醒した人間)になることが求められていて、
それまでは各自の意志によってその行動を決め
多くの経験を積んでいく事になります。


そして極端な事をいえば
どんな生き方をしようがそれは個人の自由です。


ただ、創造主は人としての資質が
特定の水準に達っしているかどうかを
法則によって魂を測定し分類をしているわけですし


そのために覚醒に至る機会を得れる様にと
一定の回数転生する機会と
そのためのエネルギーも与えてくれています。


その間に資質を示せば、後は創造主が何をせずとも
私達はその魂を更なるエネルギーで満たすことができるようになる。。


しかしそうではない存在は
そのエネルギー充電の手法を得る事ができなかった存在として
勝手に消えていく、それだけの話だと思います。


永遠の生への資質を見せない存在は
創造主の作り上げた世界の中では
永遠に存在することはできない。


それだけの話です。


この世界を作り上げた意志があるのだから、
その意志にそぐわない存在は
想念(ここでは魂)としても存在し得ないと言えば判り易いでしょうか。


そんな意識の存在が蔓延すれば
この社会を創造した人間の意図とはかけ離れた
世界が出来上がる事になりますが


その社会は他の社会へと悪影響を与えることにもなりかねません。

それを創造主の法はその事をも想定し
それを未然に予防しているのだともいえます。


私たちの周辺には見えない特定の法則が張り巡らされているわけですから
、私達はその中で存在できないものへと変貌すると
その法則に抵触する事になるのだと思います。


以前も触れましたが、
創造主は私のような心の狭い人間にしてみれば甘すぎです。


どんな極悪行為をした人間でも
そのやり直しの機会を何度も与えてくれているからです。


転生に於いては、生まれ変わるたびに
その魂が学習すべき事を効果的に体験する環境へと
送られることになっていると思いますし


そう捉えれば転生の法則は罰を与えるどころか
至れり尽くせりです。


しかしその中で人としての道を進む資質を
見せる事ができなかったら。


散々学習の機会を与えてもらいながら、
電池切れになる以前に、自らその補充の方法に気がつくことが出来なかったら
その時は創造主の世界から消えてなくなると言う事です。


こんな創造主を恐怖の対象とか横暴である言う人間は


自分が想像主よりも寛容な人間であるか、
単なる自分勝手な人間であるかのどちらかだと思います。


私達は何度もやり直す機会を与えられています。


そして今すぐでもその生き方は変えることが出来るのです。


イエスはその気になれば一日で人間は変わると
いっていたはずです。


結局は私達の意識と意思の問題なのだと思います。


自分の心のエゴを甘やかすか
厳しく諌めるかという選択が
私達の運命を分けるのだと思います。


自由意志なるものは私たちの脳機能ともいえる”心”に付随した、
人間だけが与えられた選択意識ともいえると思います。


心に拘る価値観にしても
複数の生き方の選択肢を脳は作り上げるでしょうし、
そこから選択肢を自由意志で選ぶのは私達です。


精神=魂を感じて作り上げた選択肢をも混ぜて
そこから選択肢を自由意志で選ぶのも私達です。


どんな生き方をしようが勝手ではあるのでしょうが
創造主が作り上げた法則の中で存在し続ける事が出来るのは


創造主の意志を感じて、
それに従おうと努力する存在だけだと言うのが
この世界の実態なのではないでしょうか。


創造主はアダムスキーやブラザーズが言っていたように
”慈愛”と”理解”と”同情”と”寛容”に満ちた存在だと思います。


そして自分と同様の存在になりうる魂を沢山作り上げる事が、
この宇宙空間という物質社会を作り上げた目的ではないでしょうか。


創造主を畏怖の対象として誘導するのは、


脅かさなければいうことを聞かないような
そんな意識の人間の資質を効果的に変えようと
ブラザーズや聖人達が利用してきた結果であり、


本来の創造主はそんな厳格な存在ではありえない。


創造主を厳格に見せなければその社会の魂が全滅してしまうほど
創造主と意識がかけ離れて心が荒んでいたのが
この地球社会だったのではないでしょうか。


【地球人の苦悩を光の前の暗黒の様に消すために
宇宙の創造主を地球社会の道しるべにしよう】


自由意志というものをどう使用するのかは
個人の選択に掛かっています。


そして当初から一度きりの人生と思い込み
開き直って好き勝手に暴走するも
自らの良心に従いストイックに生きるもそれは個人の自由だと思います。。


そして創造主の存在など感じないし認めたくないのであれば
元々が一度きりの人生であるとしか認識していることでしょうし


例えこの社会に存在する事が出来なくなろうが
後悔することも無いでしょう。


しかしそんな生き方をしている人間相手にも
創造主は最後まで罰を与える事は無いのです。


そんな存在の作り上げた社会に
人間として生まれる事が出来た事に
私なら感謝したいと思いますが如何でしょうか?
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