組織とカルト | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。


一つ目は低俗な話ですが
是非皆に知ってもらいたい内容です。


広報用のHAARP記事リンク とぼやき
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10831789542.html



未だに大きな余震が続いています。


あれだけ大きな地震だったのですから
余震が無いと却って怪しまれてしまうと考えての奴らの関与?


それともずれてしまった断層のための
余震なのでしょうか。


福島原発は復旧見通しも立ってきていますが
ここで安心してよいのかどうかはわかりません。


今回の地震や霧島の噴火などで
一番ダメージを受けたのは農家でもありそうです。


つまりは日本の農業が壊滅的なダメージを受けていると言うこと。


その結果日本は嫌でも諸外国からの食糧輸入に頼らざるを得なくもなります。


公共機関や建設業界も水道やガス設備含めて随分とお仕事が出来ましたね。。


得をしている人間達が存在する。。。


そして義援金寄付金は復旧作業に使用される。。。


今回の地震で得をした人間たちは一体誰なのかを
深く追求する価値がありそうです。


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組織と言うものは全体を維持する事こそが一番の目的で
その中の一人一人の構成員が個々の存在として尊重されるものではありません。


そして組織に中の指導者が悪意や私利私欲を持っていれば
其の組織は本来の目的とかけ離れる事になりますし、


組織の指導者が上辺の目的とは全く異なる別の野心を持っていれば
其の目的の達成のために構成員は利用される事になります。


私が組織を嫌う理由はここにあります。


人間は一人一人では社会的影響力も弱い存在ですし
できる事も限られきます。


それが大勢集まる事で一人では成し遂げる事の出来ない事を
達成できる場合も少なくありません。


10人の人間が100キロの石を動かそうとした時に、
一人一人の人間が其の石を動かす事を考えれば
掛かる時間は想像付きませんが、


それを10人で協力すれば全ての石を確実に短い時間で
動かす事も出来るわけで、


此れは経営学で言えば労働の中の協業といわれ
協力し合う事で一人では不可能な事が可能になる見本です。


そんな人間同士の協力が何かを成し遂げるためには有効なのですが
問題は其の成し遂げるべき内容なのです。


組織を持って成し遂げるべき事が
組織のため、組織の構成員にとって利になる事だとしても
それが必ずしも一般社会にとってそして一般市民にとって
良い事であるとは限らないわけです。


そしてそれが一般市民に対して与える影響が悪いものであれば
組織の存在は悪の集結という事になる場合もあります。


更に組織は時には全体を維持するために
特定の人間をも切り捨てる事もあります。


そんな事に気が付いているが故に
組織の危険性を強く感じ、組織に身を置く事を望んでいないのが今の私です。


そして現に日本の中の多くの組織が、
利権を守り組織が儲けるために運用されていると言う実態が
私にはよく見えます。


勿論それは政治組織であり、宗教組織でもあります。
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現在の宗教を見ていて一番感じるのは其の組織を重視する風潮です。


神や仏と心で対峙する事が信仰なのに、
気が付くと多くの宗教ではそれ同様、若しくはそれ以上に
組織の戒律や習慣が重んじられているようです。


それは組織が定めた人為的な規律であり慣習です。


神の教えとは無関係といって良いものです。


しかし一旦組織に所属した人間は
其の戒律や習慣に従う事を他の構成員から求められる事になります。


10分の1の献金をしなさいと言われれば
給料の一割を差し出す。


お布施をしなさいと言われてはお布施を差し出す。


勧誘をして仲間を増やしなさいと言われれば
宗教勧誘をして仲間を増やす。


それは組織にとっては戒律であり大切な事かも知れませんが
元々は神や仏が望んでいる事ではありません。


そして組織に所属する事で
そんな行為こそが重視されるようになりますし


時には信仰そっちのけで金集めや勧誘に嵌るような人間も出てくる事になります。


更に問題なのは組織であるからには、そこには指揮系統が伴う事です。


幹部がいてリーダーがいて下っ端の信者は其の命令に従う事になります。


それが会社組織であれば仕事のを効率よくするために管理も仕方が無い事ですが、
宗教組織でも結果的には組織の管理が進む事になり
おまけに身分の上下がしっかりと出来上がると言う不思議な現象も起きます。


酷い組織になると幹部クラスになればお布施を出すのではなくて
集めたお金の中から金を貰える立場になるようで
元々は同じ信者と言っても立場も平等ではありません。


更にどうせ組織に所属するなら、
そんな立場になったほうが良いと考える人間も居て
出世のために活動を盛んにする人間も現われます。


でもそれは信仰のためではなくて
結局は欲を刺激された事が大きなモチベーションとなって居るだけの話で


酷いと信仰など二の次で
出世や金の儲けに走る人間も出てくる事になります。


しかしながらそんな人間達は、心にも無い立派な事を口にしては
下の人間達をしっかりと組織に縛り付けているのです。


言ってみればカルト組織の一般信者は
幹部に騙されているようなものです。


そして宗教組織にはそんな組織も少なくないのです。


そんな、目的の本末転倒したような組織に所属していて
神や仏を意識する事が出来るのか?


そう考えれば組織は構成員や幹部や目的によっては
必ずしも個人にとって有益とは言えないという事になると思います。

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そして先述のように、組織は上下関係が厳しくなり
戒律が厳しくなると軍隊の如く指揮系統が張り巡らされ
構成員は兵隊の如き立場に置かれる事になります。


ピラミッド型組織においては
上からの命令は末端の人間には絶対守るべき命令となりますが
上司が必ずしも正しい意識を持って生きているとは限らないわけです。


今の世の中のように悪意や欲にまみれている人間が人の上に建つと
そこではどんな事が起きる事になるのか?


上の人間の暴走がそのまま下の人間へと伝わっていく事になります。


とりわけ宗教団体のような組織は独自の法規を持っているようなものです。


国が定める法律だけではなくて、
もっと生活に密着した事細かな規則を持っているような宗教もありますし、
信者はそれに縛られて生きる事にもなるわけです。


しかし更に進むと彼らの法律は国の法律に対して優先される事にもなりかねません。


国としてはそれが違法であり犯罪であると規定していても
彼らには独自の法規が存在していて独自の価値観や目的があります。


そして信仰が強い人間、組織への従属意識の強い人間は
其の目的を達成するためには独自の法律の範囲で活動する事にもなります。


組織的犯罪であれば、不法侵入、盗聴盗撮、傷害
全ては犯罪行為と看做される事になりますが


暴走している宗教組織の人間にしてみれば
高尚な目的を果たし組織を維持していくために必要な行為であると
解釈される事になるわけです。


つまりは法律を超える超法規が彼らには存在していて
それこそが彼らの守るべき法律となっているわけです。


カルトと言われているような宗教組織は
先ず第一に組織の維持や利益を組織に齎す事が目的とされますから
お金儲けや批判者排除などは必ず組織の目的の一つとされる事になります。


そして一方ではカルト宗教組織は訴訟を乱発します。


法規を超える超法規を持っている人間達が法律を利用すると言う
不思議な現象が起きているわけですが


そんな組織に訴訟が多いのは
彼らが法律の利用の仕方を知っているからでもあると思います。


ユダヤ・メーソンが得意なように
自分達の権利を主張するために法律は使用される。


自分達の都合の良い状況を演出するためにも訴訟は利用される。


そしてこのような組織は訴訟やトラブルが多い事からも
不思議と法律に詳しい人間を内部に多く抱え込んでいると言う特質もあるようです。


でもこの時点でどれだけ宗教からかけ離れているかと言う事を
本人達は気が付いて居ないのです。


彼らは神の教えに従っているのではなくて
組織の規律と言う人間が作り出したものに従っているのに
それをも含めて全てを信仰の一環だと勘違いしているからです。


では何故に宗教組織に所属する事で
そんな違和感を感じる事も無く成ってしまうのでしょうか。。。。


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カルトと言われるような宗教組織は
皆心理的に信者を誘導する術を持っています。


それは勧誘にも同様に利用される物のようです。


要するに其の組織に所属している事で
自分が得をするのだという意識を深く植えつける、


若しくは其の信仰が正しいものであると思い込ませるのが其の手法です。


宗教勧誘を受けやすい人と言うのは
何かしら暮らしの中で不安を持っているような人間や


孤立していて頼るべき人間が少ないような人間、
更には精神的な世界に興味を示す人間だと思います。


生活の中で不安があればそれを取り除いて貰えれば感謝の念を強めますし
一人で寂しくしていれば優しくされたり暖かくされる事でそれを心地よく感じる。


勉強家の宗教家や、精神世界に興味のある方を除けば


宗教組織に所属している多くの人間は自分が気が付いていないだけで、
実は組織に所属していて仲間がいると言う事で
そこから大きな安心感を得ているのだと思います。


つまりは無意識の内の精神的な依存がそこにはあるのです。
そこを旨く突いてくるのが宗教勧誘だと思いま、。


そして一旦組織に入ると今度は組織への忠誠を深めさせるためにも
別の誘導が始まる事になります。


ここで頻繁に利用されるのがマインドコントロールや洗脳行為。


例えば信者は生活の中において
此れは駄目、あれは良いと言っては生活習慣も規制されます。


それは結局は組織にとって都合の良い人間にするための誘導でありますし
神の教えや仏の教えとは無関係なものです。


でもそれを実行させる事で行動が意識をも規制する事を知っているから
信者にはそれを強要する事になります。


インターネットは嘘ばかりであるとか
見てよい記事と見てはいけない記事があるなどと言う発想は
既に組織が情報規制をしている事を認めているようなもので


そこには知られたくない情報や組織の知られたくない実態が
第三者の手によって書かれていたりするのですが
それを組織としては信者には知らせたくないわけです。


そのために組織にとって都合の良い情報ばかりを奨励し
一方真実であっても都合の悪いものは皆


「あれは嘘である」とか
「あのサイトは見てはいけない」
と言っては規制することになると思います。


例えば組織的犯罪の科学力の関与を一般信者に知らせたくない場合
同じユダヤの陰謀を信者に質問されたとしても
輿水氏のような科学力否定するサイトを奨励すれば良いわけで


間違っても私のブログなど読ませてはいけないわけです。


若しくは「あれは嘘であると」と信者に思い込ませることでしょう。


更に危険なのは人間の脳の生理機能を理解した上での洗脳行為と言えるもの。


セミナーなどで寝不足の状況を作り上げてそこに信仰を植え込むとか
只管題目を唱えさせてトランス状態を引き起こした状態で
組織の教えを繰り返し刷り込むと言った手法は


通常の精神状態とは異なった状態での脳への関与ですから
深く脳に刻み込まれれ洗脳行為と同じ効果を齎します。


でもそんな事が当たり前のように繰り返されている組織に所属していれば
洗脳は進み、気がつくと意識は変えられている事になります。


そしてそんな行為を意図的に利用している人間達は
一体何を目的でそんな行為を繰り返しているのかと言う事になります


そこには信仰と言う目的は二の次に、
人間の管理、人間の行動を誘導すると言う
別の目的が存在するとしか思えないのです。


自分の意思では無い意志を意図的に植えつけた時点で
個人の尊重とは無縁であると言うことになりますし


いわば宗教を使用して人間を管理支配しているようなものだと思います。


続く