平和な社会を悪意を持って作りあげる人間達 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

今日二つ目の記事です。


一つ目は被害とブログへのコメントの返事です。

最近は満月が近づくと意図的に苛々させられ
被害も酷くなる傾向があるのですが

その間、一時的にではありますが満月効果?もあり
精神的な話を記事に出来たので公開します。

オカルトだと思って読んでください。




私は至って本気である事だけは断言しておきます。


先日、カルト教祖を彷彿させるつもりで書いた一文がありました。


善人のハリボテを被った悪人が善人を演じ


悟りや神とは本当はまるで縁の無い人間が悟りや神の教えを語る。



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これに反応された方が居ましたが
私は特定の被害者の事を意識して書いたわけではありませんので
過敏に反応しないで下さい。

何かを批判する時はこそこそと仄めかすような事せずに
相手が特定できるようにはっきりとコメントするのが私の心情です。

それに失礼ながら私は他の被害者ブログを読むことは
めったに有りませんし、一般の被害者がどんな心情を持っているとか
私は意識して記事など書いていません。

この被害に遭い精神的に被害が酷くなると
何でも自分に関連付けて考えてしまいがちになることは判っていますが

同じ立場の人間として警告させていただければ
関係妄想状態に陥らないようにご注意下さいね。

私がこの文で意識していたのは
神や聖人の生まれ変わりを主張しているような
宗教関係の教祖様達です。


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今日も一部宗教に関して批判的な内容です。
熱心な宗教関係者は読まないほうが良いと思います。

私は宗教信者ではありませんし
精神世界を達観している人間でもありません。

ただ、客観的に見えるものがあるので
其れを皆に伝えたいと願っています。

私は宗教に批判的と言うよりは
宗教を利用している人間達と、信仰に熱心なだけでなく
其れを他人にも押し付けるような人間達に対して批判的なのだと自覚しています。

宗教は人間が本来あるべき道に気が付くきっかけになる事、
そしてそのための機会として有効な物であると言う話は以前にも記事で書きました。

しかし宗教と言う物は特定の教えを一生懸命勉強して
其れを価値観として持って他人にまで押し付けるような物ではないと考えています。

気が付くと其の教えを極自然に生活の中で実践している物で
結果的には神の法則なるものを実践する事になる。

そんな有り方こそが自然であり、そんな人間達は
自分のやっていることを信仰であるとか
教えに沿っているなどと意識する事もなければ

私の宗教批判記事にも反応して苛立つことも無いと思います。

そしてそんな方々の宗教は私の否定している宗教とは違うと思います。

しかし既存の多くの宗教は人間が勝手に新たな価値観を作りあげ、
其れを学び実践させられる物だと言う事で
神の教えなるものとはかけ離れているのではないかと考えているわけです。

だから其れを学んでは自分の価値観を作り上げては
それを正義だと思い込んでは暴走する人間が現れる。

其れを利用しては金儲けをする人間が現れるのだと思います。

何度も繰り返しますが、私は無宗教の人間としての立場から見て、
全ての聖人達、ブッタやイエスやマホメッドは皆
全て同じ神の法則を私達に伝えようとしていたのだと想像しています。

其れがその後人間管理のために人間によって付け加えられ
変貌していった。

宗教は国の管理のために支配者によって
利用されて来たと言う歴史があるのです。

全ての歴史が後年になって改竄された状態で後世に伝えられるように

信仰も聖人も、その後美化され神聖化され飾られ、更には教えまで付け加えられて
特定の人間にとって都合の良い物へと変貌されていった物だと思います。

其れを100%信じても聖人達の意図とは
別の方向へと進む事になるのではないのか?

私はそう考えてます。

誤った方向を極めようとしている人間よりは
何も教えを知らない人間のほうが
まだ、神の教えに近い場所に居ると思いませんか?

結果的に聖人達はよりよく生きて精神を高めろと
主張していたのではないでしょうか。

厳しい戒律や難しい知識など彼らは求めては居なかった。

人間として当たり前の事をして
当たり前の意識を持つ事を主張していただけではないでしょうか。

人間として生まれたからは道徳をもってそれだけは守って生きていく。

宗教の原点はそんな簡単な事だったのではないでしょうか。

そして其れこそが神の法則に近い物なのではないかと思います。

宗教の数だけ神様が居て、
それぞれが自分の教えだけが天国へと誘導してくれると主張している。

そんなものは神の教えではありえないと思います。

更に言えばこの現世で幸せになることを目的としろと
主張していた聖人など居なかった事を主張させて頂きます。

この現世で幸せになるために実践する宗教。

其れこそ人間が作り上げた物で
神の教えとはかけ離れている物ではないでしょうか。

そこでの幸せとは肉体に縛り付けられて
現実社会に拘る事を誘導される物だからです。

そしてこの現実社会は今一体どうなっているのか?

この社会で成功して金持ちになって幸せになることが
宗教の目的だとすれば

其れはこの今の社会を作り挙げている人間達の意志や
”其の人間達の神”の教えに従っているような物です。


そしてこの地球の権力者達の神とは一体どんな神なのか。。。




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ここからが本題です。


今日の”主題”と少しずれていますが
先ずは過去に経験した小さな出来事に触れたいと思います。

被害自覚して半年も立たない頃に青色申告会でバイトした時に
加害者達の凄まじい関与を受けて自分の精神をかなり混乱された事がありました。

以前記事でも触れたのですがその時は日々”死”を仄めかされ続けたのです。

歩いていれば付きまといの仄めかし要員が寄って来ては

「週末にやるんだって。まだ若いのに可哀相」

「とうとう(組織が)出たらしいよ。死ぬね」


とやられ、
お客に混ざりこんできた態度の悪い加害者にも
「未だ若いのにお気の毒様」と同様の事を言われ、


バイト先の社員にも
「最近は電車事故が多いから気をつけた方がいいよ」
とやられ、加害者だらけの環境の中、すっかりと彼らの術中にすっかり嵌って


彼らの仄めかしから、
「もしかしたら自分はバイトの終了日に殺されるかもしれない」
と本気で覚悟をしました。


彼らが本気で私を殺そうとしていたのか
それとも単に精神的に追い詰めるための誘導であったのかは
判りませんが、生きていると言う事は誘導されたと言う可能性が強そうです。

しかし私は被害自覚未だ間もない頃でしたし、
其の頃は出かけるたびに出がけに妻を抱きしめ、
無事戻ってこれる保障のない事を自分に言い聞かせて出かけていました。

その頃には私の通勤の行きと帰りは集スト車や付きまといで一杯。

日々高まる恐怖感に押しつぶされそうになりながらバイトをしていたわけです。

そんな二ヶ月弱の期間中、色んな客に会いましたが
その中に一人とても感じの良い方が居ました。

其の客はバイトの中盤と最終日の二回私の前に姿を現しました。

ただ、其の方も加害者である事は会話から気が付かされましたし
其の方が私のバイトの最終日の最後の客になった時にはそこに大きな意図を感じました。

その出番がまるでお膳立てをされていたように
私は苛々させられたり恐怖を掻き立てられたりし続けていて、
其の極限の意識になって居る時に其の客が再び現れる事になったからです。

私にしてみれば地獄に仏、
そんな状況での登場でした。

「もしかして加害者達は私を懐柔している?」

私にしてみれば正直そんな感覚でした。

其の時、相手の正体を察して開き直って質問した事があります。

「貴方達は何を目的として活動しているの」


彼は私の突然の質問に驚き詰まりながらも反射的に答えました。

「世界平和のため」

その時の事を今でも忘れる事が出来ません。

(決して作り話ではありませんので)
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もしもこの現実世界で世界平和を実現しようとしたら
一体どんな手法が取るのが有効なのか?


其れを考えた事があります。

世界平和と言うのですから、そこには争いや戦争の火種が存在して居ない事になります。

そして今の世界の争いの火種と言えば、
国家間では領土問題や、民族闘争、宗教闘争ですから
そんな事が全て解消されれば平和に近づく事にもなります。

更に、人間個人同士の争いも無くなれば
限りなく見た目には平和が達成される事にもなります。

では其れを達成するためには一体どんな手段が有効なのか?

私は二つの方法を想像しました。

一つ目は徹底した管理による平和の実現です。


領土問題や民族闘争、宗教闘争が火種になるなら
極端な話を言えば国境を無くしてしまえば良い訳で、


欧州共同体やアジア共同体といった国同士の友好関係を作っていけば
人や物の出入りも頻繁になり、実質的に領土問題も少なくなっていくかもしれません。

国境が無くなれば民族間の混血も激しくなりますし
その意味では民族問題も無く成っていきます。
(混血が進めば民族意識も失われる事になります。勿論逆の場合もありえますが)

更に宗教に関しては、
全ての宗教を同じ神を信仰するものであり
全ては尊いものであると言う認識を持てば宗教争いも無くなる事になります。

そんな状況を作り上げていけば
世界平和は限りなく実現する事が出来るのかもしれません。

そして実はこれと同じ事を現実に実行中の人間達が居ます。

其れこそがユダヤ傀儡のフリーメーソンと言われる人間達、
更には其の傀儡となっている人間達です。

彼らが目指している社会は世界統一政府です。

そこには国境はありませんし、当然全ての民族は全て一緒の国で生活をする事になります。

そしてそこには彼らなりの平和な世界が存在している事になりそうです。。。


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フリーメーソンの入会条件は
勿論人間性や身分の高さと言う基準もあるようですが

もう一つの条件は何でも良いから宗教を信仰している事。

何故にどんな宗教でも構わないかといえば
彼らは全ての宗教の神は同じ神へと通じると考えているからです。

つまり彼らの作る世界統一国家の中では宗教も全てが統一される事になる、
若しくは其の世界では宗教ではなくて、
唯一神の教えが信仰される事になるのかもしれません。

こうやって事実を列挙すると
まるでフリーメーソンがとても高尚な目的を持っていて
世界平和を目的として活動しているかのように思えます。


国境を無くして世界を統一する。

民族の壁も当然無くなる、さらに宗教の壁も無くなるのですから
争いごとの種は随分と解消されるように思えます。

ではフリーメーソンは平和を齎す使者だという事なのでしょうか?

勿論彼らの中にはそう信じて活動している人間も大勢居るのだと思います。

自分達が活動しているのは世界平和のため。
そのためにも自分達が中心になって世直しをしなければならないのだと。。


でもここでいくつかの疑問が出てきます。

先ずフリーメーソンの崇拝している共通の神は一体どんな神なのか?という事。

そして平和実現のためには今彼らが実行しているように
策略を持って国や個人を陥れたり淘汰して良いのかという事。

更には平和を求める人間達は何故に皆高い地位を持っていて
自分達だけは不自由の無い暮らしをしているのかという事です。


平和と平等は別の概念ですが、フリーメーソンの追求している平和とは
全ての人間にとっての本当の平和ではなくて
自分達特定の人間達にとっての平和ではないのでしょうか。

つまりは特定の人間達は何不自由の無い平和な暮らしをする事ができ
一方では貧しい人間が其れに甘んじて問題を起こす事無く生きていくような社会の実現です。

そして彼らにと都合の悪い問題を引き起こす人間は排除淘汰されるわけです。

そして現にメーソンの上のユダヤ関係者はそんな世界を目指しています。

メーソンやユダヤの傀儡達はこの社会において人間の淘汰を実行中です。

自殺への誘導、特定の人間の社会からの排除災害や病を用いての人間の淘汰排除です。

其れが意味する所は、もしかしたら彼らにとって邪魔であると認識された人間の淘汰であり
その事が彼らにとっての平和のために不可欠な行動ではないのかと言う事です。

つまり彼らにとっての平和とは、
自分達を脅かすような存在の居ない環境を指し示している事になり、

自分達にとって都合の悪い人間を排除する事で彼ら特権階級の人間達の平和を
目指しているのではないのかという事になります。

更には彼らの神は一体どんな存在なのかという事です。

メーソンになる条件は強い神への信仰を持っている事だというのは
知られていますが、何故に其の神を特定しないのか?

実はメーソンの上の組織の人間達は全ての宗教の神を認める一方、
其の更に上に自分達の神が存在しているという意識を持っているそうです。

つまり究極的には全ての多くの宗教は自分達と同じ神を信仰している事になる。
だからどんな宗教でも信仰していれば良い。

そういう発想だといいます。

現にユダヤ教の神とキリスト教の神とイスラム教の神は皆一緒であるという宣言が
ローマ教皇からされていますし
其れをそのまま素直に受け止めている人間も多いかもしれません。

そして彼らは世界が統一されれば其の最高神を国民全員に信仰させる事になりますし
宗教は全て存在しない事になると言われているのです。

では其の神とは一体どんな神なのか?

ユダヤ教の神、若しくは其れに象徴されるユダヤの裏の神は一体どんな存在なのでしょうか。

私が主張するように、
全宇宙のエネルギーそのものとも言えるような存在なのでしょうか?

そうではありません。

彼らの神は人格神。

元々は宵の明星と言われた天使です。

キリスト教徒であれば恐らくは皆が知っている
元は強大な力を持っていた元天使。

暴走して天使の地位を失ったと言われる存在であるルシファーこそが
彼らメーソンの最高神だとされています。

そしてそのルシファーといわれる存在こそが
キリスト教では悪魔といわれている存在そのものなのです。

つまりフリーメーソンやユダヤそして其の傀儡は
皆が間接的に悪魔を崇拝している事になります。

つまり神を崇拝しているつもりが彼らの拝んでいるのは
悪魔であると言う事になるのです。

悪魔教の存在を信じられない方も多いかと思いますが、
昔から悪魔との契約で力を得たなどと言う話があるように

悪魔教を崇拝していると才能や不思議な力を手に入れたり
この現実世界で恵まれた暮らしを送れる様になる事があるそうで

現実に悪魔教なるものは存在しています。

そして間違いなくユダヤの裏の機関と言われている
イルミネティーは悪魔崇拝組織です。

勿論この事を知っているのは関係者の中でも一部の人間だけです。
多くの人間はその事を知らずに騙されて彼らの”崇高”な目的を果たそうと
活動しているわけです。

それゆえに自分達の行動も全て高尚で神の教えに沿った正しい事であると
信じて疑っていないのだと思います。

しかしながら其の裏にはしっかりと邪悪な意識が潜んでいる。

だからこそ平和の実現と言いながら其の実現の手法にも
邪悪な手法が平気で利用される事になりますし、

それゆえに今の社会の中ではそんな邪悪な意識の混じった人間の教えがまかり通り
彼らにとって邪魔なものがどんどんと淘汰されて居るのだという事だと思います。

其れは人間であり習慣であり道徳であり文化です。

彼ら悪魔教信者にしてみれば正義感や善意の存在などは目障りで、
自分達の目標のためには邪魔でしかない存在なのです。

そしてそんな意識を持った人間、
更には其の意識を継いでは暗躍している人間が増加しているからこそ
この世界はどんどんと悪い意味での変貌を繰り返していますし

日本の社会も暗くくすんできているのではないでしょうか。

これをオカルトと考える前に、自分の身の回りの人間達の姿や風貌や言動を
しっかりと再認識して見ればよいのです。

そこから何を感じますか?

(とりわけ組織的犯罪被害者などは身の回りに集まってくるような人間達を
思い起こせばよいのです。。。。)

今のこの時点でも彼らの傀儡は自分達の行動を平和の実現のためだと
信じているのだと思います。

自分達のしている事は結局は平和を実現する事に繋がるのだ。。

そして自分達は其の中で平和に楽しく暮らせるのだと。

しかしながら実際やっていることは悪魔の走狗。
彼らは心から蝕まれて行っているのだと思います。

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神の意識と悪魔の意識の根本的な違いは

生に執着するかしないか、物質に執着するかしないかの違いではないでしょうか。

私が信じている、ユダヤによってペテン師にされたアダムスキーの神の法則・宇宙哲学で言えば、
私達人間の全員が神の力を授かった分身でありますし

この世で生を受けたのも、肉体を持って様々な体験をしては自分の魂を磨くためのものであり
執着すべきは金や物や命ではなくて魂という事になると思います。

一方悪魔の意思による人間の生きる目的は、
人を肉体に執着させては精神を意識させない事ですし、
肉体を持ったこの社会の中で面白おかしく、楽しく楽して生きる事を薦める事。

この現実世界の中で快楽と快適さに執着して
この世で生に執着させる事を目的とする物だと思います。

悪魔にとっては人々が魂を磨く事は、
彼の元から人々の意識を遠ざける事に繋がりますし
逆に人の魂から意識を引き離す事は彼の望みどおり現実へ執着させる事に繋がります。

そして今の現実社会は、皆が物や金に拘り、
命を少しでも長く保とうとする社会になっていますし、

つまりはこの社会は悪魔にとって
とても都合の良い世界に変貌して居ると言えます。

そして其の社会を作り上げて来た人間こそがユダヤ・メーソン関係者達。

つまりは悪魔信者と其の傀儡が
イルミネティーのような悪魔教徒達に躍らせられてこの世界を変貌し続けては
今のような状況に意図的に作り上げてきたと言う事。

そんな社会の中での平和とは善意と正義の無い社会。

悪人達の意識こそが正しいとされる社会だと思います。

勘違いして欲しくないのはここで言う悪人とは
単に殺人や盗みを繰り返し犯罪も遣りたい放題と言うような人間を指し示しているのではなくて

”根本的な価値観が異なっていて
目的のためには非人道的な行為さえ正当化するような
エゴとも言える意識を持った人間達”
だと理解して貰えればと思います。

悪人といっても常に悪い事をしているわけではありませんし
一見は普通の人間です。

ただ結果的に持っている意識が神の法則・人間の道徳から遠く離れているという事です。

そして現にそんな人間達が今この日本や世界を裏から支配して暗躍中なのです。

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平和な世界を作るもう一つの方法とは
言うまでも無く私達人間全員が精神を高める事に他なりません。

私達一人一人が争いの意識を持たなければ、敵意や憎しみを持たなければ、、
そして誰にでも平等に接する事が出来て自分だけが多くの物を得ようとしなければ平和は自ずと実現します。

物や食料にしても全ての人間に満遍なく行き渡るようになれば
お金のようなものも必要ありませんし貧富の差も生まれませんし不平不満も出なくなります。

しかし現実社会の中の偏った富の配分が嫌でも不平不満を生み出す原因となっていて

其の状況下では人々は精神を高めるような余裕など持てる訳も無いのです。

その意味ではこの社会を意図的に変貌してきた悪意或る悪魔の傀儡達の目的は
見事に達成されていると言えるのではないでしょうか。

今日本はそして地球は誤った平和を求めて突き進んでいる。。。

しかし其の社会を改善する事こそが、
実は本当の平和社会への第一歩なのかもしれないと言う事です。

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P.S.


こういう記事を書くと、
あいつは革命家だとか、共産主義者の極左だとか言っては
揚げ足を取ってくる人間が出てくるであろう事も覚悟しています。

でも私は少なからずこのような考え方は間違って居るとは思っていません。

そして、恐らくは私達が求めるべき物はとても容易な事では無いかと想像しています。

それは修行や勉強の必要な物ではないと言う事であり、
勿論、個人の性格や欲求によって左右されるものではあると思います。

そして無秩序も、厳しい戒律も結局は悪魔に利用されるものであると言うこと
私は心から主張したいです。



邪悪ーーーーーーーーーーー中道ーーーーーーーーーーーーー極端な善

無法状態、無秩序    一般道徳       厳しい戒律、価値観の他人への強制 
悪魔          神の法則             悪魔(偽善)



偉そうな事を言っていますが
私が其れを実践できるているかと言うと勿論出来ては居ないと思います。

三年前から私のブログを読み続けている方が居れば
私の精神状態がどんどんと荒んで行っている事も理解してもらえるかと思います。

当初加害者に語りかけ改心を薦めていた事もある私の記事が
今では加害者と真っ向から叩き合っている状態ですよね。

ただ、一方では厳しく過酷な環境に晒されているので
とても”強い魂”に変貌しては居るという自信はあります。

そして私が自覚している事。
私達は全員が心に悪魔の意識と神の意識の両方を持っているという事です。

結局はどっちに転ぶも本人の意識一つと言う事になるのでしょうね。

その意味では宗教をやっていて洗脳が済んでいない人であれば
誰もが意識の転換を計り易い状態に居るのだと想像しています。

一番気の毒なのは現実社会で起きている事に何も気が付かないまま今も眠らされている人達。

仕事に負われるよう誘導されて、マイクロ波などで思考能力を奪われ
この社会の実態に気が付かないよう縛り付けられている方々でしょうね。