引用記事 日本と韓国は全然違います | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


これは引用記事です。

今日の記事の一部です。


日本と韓国は全然違います

先日、韓国人が「日本と同じです」と言いたがることをお話しし、更にチャットログもご覧いただいた訳ですが、逆に日本人が韓国人に「日本と韓国は違う」と言うと、何故か韓国人は怒り始めます。

先日も日韓チャットで、「日本と韓国は全然違う」と言ったところ、韓国人が「全然違うなんて、酷いです」と言いました。「日本と韓国は全然違う。いくら韓国が日本の真似をしても、所詮上っ面だけだ」と言うと、「ウリナラは日本の真似なんかしてない」と言います。

「ああ、そう。わかった。じゃあ韓国は日本の真似なんかしてない。だから日本と韓国は全然違う。これでOK?」と言うと、「酷いです」と言います。「何が酷いのか」と問うても、それには全く答えようとせずに、ただ「気分悪いです」と言います。「日本と韓国が全然違うと言えば、何故気分悪いのか」と聞くと、「それに対して気分が悪いと言ってるのではありません」と言います。

「では、韓国が日本の真似をしていると言われて気分悪いのか?だったら韓国は日本の真似なんかしてない。だから日本と韓国は全然違う。これで何の問題もないね」と私が言うと、突然発火。「縁起の悪い奴ら、消えて病身ども、めちゃくちゃ情けない!!!1」と喚き始めたので、おっしゃるとおり消えてもらいました。

また他日、別の韓国人にも同じように「日本と韓国は全然違う」と言ったところ、「日本と韓国は共通点が多いの」と言うので、「日本と韓国の何が共通しますか?」と聞いたところ、「顔付き、言語等、箸文化、仏教」などと言います。

しかし「顔付き」に関しては肌と髪の色ぐらいしか共通しません。言語は、語順は近いのですが文法は違いますし、発音は大きく異なります。箸についても、韓国の食事において箸はどちらかと言えば副菜を取ったり麺を食べたりする時用で、ご飯や汁は匙を使うのが普通ですから、日本とは全然違います。

仏教についてはインドで発祥して中国を経て日本や朝鮮に伝わったわけですが、伝来するまででさえ実にさまざまな宗派に別れ、更に日本でも独自に発展しております。それを一言で「仏教」とくくってしまうのは、あまりにも広義に過ぎます。

そこで「仏教が共通するって、韓国の仏教はどんな仏教ですか?」と聞いたところ、韓国人は「日本のような仏教」と答えました。「では、日本の仏教とはどのような仏教ですか?」と聞くと、「そこまでは知りません」と言います。「知らないのに、何故似ていると思いますか?」と聞けば、「学校でそう習った」と言います。

そこで再度「日本と韓国は全然違います。覚えておきなさい」と言うと、非常に不満げに「何故です」と言います。更に何を思ったかこの韓国人、とんでもないことを言い出しました。

韓「同じなら良いことではないですか、ハハハ」

韓「両国の友情がもっと仲良くなって、日本と韓国の統合。素敵ではないですか?」

韓「今後日本は没落する。そうなれば韓国が援助する。どうですか?」

韓「日本さえ合意すれば韓日合併は手軽い」

韓「まず海底トンネルで韓日を連結して、政治統合を実施」

韓「国家言語を韓国語に変更」

韓「日本自衛隊を解体。解体した資金で経済を活性化」

韓「それで私たちはアメリカを飛び越える強大国」


とりあえず言いたいだけ言わせようと思って、ムカつきを抑えて黙って聞いておりましたが、一段落したようなので私が「それは韓国人には一般的な考えですか?」と聞いたところ、「いいえ、当然違います」とその韓国人は答えました。

韓「韓国人は80%が反日だから、私だけの考えと思ってください。私は親日?ハハハ、日本に一年いたから」

韓「日本は在日韓国人によって担当されることになります。
  もう政治に参加する準備が、ハハハ」

ツッコミどころがうんざりするほどあり過ぎて、実際うんざりしたのですが、この韓国人は、これで日本に対する善意と好意に満ち溢れているつもりなのです。

つまり彼らの言う「日本と韓国は似ている」とは、「日本と韓国が同じになること」なのです。ちょうど彼らの対人関係が「上」「下」でなければ「同一」となるのに似たイメージではないかと思います。

日本人も、実はかなり「日本と韓国は似ている」と言います。例えば、韓国に行けば「20年ぐらい前の日本のようだ」と感じる日本人は珍しくありません。言葉にしても、韓国語初学者ほど「日本語と韓国語は似ている!!」と言いたがる傾向が顕著です。

日本からのパクリや日帝残滓に溢れる韓国を見れば「20年ぐらい前の日本に似てる」と感じるのは、韓国が必死で日本に似せようとしてきた結果ですからある意味当然です。しかしそれはあくまで上っ面だけであって、本質部分では、日本と韓国はまるで違います。

日本人が何気なく「日本と韓国って似ているね」と言うのと、韓国人が「韓国と日本は共通点が多いニダ」と言うのは、同じことを言っているように見えても、その本意はまるで違います。これもまた「日本と韓国は全然違う」ことのひとつと言って良いでしょう。

日本人が無邪気に「日本と韓国は似てるねえ」なんてお愛想を言うたびに、彼らは日本と同一化出来るという妄想と期待を膨らませることになります。それは双方共にかどうかはわかりませんが、少なくとも日本にとっては、全く良いことがありません。日韓再併合など、日本にとってはかつての悪夢の再現です。

普通の日本人にとって「日本と韓国は全然違う」などということは、それぞれ違う国なのだから当たり前過ぎるほど当たり前のことで、改めて言う気にならないことでしょう。

それでも韓国人に対しては、頑として「日本と韓国は全然違う」ということを強調していかなければ危険だと、しみじみ思う今日この頃です。
以前から個人的に注目と言うか、強く警戒していた在日外国人特別永住者限定参政権付与法案が、政府提出法案(閣法)として提出されるのではないかという件について、どうやら連立与党内での意見調整が付かず、現政権は今国会での提出を先送りにする ことを決めた模様です。

この件に関しては、以前
「内堀を埋めさせるな」 という記事で申し上げましたが、今回は幸い、内堀まで埋められることは免れました。

しかしこれはあくまで「先送り」であって「断念」ではありません。おそらくはこれまでもそうであったように、今後も在日外国人特別永住者限定参政権を実現しようとする勢力は、何度でもこの法案を提出しようとするでしょうから、今後も気を抜かずに警戒を続けなければなりません。

韓国は日本における在日の参政権に関して強い関心と期待を示しており、
「日本と韓国は全然違います」 という記事でご覧に入れたように、中にはそれをもって日本の政治を在日に掌握させ、最終的には韓国が日本を統治出来るようになればと考える韓国人も実在します。

前回記事で申し上げた「彼らには一歩も譲ってはいけない」というのは、この在日外国人特別永住者限定参政権問題についても全く同様です。地方参政権ぐらい良いじゃないかと言うのは、「一歩ぐらいなら譲っても良いじゃないか」と言うのと全く同じなのです。地方参政権が得られれば、彼らは絶対に被選挙権も求めてきます。その次は国政の選挙権も当然のように求めてくるでしょう。

もし特別永住者限定で地方参政権を認めても、彼らは「ウリに地方参政権を認めてくれてありがとう、これでウリは満足です」などとは絶対に言いません。彼らは絶対に「地方参政権は認めたのに、被選挙権や国政選挙権を認めないのは、ウリに対するサベツである」と言います。これは断言します。

在日外国人特別永住者とはそのほとんどが朝鮮人であること、朝鮮人に一歩でも譲れば全てを譲らされかねないことを、私たち日本人はくれぐれも肝に銘じていかなければなりません。既に外堀は埋まっているのです。今回、内堀を埋められずに済んだと言っても、日本が危機的状況であることに変わりはありません。

日本人が「一歩も譲らない」という態度を鮮明にすれば、最初の内は韓国人も火病るでしょう。床にひっくり返って奇声を上げて泣き喚けば、日本(人)は折れてくれると彼らは期待しているのです。過去に何度も日本がそうやって泣き喚く韓国の期待に応えたことを、今もその期待に応えようとする日本人が少なくないことを、彼らは知っているのです。

しかし日本人側がダメなものはダメだと言って、頑として譲らなければ、韓国人側も態度を改めざるを得ません。いくら泣いても喚いても、ダメなものはダメだということをこちらが貫けば、彼らは死ぬまで泣き喚くか、さもなければ渋々でも泣き止み、引き下がるしかないのです。

長年日韓チャットで彼らを観察して思うのは、日本人側が変われば、彼らも変わらざるを得ないということです。

私が日韓チャットを始めた頃は、来る韓国人来る韓国人、老若男女を問わず異口同音に「日本は過去をウリに謝罪しる」と言っておりました。しかし、現在ではそういうことを言う韓国人はほとんどいません。

それは日韓チャットに限ったことではありません。現実社会でも同じです。かつて在日どもがこぞって「ウリの先祖は強制連行で日本に連れて来られた」と異口同音にほざいていたのも今は昔の物語。いつの間にか「ウリの先祖は日帝支配で土地を取り上げられたために経済的に困窮して、仕方なく日本に来た」という話に変わっております。

このように、今までなら通じた手が通じなくなったと気づけば、彼らの態度も変わってきます。もちろん、本質的な部分で彼らが変わるということはありませんが、彼らが軒を借りようとするのを、私たちが頑として拒めば、少なくとも彼らに野放図に軒下に入り込まれることだけは阻止出来るのではないかと思います。

そのためにも私たちは彼らに対して、一貫して毅然とした態度を示す必要があるということを、重ねて申し上げたいと思います。

3月1日に、韓国から巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」に向けて、大規模なサイバーテロがあったそうです。日韓チャットでも、こちらが聞いてもいないし、部屋の話題にもなっていないのに、それはそれは嬉しそうに「2ch敗北~」と言ってきた韓国人がいました。

私は現在、まとめWikiやまとめブログを見るばかりで、「2ちゃんねる」そのものにはほとんど出入りしておりません。ですから「2ちゃんねる」が落ちても何の影響もなかったのですが、その韓国人的には、ネットをする日本人は全て「2ちゃんねる」をいつも見ていて、今回の件できっと地団駄踏んで悔しがっているに違いないとでも思っていたのでしょう。

今回のことで韓国は、ただでさえ嫌韓の多い「2ちゃんねる」ユーザーの多くを力一杯敵に回した形になったわけで、個人的にはむしろ喜ばしいことであったと思っております。日本人に、韓国人についての理解を促すには、私などが百万言を費やすよりも、彼ら自身のこういう行動の方が、よほど効果があるというものです。

あとは、「
2ちゃんねるをF5攻撃で落としたら、何故かウリナラのF5戦闘機も落ちたでござるの巻 」にはちょっと笑わせていただきました。本当に彼らは、素が一番面白いと思います。

さて、日韓チャットでは、入室してきた韓国人が話の取っ掛かりを求めて「韓国に関心がありますか?」と聞くことが非常によくあります。これに対して、今まで私はだいたい「はい」と答えてきました。しかし最近は、その問いかけに対して「はい」と答えることに、いささかの躊躇と抵抗があります。

この質問に「はい」と答えると、たいていの韓国人が「では韓国について質問してください。教えてくれますよ^^」といった類のことを言います。しかしその言葉を真に受けて、韓国(人)について質問しても、まともな答えが返ってくることはほとんどありません。

例えば「韓国人」について質問すると、どんなことを聞いても、全て「人ごとに違います」という言葉で終了です。「日韓チャットにはこういう韓国人が多いが、それは韓国人としては一般的か」などと具体的に聞いても、必ず例の「一人を見て全体を判断しないでください」「一般化しないでください」という答えが返ってきます。

韓国全般について質問しても、全く答えられないか、あるいはネットで検索したことをべたべたと貼り付けるだけです。しかもたいていの場合、彼らはその検索結果を全く吟味せずに貼り付けるので、まるっきり的外れな回答であることが珍しくありません。

そもそも検索してわかる程度のことであれば、私もインターネットに接続しているパソコンを所有しておりますから、わざわざ韓国人にインタビューしなくても、自力で検索出来るのです。

さらに言えば、韓国は基本的に浅くて薄くて上っ面です。私はここ数年、少なくとも三日に一度は、幾ら韓国だからと言っても、こんなに浅いはずがない、こんなに薄いはずがない、こんなに上っ面だけのはずがないと、必死でこねくり回しているのですが、新しいことなどほとんど見つかりません。

それでも、わかったつもりになってはいけない、きっとまだ私が見落としている部分があると自らを戒めて、日韓チャットで韓国人にインタビューをしてみるのですが、やはり毎度毎度の金太郎飴です。そのせいで、弊ブログは毎度毎度同じことのくり返しですw 目新しいことを書きたいのは山々なのですが、無い袖は振れないのです。

以前日韓チャットで、私の質問を量産型が散々に話を混ぜくり返しまくったことがありました。静かにムカついた私が皮肉を込めて、「韓国人の傾向としては、率直で思ったことをそのまま言うけれど、礼儀正しく、長幼の序を重んじる人だと思っていましたが」と言うや否や、その韓国人は間髪を入れず「ほとんど当たる」と答えたぐらい、彼らは自分自身を直視出来ていないのです(ちなみにその後続けて「あなたのように、思ったことを歪めて、回りくどく話して、礼儀がなく、長幼の序をわきまえない韓国人も多いという理解で良いでしょうか?」と私が言うと、その韓国人は反論も出来ず火病発作も起こせず、「あなたは私を傷つけた」と言って半泣きで出て行きました)

そんな彼らに韓国(人)のことを聞いても、得られるもののあろうはずがありません。また「飽韓」という言葉は字義通り、韓国についてさまざまに調べ考察した結果、飽きてしまっているわけです。関心を持ちたくても、その余地が極めて小さくなってしまっているのです。

韓国人にしてみれば「日本人が韓国に関心を持つ」ということは、チビるほど嬉しいことのようです。そんな韓国人に「韓国に関心ありますか?」と聞かれた日本人が「はい」と答えるということは、言ってみれば彼らにエサをやるようなものです。

「エサをやる」と言っても、そのエサが彼らの望むようなエサではないということを、こちらは最初からわかっています。彼らに与えるエサが、彼らの望むようなエサではないことを知っているということに、私は微かな欺瞞を感じており、それも躊躇と抵抗の一因になっています。

かと言って、「韓国に対する関心は、全くない」と言ってしまえば、「韓国に関心がないのに何故日韓チャットに居るのか」とか、これは私限定の話ですが「韓国に関心がないのに何故韓国ウォッチブログを書いているのか」とか言われてしまうわけです。

つらつら考えるに、確かに韓国に対して素直に「関心」と呼び得る気持ちは、もうほとんどありません。しかし、関心がないからと言って、韓国から目を離す気にもなれません。彼らから目を離すということは、山中で突然熊と出くわした時に、背中を見せて逃げるに等しい行動だと知っているからです。

それに韓国から目を離してしばらくすると、まるで彼らの存在そのものが、嘘か悪い冗談か何かの間違いのように思えてしまうということもあります。韓国に対してそう思ってしまうこともまた、危険なことであるということは、以前にも述べたことがあると思います。

つまり私が韓国(人)から目を離さないのは、韓国(人)に関心があるからではなく、監視と警戒心の維持と観察のためということになろうかと思います。

もっとも、韓国人に「韓国に関心ありますか?」と聞かれ、今述べたようなことを彼らに説明したとしても、彼らがそれを理解することが出来るとも思えず、結局また若干の躊躇と抵抗を覚えつつも、「はい」と答えるのでしょうけれど。

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引用ここまで。





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