長崎原爆投下ー遠い日の少年 | 心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー

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衛星テレビ BS-Iで「原爆の夏 遠い日の少年」が放送された。
1945年9月22日に佐世保に上陸した米国海兵隊所属写真班ジョー・オダネル氏の物語である。


1945年8月9日その日は蝉時雨の暑い日だった。どこからか微かに飛行機の爆音が聞こえてきた。
11時2分閃光とともに長崎の上空で原子爆弾が爆発した。死者7万4千人、負傷者7万5千人、家を失ったもの12万人、
そして2008年現在、多くの方々が今もって原爆後遺症に苦しんでおられる。
そんな長崎にジョーは足を踏み入れた。小鳥の囀りも、虫の鳴き声も聞こえない死の世界だった。
原爆を投下された長崎の惨状に原爆を落としたアメリカ政府の対してジョーは心から怒りが込み上げてきたという。アメリカは、いくら戦争とはいえ、普通の家のある町を焦土にしたのは間違っている。そんな感情も込み上げてきた。
多くの親が亡くした子供たちが幼子の弟、妹を背負っている光景が至る所で見られた。
長崎の浦上川では原爆の脱水症状で水と求めて多くの人が川に飛び込み、そのままあがってこなかった。
死者を葬るために多くの場所に臨時の焼場が設けられていた。
そこに順番を待つ一人の少年がいた。死んだ弟を背負って直立不動で待っていた。唇を固く噛みしめて血がにじんでいた。
ジョーは少年に何か話しかけようとしたができなかった。
荼毘の順番がきて、係りの人が少年の背から丁寧に弟を下ろして、熱い鉄板の上に置いた。
火が燃え盛り少年の頬をを熱く照らしたが少年は口を固く結び、直立不動のままだった。
まるで軍人のようだったという。この光景を写したジョーの写真は有名でご存じの方も多いと思う。
長崎の浦上天主堂は、全壊し信者の8,000人の殆ども亡くなられた。
崩壊した天主堂でなぜか、聖人の首が廃墟からジョーを見つめて懺悔を求めているように見えたという。

ジョーは帰国後、しばらくの間は、撮影した原爆の惨状の写真を現像できなかったという。
あるとき、長崎に原爆を落とした飛行機が展示された。
ジョーはそこにでかけ、思いきり飛行機を蹴り上げたという。
制止する警官に「この飛行機がどんな悪いことをしたのか知っているのか、またどこかで展示してみろ、また蹴りあげに来てやる」とどなったという。

ジョーは2007年8月9日89歳で永眠された。

私は、この放送を見て、先日上野公園で広島の原爆惨状を示した写真を展示してある場所での光景を思い出した。
一人の米国婦人が、この写真を見て涙を流し続けていた光景である。
 
力では、世界の平和は訪れない、憎悪は憎悪を増殖する。
お互いに尊重しあい、尊敬しあう世界の平和をを願うばかりである。