【再訪】大分・門司港⑤<豊前長洲おさんぽ編> | JKちゅっちゅ☆

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 柳ヶ浦に到着しました。九州って、国鉄風の駅名標も共存している駅がけっこうある印象なんだけど、何か理由があるんですかね?

 

 この柳ヶ浦駅、1897(明治30)年9月の開業当初は「長洲駅」、そのたった半年後に「宇佐駅」と改称されています。どちらの駅名も現在は別の場所(「長洲駅」は「豊前長洲駅」)にありますが。その後1909(明治42)年にここから大分方面に日豊線が延伸され、いまの宇佐駅に名前を譲ったという歴史があった模様。

 ここからお隣の豊前長洲駅までお散歩していこうと思います。

 

 豊前長洲駅へ向かう前に、小倉方向へ10分ほど歩いた踏切を訪れます。いたって普通の踏切だけど、この踏切をどうしても見たかったんだ。

 

 この踏切の名前は「航空隊踏切」。太平洋戦争の時代、この地にあった「宇佐海軍航空隊」からとられた名前なんだとか。

 

 そしてこのまっすぐな道路は当時の滑走路の跡地を利用しているそうです。パイロットはどんな気持ちでこの景色を見ていたんだろう?

 宇佐市には太平洋戦争にまつわる遺跡がいくつかありまして、興味のある方にもそうでない人にもおすすめ。前回訪問時にいくつか訪れました。

 

 柳ヶ浦の街なかを抜けてやってきたのは、駅館川にかかる小松橋。「駅館川」を「やっかんがわ」と初見でなかなか読めないと思う(´・ω・`)。

 

 川の先には周防灘。「周防灘」を「すおうなだ」と読むのも少し難しいと思う(ノ∀`)。

 

 この小松橋、車道と歩道が分離されているので歩いていても安全です。その昔、子供を自転車に乗せたお母さんが買い物に出向いた際、この橋上でいつの間にか子供が自転車から落下してしまったのに、お母さんはしばらく気づかずに自転車をすすめてしまったという悲しい出来事があったそうです。幸い、橋から川に落ちたわけでもなく、大分合同新聞にも載らないような出来事なので完全に余談www

 

 小松橋を渡ってから上流方向へ歩いていくと、川岸から日豊線を撮影できます。

 

 折り返して歩いていると、ワンちゃんがお散歩中。連れていたおじさんが、「この先の陸橋から電車がよく見えるよ」と教えてくれました。あとで行ってみよう。

 

 お昼ご飯を食べようとあてにしていたお店の開店が12時だったので、それまで街をぶらぶらします。ここは長洲神社。境内は保育園と共用になっていて、拝殿に行くには保育園の園庭を通る必要があり、残念ながら一般人は近寄れない模様。

 

 立派な建物の歯医者さん。古くからやっているんですかね?

 

 こういう路地が好き。

 

 12時になったので、お目当ての「ふりこ」さんでランチタイム。ここの唐揚げも、衣サクサクで大変美味しかったですわ。唐揚げやさんを併設しているので、少しおやつ用に包んでもらえばよかったな。店内のテレビは、前日に発表のあった「嵐活動休止」のニュースが流れていました。

 

 

 ランチの後はダックスフンドのおじさんから紹介された、件の陸橋付近へ。ここから豊前長洲駅方向に線路沿いを歩いていきます。

 

 豊前長洲駅の横にある公園から線路の向こう側に歩道橋があり、その上からでも写真がとれそうですね。

 

 お散歩の終着地、豊前長洲駅に到着です。相変わらずいい雰囲気の駅だわ。地元の方の手入れが行き届いています。

 

 気になっていたのが、ぬいぐるみたちの行方。「放置されている」ようでもなく、なかよく並んでいるのをみて何故か心打たれたのが2年半前。この写真はそのときのものですが、果たして今回はいるのでしょうか?

 

 ぬいぐるみたちは健在でした。なんか増えてるし。大事にされてる感があって安心しました。それはそうと、プーさんはどこへ行った?www

 

 

 

 前回気がつかなかった「豊前長洲駅驛建設記念碑」を見つけました。よく見ると、揮毫しているのが犬養毅に見えるんだけど( ゚Д゚) 

 この駅の開業は1911(明治44)年4月で、この碑ができたのは説明文を読むと1930(昭和5)年。

 この碑にあるのがあの犬養毅だとすれば、「五・一五事件」で犬養毅が暗殺されるのはこの2年後のこと。

 

 

 この顔出しパネル、前もあったよなぁ。乗降客数多くなさそうだし、なにより観光客が降りるような駅でないのに、どの層を狙ったものなんだろ?

 

 ここからは普通列車とソニックを乗り継いで大分に戻りますよ。

 

(次回に続く)

 

 

お読みいただきありがとうございました。