8月25日(水):石打・西浦弓道場のご紹介③ | 弓道 今日のポイント

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【奈良・石打・西浦弓道場のご紹介③】

 

今日、紹介する、石打・西浦弓道場に飾られています書は、

 

奈良県弓道連盟 顧問の須田三郎(教士八段)先生の

「箭虚不発」

 

 

奈良県弓道連盟 顧問

須田三郎(教士八段)先生の書

「箭不虚発」と書かれている。

 

 

「箭虚不発」なのか、「箭不虚発」が正しいのかは定かではないです。

読みとしては、

 

「箭(矢)はみだりに虚しく発せず」

 

だそうです。

 

意味合いは、

 

「一本の矢をいい加減に離してはいけない」

 

との教えです。

 

どうしても、自分の思い通りに引けなかった時、

また、中てたい気持ちが勝ったとき、

会での伸び合い、詰めあいが不十分なまま妥協して

離れを出してしまってます。

 

そもそも、射込み練習などでは、

本座での所作もそこそこに、

射位に進むときの気持ちからいい加減。

中てたい気持ちだけで弓矢を持ってることが多いのが現実です。

 

この言葉を心して、射に向かわないといけませんね。

 

須田先生には、いつもふとした時に、

心に突き刺さる指摘を受けてます。

 

いつも穏やかに話される先生ですが、

指摘されるところはいつも厳しいです。

 

「箭不虚発」

道場での心構えとして、意識して取り組みたいと思います。

 

では、また。

 

【追記】

とある先生から以下の内容を頂きましたので追記します。

 

中国語の熟語としての意味は、日本の弓道の理念や奥義を表現するものとは異なり、

発する矢に無駄がない=弓射の正確な技術と百発百中を表現する言葉のようです。

出典は中国古典にある、三国志の馬超や漢の武帝時代の名将李広の卓越した弓の腕前を示す表現の中で述べられている言葉からと思います。
中国的感覚からすれば、百発百中は最高の技術水準を称賛する完成した熟語のようですが、 

日本の弓道の観点からは、正射必中の条件が前提になります。

 

阿波研造先生は、「養由基は柳の葉を百歩の外から射抜くこと百発百中であったのに反し、

孔子の射は百発成功であった。即ち孔子は弓に依って正しき心の把握に成功した。

弓道の精神は、養由基の百発百中に在らずして、孔子の百発成功にある。 

射は人格完成の手段であって、正しき射を修行すれば、

一射ごとに人格の向上を計りうる」と述べています。(日本の弓術より)


「箭不虚發」は、中国の古典にある熟語ではあるが、

弓道家にとっては、弓道の理念や教訓を内包するものとして解釈されるべきと思います。

 

従って、
個人的には、 「正射必中  箭(矢)は 不虚(真理)をもってを発す」 と解したくなります。


西浦道場の解説 「箭(矢)はみだりに虚しく発せず」 は また弓道の重要な教えですね。


「箭不虚發」は、 弓道人にとっては含蓄のある言葉、

どのように解すかは各自の弓道に対する心の持ち様如何かもしれません。

 

 

 

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