旅立つ前にすること
いつもご覧くださる皆様、
本当にありがとうございます。
心から感謝致します。
皆様にとって良い事が
たくさんありますように!
未来への致死率は100%です。
これが生きとし生けるものに対する、
徹底的な平等です。
物もいずれは壊れます、
これも死であるならば、
無機物に関しても
この徹底的な平等が適用されます。
死は隔絶されたものや、
遠い世界のものではありません。
長い魂の旅路の通過点で、
終わりではありません。
今の自分というキャラクターの
大きな更新ポイントのようなもの、
大きな大きな通過点
です。
生まれてくることは
この世での肉体の死に向かって
歩いていくことです。
この世での契約期間の開始が
誕生ならば、
契約期間満了が死です。
そして有期契約でもあります。
生きていくことは、
瞬間、瞬間で、
延命を続けていくことです。
人は、延命というと、
人工呼吸器や心臓マッサージ
を思い浮かべますが、
実は、
左右を見て横断歩道を渡るのも、
けがをしないように気をつけるのも、
風邪をひいて休むのも、
ごはんを食べる・栄養をとるのも
広く言えば、
延命行為です。
そして、
来るべき時に来た人は、
去るべき時に去るものです。
『竹取物語』の最後で、
かぐや姫を迎えに来た天人が、
屋根の上に飛ぶ車を近づけて、
「さあかぐや姫、どうしてこのような
けがれている地上にいられるのでしょうか」と
言うと、
閉めていた戸や格子が次々に開いて、
おばあさんが抱きかかえていた
かぐや姫が外に出てしまうという
場面では、
人間の無力感を思い出すものです。
月岡芳年『都畿の百姿 月宮迎 竹とり』
群書類從卷第三百九 物語部三
屋のうへにとぶ車よせて。
いざかぐや姫。
きたなき所に
いかでか久しくおはせむと云。
たてこめたる所の戶
則たゞあきにあきぬ。
かうしどもも人はなくしてあきぬ。
女いだきてゐたるかぐや姫
とに出ぬ。)
どんなに何かをしようとも、
一時的に状況をよくすることはできても、
相手に思いを伝えて、
魂に刻むことはできても、
次の世界に行く人を人間の力では完全に
引き留めることはできないようなのです。
いただいた命に向き合い、
それを有効に使うために
日々、延命を行うことは
重要であるものの、
人は来るべき時と
去るべき時をかえられないと、
私は思います。
だからこそ、
1つでも2つでも、
あなたにできる範囲でよいので、
好きなこと/楽しいことをやってから、
旅立ちましょう。
自分が体を動かせないなら、
せめて、
好きなこと/楽しいことを考えてから
旅立ちましょう。
今までもやりたいことがあったけど、
できないから、
また行ってもできないと思うのは、
早すぎます。
やり方をかえてみると、
案外できることもあります。
時期がくると、
するすると、
ことが進むこともあります。
必要なことは起こります。
やりたいことをやりたいけれど、
生きるためには他のことを
やらなくてはいけない状況で
すでにやりたいことをやっている
人を見て、
心がもやもやすることもあるでしょう。
それはあなたが悪いのでなく、
それぞれの課題なのです。
むしろ、
そういったくやしい経験、
悲しい経験をして、
嵐の中を生きたあなたは、
ひとまわりもふたまわりも
大きくなっています。
そもそもハードモードに耐えられるから、
ハードモードの課題が課されるのです。
くやしい経験、悲しい経験は、
嵐を抜けてみると、
感謝で満ちた宝物であるはずです。
いつもいつもそれを前面に出せなくても、
心の中から灯さえ消さなければ、
叶う可能性がゼロでありません。
そもそも本当に縁がないものは、
頭の中に浮かばないものです。
どれだけ過酷な宿命であっても、
前世や家系に重すぎる
カルマがあっても、
好きなこと
楽しいこと
やりたいことをやる、
もしくは
考える
思いをめぐらせて
幸せな気持ちになること、
それが許されるのが、
この世で生きる人間です。
このことが
どなたかのお役にたちますように!
この世に本当の偶然はありません。
全ては必要だから起こっています。
ご縁がなければ出会えないように
なっています。
そういうあなたとご縁があったからこそ、
本日、
このブログで出会うことができました。
ここまでご覧くださり、
本当にありがとうございました。
皆様にとって良き日、
良き時間でありますように!
合掌
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