こんばんは
愛の女神、うろばんがです
今日はちょっぴり依存症についての、私の体験談を書いてみたいと思います。
数年前から息子が借金トラブルを繰り返すたび、私たち夫婦は苦悩しました。
どうしてこんなことになってしまったのか?
自分を責め、旦那を責め、息子を責め、世間に顔向けができない、親に申し訳ない、恥ずかしくて人に話せない、でもどうしたらいいの?
そんな思いで押しつぶされそうでした。
自己肯定感が低く、自分はわがままばかりのダメな人間と思い続けていました。でもそれは謙虚さであり、もっともっと控えめにならなければと思い続けていました。
それなのにルールを守れないような息子に育ててしまったことが、辛くて悲しくて……
ダメな息子を育てたダメな母親。
情けない。
でもこれも、死ぬまでの辛抱。
あと30年……いや、もっと早いかも。
でも私が死んだら、ほかの家族に迷惑かける。
きっとみんな、私を恨む……それもいや!
今、思うと笑えてしまうのですが、あの時はまじめにそう思って、必死に生きていたのです
イタイ自分だけど、頑張ってたねと心からいたわりたいと思います
あれこれ本やネットで調べて、息子の症状は依存症ではないかと辿り着き、第三者に助けてもらおう、相談しようと私たち夫婦は息子と話し合い、らいくみ塾へ相談に行くことにしました。
その頃から私は、メモ書き程度の日記をつけていました。
息子に話をしようとしても、つい、攻め込む聞き方になってしまいます。
そしてだんだん怒りが溢れてきます。
そうなると息子は貝になります。
それでも、私は息子の気持ちを知りたくて知りたくてたまらなかったのです。
旦那と息子にお願いして、交換ノートとして、私の日記にいっしょに記録してもらいました。
崩壊寸前の私をみているので、旦那も息子も、渋々承知してくれました。旦那も息子も
書くのは面倒と思うだろうなと感じましたが、何か少しでも心を通わせるツールがほしかったのです。
私は息子に小言ばかり。
旦那はブチ切れることばかり。
それをみて私もブチ切れる。
そんな言い争いに比べると、ノートに書くという作業は私をいったん、落ち着かせてくれていました。
旦那は、脅されて書かされてたと笑いますが、話す時はいつも辛口な旦那なのですが、ノートの文字は、やさしくて、愛のある言葉がたくさんありました。
これには私もかなり助けられました。
旦那の字はきれいなんですよ。実は
息子もなるべく前向きな言葉を書いてくれていました。
ポツンポツンと数行でしたが、息子の気持ちのかけらを伝えてもらうのが、どんなにうれしいか身に染みました。
そこから2年くらい、らいくみ塾へ通いました。
私はそれとは別にらいくみさんの講座に通いました。
何度も何度も3人でケンカを繰り返しました。
しばらく口を聞かず、不穏な空気になるのは辛く、落ち着きませんでした。
根負けしそうでしたが、お互い、必死になって感情をぶつけ合いました。
最初のうちは、息子はすぐ黙って部屋へ戻っていましたが、だんだんと父親にも言い返すことが多くなってきて、粘るようになってきました。
息子のお金の管理は父親である旦那の仕事です。
めんどくさい!と怒りながらやってくれています。
世間からみたら、何、それ!ってバカにされることかも?
でも我が家では当たり前のルール。
そのうち手放せるかな〜
そうこうしているうちに、だんだんと3人の会話が増えて、私の小言もぐーんと減りました。
家事も分担してやってくれて、私も素直にありがとうと言えるようになりました。
それまでは、家事はみんなでやるのが当然だから、なんで私がいちいちお礼を言わなきゃいけないの?ってなもんで
はずかしいくらい戦うオンナでした笑笑
男性に負けたくない!それが心底ありましたね。
今はずいぶんとかわいくなりましたよ
旦那と私と息子の三角関係
医療職場のまとめ役
妻、母親、嫁、娘、妹、姉、etc
あたふたしながら
心のお稽古も続けています。
数々の気づきを得て
しあわせを感じて
愛の偉大さを思い知った私
なぜ今日、このようなブログを書きたくなったかはわかりませんが、
でも書きたくて書いてみました。
あら、うろばんがさん!と笑っていただけたら、うれしい次第です
うろばんがは、愛の女神だったから、このような経験をさせてもらえたんだなと思っています。
ありがたいと心から思えるのです。
長々と書いたのに、最後まで読んでくださって感謝します
金曜日、知り合いの同年代の女性が、突然、病気で亡くなられました。
風のように、去ってしまわれました。
まわりの方々の喪失感は大きく、時間の経過に委ねるしかないような気がします。
愛の女神、うろばんがでした
おやすみなさい😴💤
本日の収穫