デモで考えたこと。 | 『声』の残し方-いつかの、だれかに…

デモで考えたこと。

「4月16日「原発いらん!関西行動」」に参加してきた。

日本では、初めて、デモに参加した。中ノ島から難波まで行進はした。けれど、シュプレヒコールがどうも苦手で、なんだか自分が「傍観者」のように感じられた。そういう意味で居心地が悪かった。私は声が人より大きい?ので、シュプレヒコールで声が出せれば、と思うんだけど。

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子どもから年配まで、約3500人という、幅広い世代が集まった。これが多いのか少ないのか、よく分からないけど、こんなに人が集まるもんか、と感じた。

デモ行進のとき、私の前を歩く一人の年配女性が、道行く人たちに「原発について考えましょう」と呼びかけていた姿が印象に残る。

「日本では1956年に原子力政策の策定・実施体制(原子力体制)が確立した」(*1)。日本の原発は、半世紀以上の歴史を経て、今に至った。

デモでは、原発のこれから、日本のこれから、をどう考えるのかが強く叫ばれた。しかし、原発のこれまで、日本のこれまでをどう考えるのか、という、重く深い問題とも、同時に向き合っていかなければならないのではないか。

原発の歴史と向き合う、とは、戦後の日本を丸ごと問い直す、ことなのかもしれない。原発と米軍基地は同じ問題だ、と話してくれた高江の運動家の言葉が、脳裏を過ぎる。

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アジアの中にあって外にある、日本。戦争責任の問題を含め、これまで棚上げしてきた問題を、棚から下ろしてみる時期を、今迎えているのかもしれない。