看取り | 小鳥玩具店宇里と愉快な仲間たち

小鳥玩具店宇里と愉快な仲間たち

ウリ、カデナ、ヒカリ、そして天国のキズナ
幸せな日々を小鳥玩具店宇里が呟きます

こんばんは。

 

深夜に「スクールウォーズ」が再放送されていて、思わずハマってしまい寝そびれている宇里です。

 

夜勤がない日くらい早く寝ようと思うのですが、パッパと切り替えができないものです。

 

 

まずは告知から。

 

訳あり現品二点、販売中です。

 

※はねもんの段々畑のアスレチックは売り切れました。

 

 

 

どこが訳ありなのかはホームページでご確認ください。→小鳥玩具店宇里

 

訳あり部分をよくお読みの上、それでもいいよーって思われたらご購入ください。

 

現品はあっという間になくなってしまう毎度・・・。

 

・・・・・・・・・・

 

カデナはとっても嬉しそうで、体からキラキラしたものがあふれ出てます。

 

むしろ換羽のウリがぐったりしていて、またまた心配です。

 

 

先日も書きましたが、インコズにどれだけ医療を受けさせるか。

 

とある友人に、鳥にそこまで医療を受けさせることが理解できないと言われました。

 

たしかにそうだろうなぁと思います。

 

愛鳥が病にかかったとき、どのように看取るかは飼い主が決めることでそれが正解だと思っています。

 

どんな結論も、辛い辛い決断です。

 

私が医療にこだわるのには理由があります。

 

※ここからは人間の死に際についても書きますので、嫌な方は読まないでください。

 

 

私の父は16年前にガンでこの世を去りました。

 

発見されたときは末期で、あと一か月との余命宣告をされていました。

 

私たち家族は、父を病院で死なせたくないと、モルヒネの湿布をいただいて家に連れて帰りました。

 

みなが覚悟を決めた一か月、父はそのあと一年生きました。

 

それも旅行にいったり、車を運転するなどの日常生活ができての一年でした。

 

徐々に弱ってホスピスに入院し、二週間まさに地獄のような介護が続きました。

 

延命治療をしないホスピスですから、繋いでいる点滴の針は、モルヒネだけです。

 

栄養剤も水分も、なにひとつ体には入れませんでした。

 

家族との最後の時間を過ごすため、モルヒネは意識を残す状態で使用してくれました。

 

意識があるということは、苦しいことも感じるということです。

 

父はまさに般若のように、目をカッと見開き、歯をむき出して食いしばり、叫びました。

 

私たちは、看護師の手を一切借りず、父の介護をしました。

 

おむつを取り替え、体を拭き、湿った脱脂綿で口の中を潤しました。

 

二週間、交代でほとんど眠ることなく介護していた日々に、私たちは疲れ切っていました。

 

ある日、父がこう言いました。

 

いつまで続くんだ

 

それはまるで私たちの心の中の声を父の口から聞いたようでした。

 

私たちは、モルヒネの量を増やして意識を無くしてあげて欲しいと病院に頼みました。

 

なにもわからなくなった父は、大きないびきをかいて眠りました。

 

もはや連れて帰って家で死なせてあげたいという気持ちは誰も持っていませんでした。

 

数日後、父は亡くなりました。

 

その時、付き添っていたのは私だけでした。

 

突然、大きくのけぞり、口から泡を吹き、すでに白く濁った眼を見開き、痙攣しました。

 

私がとっさにしたことは

 

見開いた瞼を、必死に閉じようとしました。閉じては開き、閉じては開き、やがて痙攣が治まると静かに息を引き取りました。

 

 

あの時、父を病院で死なせたことは仕方のなかったことだと思います。

 

あの断末魔の叫び声を自宅で介護することは無理だったでしょう。

 

けれど私は今でも自問します。

 

あの時、家に連れて帰らず医療を受けていたら、奇跡が起きて助かったのではないかと。

 

16年経った今でもです。

 

 

 

命に人間も鳥も犬も猫も変わりはないと思っています。

 

家族のいない私にとって、インコズは唯一の家族です。

 

この子たちの看取りをするとき、私は父と同じ自問を繰り返したくないと思いました。

 

 

私はこの子たちに最後まで医療を受けさせ、どうしてもというときに連れて帰り看取りたいと思いました。

 

父とは反対の看取りです。

 

この子たちがどうしてほしいのか、それはわかりません。

 

看取りの方法は飼い主の心の納得ができることがベストだと思います。

 

いろんな看取り方があります。

 

その中のひとつとして、私の考え方があるだけのことです。

 

何度も言いますが、正解は飼い主だけが知っていることです。

 

周囲に、こうすればいいのに、という意見に左右されるべきではありません。

 

この子のために何がベストかはもちろん、飼い主にとっても何がベストかはとても重要なことです。

 

なにかの命が消える時、深い悲しみに包まれ涙が溢れます。

 

けれど、私は

 

看取ることが恐怖です。

 

あの父の地獄絵図のような最期が脳裏から離れることはありません。

 

 

 

日曜の朝っぱらから、なんて話題を。

 

でも昨日一日、ずっと考えていたことです。

 

このブログは私の日記。

 

そう思って書きました。

 

今日も良い一日を

 

って、朝からブルーにしたのはお前だろっってツッコミが聴こえてきます。

 

聞かないふりして寝ます。

 

ぐっどないと~朝だって。

 

ドロン