アフリカ の 長老 ② | 埼玉県小川町ホメオパシー下辺利恵子『うれしき便り』

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        アフリカ の 長老 ②



きのうの つづき です。



武辺はこうやって アチュア村に 無くてはならない人 になって行った。


マイケルは 武辺に言った。



    「ずっと 村に残って呉れないか? 村には タケが必要なんだ。」



しかし武辺は 答えた。



    「僕なんか いなくても 君たちだけの力で やって行ける様になる。


     それが 僕の もう一つの 夢だ。」



すると マイケルは さらに 武辺に言った。



    「村の 長老になって呉れないか?


     村の 長老になれば 日本に帰っても ずっと村の人間だ。」



そうやって 村人たちに 乞われて 「長老」 になった。


26才の若さで しかも外国人が 「長老」 になる事など 前代未聞だった。



1989年 2月25日 武辺は 27才の 短い生涯を 閉じた。


村の病人を 運ぶため 車の運転中 ハンドル操作をあやまった。


村人達の 必死の看病も 虚しく 天に召された。



マイケルは 



    武辺の夢を 俺たちが 受け継ぐんだ



と 悲しみに 打ちひしがれる事無く 先頭に立って 働き始めた。


村人達は 未来へ向かって 自分たちの足で 歩み始めた。



武辺が 亡くなってから 半年後 見渡す限り 一面に敷きつめられた


パイナップル畑が あった。


その後 ガーナの首都アクラ さらにはヨーロッパへ 販売された。


畑は 村人達によって さらに広がって行った。


それに伴い 村人達の生活は 豊かになって行った。



水道や電気などの ライフラインを整備し始めた。


村人達に 笑顔が あふれる様に なった。



その後 村人がお金を 出し合って 武辺の記念碑を建てた。


武辺が亡くなってから 26年がたつ。


亡くなった2月になると 毎年 記念式典が行われる。


タケベガーデン と名付けられた 記念公園が 設立され


そこで 行われる。 タケベを語りつぎ 忘れないように。



いまでも タケベは アチュア村の 英雄なのだ。



実は 亡くなる半年前 武辺は ガーナで 遺書 を書いていた。



    私は とても穏やかな 気持ちで この手紙を 書いています。


    私の 身体に間違いが 起こった時の ために残しておきます。


    僕は 自分自身で 選択した道で こうなったのだから


    後悔は ありません。


    最後に 自分の死に際して もしも集まる お金があれば


    恵まれない人 のために 使って欲しい。



こう 記されていた。


ご家族は 遺書に従い そのお金で アチュア村に 学校を開設した。



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   いかが でしたでしょうか?


   ただ 与える のではなく


   自立の 道へ 導いています。


   本当の 支援 とは こういう事 だと思いました。


   支援する側に 情熱と 上手く行った 後の 手放す勇気


   がないと このようには ならないと 思います。


   親子関係 会社の上司と 部下の関係 先生と弟子の関係・・・


   いろんな 関係性で この実話は 参考になる と思いました。



        26ねんまえ アフリカで てんに めされた


        おとこが いた


        そのな は たけべひろのり


        27さいの ながさきの わかき ひと


        たった 2ねんで ガーナの ひとびとの


        こころと せいかつを ゆたかさへ みちびいた


        そして こわれて ちょうろう に なった おとこ


        いまでも その こころ を かたりつがれる ひと


                       たのもしき ほこらしき 


                         にっぽん の おとこ !






  きょうも お読み頂き ありがとうございます。