こちらの読者に 高校教師の方が ついてくれましたので

少し 私の 感じていることを載せます。


いじめによる自殺が続いて報道され

単位が足りないという受験優先のシステム

出会い系サイトでの事件

などなど・・・毎日 これでもかこれでもかと報道が続いています。


本当に子どもを育てるのって 難しいなーと ふっと思ってしまいますね。


保育園で子供やそのご家族と接していて

そして その先の小学校の方や 障害児のセンターの方たちと接してきて

感じるのは


本当に食事や生活環境などにより子供が変な所で 大人ぶってしまい

その一方で とっても欠けていてとってもバランスが悪いという所が

そのまま野放しで 保育園・幼稚園・小学校・・・・といてしまい


手が付けられないとか

過保護に怖がって気を使って事を荒立てないようにとどこかでおびえてしまう・・・


大人が 子供に対してどう接したらいいのかわからなってしまっているのが

問題だなーと思っています。


やはり 産まれる前から そして 産まれてからも

小学校に入る前の段階の 子供の環境や 大人の接し方が

もっともっと見直されるべきだと思います。


これから もっと女性は 仕事にでて外で働くでしょう。

決してそれは悪いことだと思いません。


しかし 学童保育や夜間保育などの体制環境は

どうしても・・・よい環境とは思えません。

保育園も少し不安な点はあると思います。

もっと親が中に入っていって一緒になっていくのは難しいのかな。

(ちょっともっと調べてみないと私もだめかな・・・・。もっと調べてみますね)


保育・幼稚園の場でも 小学校はもとより

高校・中学と同じように 今までには見られない胸騒ぎがするような

不思議というか危険というか・・・そんな子供の姿が 

増えています。


でも誰が悪いとか どこそこの先生が悪いとかではないような気がします。


というのは 人間は 悪い面も良い面も持ち合わせていて どっちに傾くかは

その人次第だと思うからです。


バランスが大事なんだと思います。


人は 独りで生きていけません。


寂しいときに 話をきいてくれる誰かがいれば

美味しいご飯を一緒に笑って食べる相手がいれば

自分のことが信じられる経験を持てば・・・・


子供も大人も同じ所で 空虚で 誰かを求めていて バランスが偏ってしまっているように感じます。

そんな 飢えている大人に子供に愛を与えろっといっても

酷なように感じます。


この前インドの15歳の男の子のドキュメンタリーをみました。

10歳の時に貧乏な我が家の為に都会に稼ぎにきたのですが

都会で独り生活するのもやっと。

そのうち 働く子供達の組合をつくり そのリーダーになります。

もともと彼は 暴力を振るう親から逃げてきた子や お金で買われた先で母親と離され

暴力を受けていた子に 治療をしてやり 食事を与えたり 自然にできる子でした。

そのうち慕われるようになり 自然とリーダーのようになっていくのですが。

どれほど働いても 1日100円ほどで 悪い所では 何ヶ月もだまして ただ働きさせられます。

そんな中 自分達で チャイのお店を開こうということになります。


土地代が1万ルピー みんなで 仕事を掛け持ちして 働きます。

夜 寝る間を惜しんで 小学校にいけないので 勉強もしています。


何ヶ月かして やっとみんなで 1万ルピーできたのですが

地主は1万ルピーよりはるかに高い土地代と毎月6千ルピーも必要だと言ってきます。


10歳の時から 親と離れ離れで 転々と仕事を渡り歩いてきた彼は

家族にチャイの店を成功させて みせたかったのです。


あきらめませんでした。


そのうち家族が 政府の助けで 連絡がつき 会いにきます。

仲間達も 彼が両親を会えたことを一緒に喜びました。

しかし 彼がいなくなることが不安でした。


1万ルピーを貯めた所をかって 政府へNPO団体が掛け合い

お金を支援してくれ 土地代には届かなかったものの

自分達の生活しているセンターで チャイをつくり 売り歩くという形で

お店をスタートさせたばかりだったからです。


家族は 彼を一緒に連れて帰りたい

センターの仲間達は彼を必要としている


彼は悩みました。


朝 彼は家族と一緒に駅のホームにいました。

彼はきれいに散髪された頭で すっきりした表情です。


家族が電車へ入るのを見届けると 手を振ります。

彼は仲間と一緒にがんばることを選択したのです。


「何かひとつでも手に入れて帰りたい」と彼はいいました。


物が溢れていたりしても関係ないようです。

意地悪な大人がいても 綺麗な心は育つようです。


何が 子供に必要か

それは 大人と子供を別々に考えすぎず

人間には何が必要かを 考えた方が わかりやすいのかもしれません。