こんにちは。
株式会社Venture Bank Next の土谷です。
私が社長になって、2年半が経ちました。
社長になる前は、ベンチャーバンクグループの会長秘書をしていました。
それだけを聞くと、エリートとして人生を送ってきたように感じるかもしれませんが、私の社会人としての人生は、かなり底辺からスタートしたと思います。
私は大学を中退し、アルバイトをしながらダンスをしていて、クラブでイベントを開催したり、夜中は毎日遊び歩くような生活をしていました。
2007年9月、知り合いからの紹介で、フィットネスクラブを運営する小さな会社に、インストラクターとして入社することになりました。
手取り11万5千円で、休みは週1日でした。
私はイラストレーターや動画編集のスキルを持っていたため、チラシの制作、ダンスの動画編集、ポスター制作なども任されていました。
それらは全て勤務時間外でしたが、会社で絶対的存在になりたいという気持ちがありましたので、それを不満に感じたことはありませんでした。
どれだけ時間がかかろうと、ギリギリまで完成度を求め、朝まで寝ないで仕事をしていたことも何度もありました。
冬には、会社が運営を受託しているスキー場で、リフトの係員の仕事をすることもありました。インストラクターとして入社したのに、そんな仕事をさせられることが嫌で仕方ありませんでしたが、自分にはまだその程度の価値しかないんだと思い、できることをしっかりやりました。
ダンススクールの生徒数が増えてくると、ダンスの仕事が中心になってきました。
そこまで数年かかりました。
月300時間くらい働くのはあたりまえでしたが、店舗運営に関しても、イベントの運営に関しても、社長から誰よりも頼りにされる存在でした。
ダンサーとしても、まだまだ上に上がりたいという気持ちはありました。
2011年4月、ダンスバトル「World Dance Colosseum 2011」では、HIP HOP部門で北海道代表になりました。
全国大会に進むことができます。
でも、その翌日、私は交通事故で救急病院に運ばれます。
頭を強く打ち、右膝の後十字靭帯が断裂したため、それから半年入院しました。
リハビリではずっと右膝が曲がらず、ダンスはもうできないと思いました。
今でも、正座はできません。
神奈川の新店舗に異動することになり、ダンスをやめて、本格的にフィットネスのインストラクターを目指しました。
勤務時間外でレッスンを受けてから出勤し、休憩時間に筋トレをして、週1日の休日は他社にレッスンを受けに行きました。
レッスンを受けたり、研修を受けるのは勤務時間外です。自分のためにやっていることなので、それは当然です。
NAS、オアシス、アトリオドゥエ、ルネサンス、ゴールドジム、メガロス、ゼクシス、アスリエ、ティップネス、セントラル、インスパ、ジョイフィット、コナミ、ダンロップなど、関東にある他社のクラブはほとんど行きました。
そうやって、私はフィットネスの技術や知識を身につけていきました。
エアロは、レッスンを何十本も受けて覚えました。自身でレギュラーレッスンを持ち、フリーのインストラクターの代行までしていました。
「フィットネス男子2014・2015」のモデルにも選ばれ、フィットネスインストラクターのカリスマ的存在である魚原大さんや島田厚さんなど、著名なインストラクターの方々とも知り合うことができました。
フィットネス業界を知れば知るほど、自分がどれだけ小さな世界にいたのかを知りました。
それから私は、もっと大きな会社で働きたいと思うようになり、転職をしました。
フィットネスクラブやホットヨガスタジオを展開し、急成長している会社でした。
配属された店舗では、社員は私一人でしたので、朝9:00から23:00まで全営業時間の全営業日働きました。
ジムは24時間だったのですが、スタッフがいない日はジムが汚いという声があり、私は休みでも必ず、清掃をしに行きました。
上司から頼まれたわけでもなく、自分からです。
大晦日でも元旦でも、私は清掃をしに行きましたので、365日まともに休んだ日はありませんでしたが、上司からは絶対的に信頼され、他店舗の仕事も任されるようになり、私は入社一年でマネージャーに昇格しました。
広告、採用、数値分析、システム、施工に関することまで、店舗出店と運営に関わること、全てを一人で任される重大な役職です。
普通なら、昇格するまでに数年かかる役職でした。
私は歴代で最短でした。
それから、店舗運営に関わる本格的な知識、出店やマーケティングに関することなど、あらゆることを勉強しました。
私が出店する店舗は、全てが大きな利益を生み、社長からも絶大な信頼をされるようになりました。
エースと呼ばれ、入社三年で部長にまで昇格しました。
私は自分ががんばって、もっと会社を大きくしたいと思っていました。
でも、その気持ちは終わりを迎えます。
私は、マネージャーに昇格したときから三年以上、経理の女性からずっと嫌がらせを受けていました。
私が提出する書類、申請にはいつも文句をつけ、みんなの前でバカにして、私の提出書類は適当な理由を付けて確認を後回しにし、私は夜遅くまで本社に残されることが毎回でした。
ミスが何一つない書類を出せば、それが悔しいのかずっと無視されました。
私が上司や社長から信頼され、誰よりも早く出世していくことが、生意気に感じたのかわかりません。
それでも私は、その会社が好きで、それくらい嫌なことがあっても耐え続けていました。
2018年3月30日、私は以前からお願いしてあった、新店舗の敷金支払いの請求書を、本社に持っていきました。
支払い予定は以前から伝えてあったのに、お金がないから払えませんと断られました。
土下座したら払ってあげると言われました。
すでに、お金がないから払えないということに、矛盾があります。
私が出店する新店舗とはいえ、支払わなければ困るのは会社です。
なぜ、そこまで嫌がらせをするのか、私のことを嫌うのか、自分のほうが年齢は倍くらいあるのに、私をいじめることが恥ずかしくないのか、私には理解できませんでした。
適当な理由を付けて、私に嫌がらせをして楽しんでいるだけなのはわかります。
でも私は、その人に逆らうことはできませんでした。
泣きながら、みんなの前で土下座をしました。
三年間もいじめられて、土下座までさせられて、何もできないことが悔しくて、勇気のない自分が情けなくて、涙が出ました。
こんなこと、親が知ったらどれだけ悲しむか考えました。
親に言えないことが増えました。
でも、親に言えないことは、けっこういっぱいあります。
会社では、その人に逆らえる人はいません。
みんな無言でした。
その人は、私に土下座をさせたまま、タバコを吸いに行きました。
私が、本当に土下座するとは思っていなかったのかもしれません。
私を怒らせて、それをバカにしようと思っていたのかもしれません。
その人は戻ってきて、お金は明日払うとだけ言いました。
その日、私は退職を決意しました。
数日後、私が退職を申し出ると、会社の上層部では大きな騒ぎになりました。
役員、部長、社長にまで、何度も退職を引き止められました。
私をいじめていた本人は、二度と私の前には、姿を見せないことになりました。
その人は、自分が退職するからあなたは会社に残りなさいと、私に謝罪をしてきました。
その人より、私のほうが会社にとって価値が高かったことがわかりました。
でも、もう気持ちは変わりません。
数十人いた部下には、一人ずつ退職の話をしました。まだ誰にも言わないでくれと全員に言いましたが、秒で話は広まりました。
7月10日、私は4年勤めた会社を退職をしました。
後悔はありませんでした。
そして、2018年7月11日、私は経営者になることを決意し、ベンチャーバンクグループに入社します。
鷲見会長の下で、FEEL CYCLEの橋本社長のように、新規事業で分社化して社長になると、同期みんなの前で宣言しました。
その二年後、私は社長になりました。
ベンチャーバンクグループには4,000人以上の従業員がいます。
社長になりたいという人はたくさんいますが、事業を起こして社長になったのは二人で、FEEL CYCLEの橋本社長と私だけです。
誰でも社長になれるわけではありません。
社長になる人は、プレイヤーとしても仕事で大きな結果を残し、高く評価されています。
上司にすら評価されない人は、起業しても社会からは評価されません。
それが現実です。
仕事は、全てが楽しいわけではありません。
大変なことでもそれを経験し、それを乗り越える強さを手にしたとき、よりレベルの高い仕事ができ、人から信頼され、結果的に自由な人生が送れます。
例えるなら、筋トレです。
重い重量を持ち上げて、体に負荷をかけて努力した人が、数ヶ月から数年という時間をかけ、結果を出して評価をされます。
特定の種目だけ少し強くても、たいして意味はありません。
全身を鍛えることに、何年もかけて努力してきた人が社長になれます。
社長に必要なのは、努力と忍耐力です。
私は、社長になることを、みんなにはおすすめしません。
何が正解か、誰も教えてくれないことも自分で決断しなくてはいけないし、どんな問題が起きようと、最終的には社長の責任です。
問題解決の方法も、あらゆる知識がなければ、見つけることはできません。
会社の不満を言われれば、それは自分が否定されていることと同じです。
何かあれば、会社のせいにされます。
給与が上がらないのは会社のせい、自分が評価されないのは会社が悪い、そう言われるのがあたりまえです。
おそらく、普通の人はそれに耐えられないと思います。
社長なんて、従業員に嫌われてあたりまえです。それくらいの気持ちでいなければ、社長を続けることなんでできません。
従業員と仲良くしたければ、会社を大きくすることはできません。
みんなにどう思われようと、後ろ指を刺されようと、社長は会社を守らなければいけないときがあります。
結果的にそれは、従業員のためになるのですが、それが従業員に理解されることはありません。
社長になっても、楽しいことや嬉しいことはありません。
仕事のこと、会社のことが頭から離れることは、一瞬たりともありません。
勤務時間や公休なんていう概念はありません。
それが社長です。
でも、社長になった人生は最高です。
寝ないで仕事をしたことも、いじめられたことも、土下座をさせられたことも、それがあったからこそ今があります。
良いことも、悪いことも、いろんなことを経験できた人生でした。
これが、私の社会人としての16年間です。
今年、会社は大きく変わります。
それは、来年さらに加速するための準備です。
どう変わっていくかは、従業員だけが感じることかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2023年5月15日
株式会社Venture Bank Next
代表取締役社長 土谷泰平
筆者プロフィール
URBAN CLASSIC PILATES を運営する、株式会社Venture Bank Nextの代表取締役社長。ホットヨガスタジオLAVA、FEEL CYCLEを運営するベンチャーバンクグループの元会長秘書。