こんにちは!
浦和高等学園の
金子です。
ブログでも何度か紹介したことのある、
著名な精神科医、
中井久夫先生の本を改めて読んでいます。
筑摩書房から中井久夫コレクションと
言う形で文庫で出ていて、
もち運びにも便利で、
筑摩書房さん、感謝です。![]()
さて、
その中で中井先生が、
世界的にも有名な日本が誇る、
代表的な漫画、
「ドラえもん」についての文章があり、
とても興味深かったので、
ご紹介しますね。
(長くなってしまいすいませんm(_ _)m)
*こうして「ドラえもん」とパソコンで
書いていていると、気付いた事がある!!
「どらえもん」…と全て平仮名で入力し、
変換キーを押すと
何と![]()
![]()
「ドラえもん」と正規表示に変換します!!
ちなみに「のび太」でも試してみましたが、
普通に「延びた」と変換されました…
やっぱり…すごいね、ドラえもん!!
「♪とっても大好き、…ドラえも~~ん♪♪♪」(笑)
テンションが上がって
話がそれてしまいました・・・
さてさて![]()
紹介します!!
さてさて、
まず、中井先生は、
「ドラえもん」に出てくる登場人物たちを、
何年生と見立てているでしょうか??
p127
“「ドラえもん」に出てくる、登場人物は、何年生だろうか。皆さんはどう思われる?私はどうも、三年生、せいぜい四年生だと思う。”
と述べています。この理由をアメリカの有名な精神科医、サリヴァンの発達論を出して説明しています。
サリヴァンは
“児童期に身につけなければならないものは、協力、競争、妥協の三つだといっている。
この時期には、学校と言う社会に加入して、
家庭教育での歪みが是正される大きいチャンスがあるともいっている。
家庭で通用していた事が学校社会では通用しない事を身をもって味わわされる。
だが、この時期の子は、まだ、自分の満足と安全が第一で、
自分以上にその人の安全と満足を重要視する「愛」は次の前青春期にならないと
出てこない。
また、この時期に手ひどい目にあいすぎた子は、夢想、それも前向きの
「建設的夢想」でなく、退行的夢想にはいりこんでしまうが、
これは非常に心配な道だと言っている。”
それらを引き合いに出し、中井先生は、
“私が三年生だと思う理由は、
まずちょうど、集団の中での独り遊びと
、協力、競争、妥協にもとづいた仲間遊びとが混在しているからである。
四年生だと、もう、現代では、学歴による選別のにおいが漂って、子どもは遊び場から遠ざかりつつあるからだ。
一年生は、学校社会への適応期で、まだ独り遊びだと思う。
二年生ならありうるので、
二年と三年の間というのが、一番あたっているだろうか。”
ここで出てくる、
「協力、競争、妥協」は、
今後の生きる力に大きく影響するものでしょう。この時期に、
これらの経験が乏しく、同年代の子ども達と協力して何かをするということや、
競争することで味わうことのできる、
悔しさや誇らしげな体験もなく、自分の思い通りになってしまうのは、
将来の発達段階において、
危険なことが多いという事が裏打ちできるかと思います。
次に、
それぞれの登場人物に
対して言及しています。
まずはのび太に関してです。
P130
“のび太は成績が悪いだけでなく、
集団競技が出来ないのが目立っている。
彼は児童期に入ろうとして苦労している子だ。
こういう苦労は、子どもがある時期に皆するもので、
だから、のび太を自分と思う(同一視する)
子どもが多くて、この漫画が人気があるのだろう。
そういう意味で、この漫画は教育的なのである。
のび太は、しかし、独り遊びである「あやとり」という「スキル」では、断然他を引き離している。
これは彼が独り子であるために研いた腕だろう。
それに、あやとりは「見立て」であるから、空想力がある子だ。
彼が、空想の世界に逃げ込んでも、
学校社会での弱者として不思議ではない。
そこで、彼には「ドラえもん」が必要になる。
ドラえもんは、彼の空想の代わりとなる。
よしよしといろいろな万能機械を出してやるのだが、
のび太が現実世界で敗れた時に求め、
ドラえもんが出してやるので、
これは実に逃避的空想の出てくる時をぴったりとらえているものだと感心する。“
ちなみにのび太は
射撃の名手でもあるんですよね
。
射撃も独り遊びといえば独り遊びですね。
次は、しずかちゃん。
“しずかちゃんは、一見優等生のようだが、しょっちゅうお風呂に入っている。
よごれを病的に気にする不潔恐怖の持ち主かもしれない。
あの家庭はたいへんキッチリズムの家庭だ。しずかちゃんは息が詰まるので、浴室でしかくつろげないのかもしれない。
のび太の家とは対照的で、
のび太の母親はガミガミ言うが、抜けているところがあり、父はとぼけた人物である。
しずかちゃんがのび太にひかれるのも、
不思議ではないわけだ。
また彼女には同性の友人がいない。
いささかオテンバであるわけだ。
オテンバは、のび太みたいな
「女の腐ったような男の子」と一緒にいて、
お互いに得るところがあるらしい。
そういう組合せが結構ある。
のび太は単に同情されているわけではない。
しかし、のび太のような子は、
たまに成功した時「のび太さん、すてきだわ」といってくれるしずかちゃんのような子をいつも空想しているものだ。”
ここでのしずかちゃんの
存在をこう分析するのか…と非常に興味深く、またしずかちゃんを見る目が変わりました(笑)
続いて、ジャイアン。
“ジャイアンは原っぱのガキ大将だが、
そこに彼の誇りはない。
将来が学力と金力の世界で、そこからは自分が取り残される事が本能的にわかっているみたいだ。
だから、彼は歌謡曲に、
彼の妹は漫画に将来の夢を託している。
実際、この二つは、そういう家庭の子の夢想する将来である。
彼はハングリーであり、実際、いつも何かに飢えている。
特に友情にである。”
確かに、ジャイアンは
「いつも何かに飢えて」ますね…映画版では、案外、
優しい面やいい奴だったりしますからね。
最後は、スネ夫。
“彼と釣り合っているのが、スネ夫である。
彼は、親の金と地位のために将来を保証された子どもだが、それはそれで大変だ。
将来を彼は自由に出来ないし、
さしあたりも親の愛情は金銭や物質や権力による便宜の形でしか与えられていない。
彼がいかにも飢えた顔をしているのも、
陰湿なイジメッコであるのも無理はない。”
スネ夫のような家庭環境で
万引きや非行に走る、子ども達を見た事があります。
愛情はお金や物では埋めきれないものですな…![]()
ドラえもんに関しては、
“「ドラえもん」はこの家庭をひっかきまわして、結果的に新風を吹き込む「トリックスター」的な役割をしている。”
(*“この家庭”というのは、のび太の家庭の事です)
といった記述しかされていません。
紙面の関係もあったのでしょうか?
もう少し、
中井先生の「ドラえもん」に対しての解釈や見方を聞いてみたいものです![]()
。
最後に、
“大人にとっても「ドラえもん」は郷愁である。
現代に題材を取りながら、
ちゃんと遊び場になる土管などが積んである、いかにも空き地らしい空き地があり、
裏山まである。
家もかなり保守的である。
中年から初老の人間にとって未来に押しやっておきたいものが未来におさまり、
すでにない空き地や裏山がある「ドラえもん」は、大人の心をくすぐる力をもっている。
結局、この漫画が受け入れられているのは、子どもと大人の空想にぴったり適合しながら、現実離れをすっかりしない程度に
たずなを引き締めている点にあるのだろう。“
と結んでいます。
どうでしたか??
「ドラえもん」をみる目が少し変わりましたかね??![]()
世間では、劇場版
3Dでの
「ドラえもん」が上映中ですね。
秦基博さんが歌う、主題歌、
「ひまわりの約束」を
「いい歌だなぁ
」と思いながら
聴いているのですが、
映画はまだ見に行くことが
出来ていないのです。
是非、時間を見つけて観に行けたらと
思っています。
ではでは~~

