臨床心理士 金子泰之の「行き当たりバッチリ」日記 -7ページ目

こんにちは!



浦和高等学園の


金子です。


http://www.urazono.net)



ブログでも何度か紹介したことのある、


著名な精神科医、


中井久夫先生の本を改めて読んでいます。


筑摩書房から中井久夫コレクションと

言う形で文庫で出ていて、

もち運びにも便利で、

筑摩書房さん、感謝です。ニコニコ


さて、


その中で中井先生が、

世界的にも有名な日本が誇る、

代表的な漫画、

「ドラえもん」についての文章があり、


とても興味深かったので、


ご紹介しますね。

(長くなってしまいすいませんm(_ _)m)



*こうして「ドラえもん」とパソコンで

書いていていると、気付いた事がある!!

「どらえもん」…と全て平仮名で入力し、

変換キーを押すと

何と!!目


「ドラえもん」と正規表示に変換します!!

ちなみに「のび太」でも試してみましたが、


普通に「延びた」と変換されました…


やっぱり…すごいね、ドラえもん!!



「♪とっても大好き、…ドラえも~~ん♪♪♪」(笑)


テンションが上がって


話がそれてしまいました・・・


さてさてパー


紹介します!!



さてさて、


まず、中井先生は、

「ドラえもん」に出てくる登場人物たちを、


何年生と見立てているでしょうか??



p127
“「ドラえもん」に出てくる、登場人物は、何年生だろうか。皆さんはどう思われる?私はどうも、三年生、せいぜい四年生だと思う。”
 


と述べています。この理由をアメリカの有名な精神科医、サリヴァンの発達論を出して説明しています。



サリヴァンは

“児童期に身につけなければならないものは、協力、競争、妥協の三つだといっている。


この時期には、学校と言う社会に加入して、


家庭教育での歪みが是正される大きいチャンスがあるともいっている。


家庭で通用していた事が学校社会では通用しない事を身をもって味わわされる。


だが、この時期の子は、まだ、自分の満足と安全が第一で、

自分以上にその人の安全と満足を重要視する「愛」は次の前青春期にならないと

出てこない。


また、この時期に手ひどい目にあいすぎた子は、夢想、それも前向きの

「建設的夢想」でなく、退行的夢想にはいりこんでしまうが、


これは非常に心配な道だと言っている。”




それらを引き合いに出し、中井先生は、
 


“私が三年生だと思う理由は、

まずちょうど、集団の中での独り遊びと

、協力、競争、妥協にもとづいた仲間遊びとが混在しているからである。


四年生だと、もう、現代では、学歴による選別のにおいが漂って、子どもは遊び場から遠ざかりつつあるからだ。


一年生は、学校社会への適応期で、まだ独り遊びだと思う。


二年生ならありうるので、

二年と三年の間というのが、一番あたっているだろうか。”



ここで出てくる、


「協力、競争、妥協」は、


今後の生きる力に大きく影響するものでしょう。この時期に、

これらの経験が乏しく、同年代の子ども達と協力して何かをするということや、

競争することで味わうことのできる、

悔しさや誇らしげな体験もなく、自分の思い通りになってしまうのは、

将来の発達段階において、

危険なことが多いという事が裏打ちできるかと思います。



次に、

それぞれの登場人物に

対して言及しています。



まずはのび太に関してです。



P130

“のび太は成績が悪いだけでなく、

集団競技が出来ないのが目立っている。

彼は児童期に入ろうとして苦労している子だ。


こういう苦労は、子どもがある時期に皆するもので、

だから、のび太を自分と思う(同一視する)


子どもが多くて、この漫画が人気があるのだろう。


そういう意味で、この漫画は教育的なのである。
 


のび太は、しかし、独り遊びである「あやとり」という「スキル」では、断然他を引き離している。


これは彼が独り子であるために研いた腕だろう。


それに、あやとりは「見立て」であるから、空想力がある子だ。


彼が、空想の世界に逃げ込んでも、

学校社会での弱者として不思議ではない。


そこで、彼には「ドラえもん」が必要になる。


ドラえもんは、彼の空想の代わりとなる。


よしよしといろいろな万能機械を出してやるのだが、

のび太が現実世界で敗れた時に求め、

ドラえもんが出してやるので、

これは実に逃避的空想の出てくる時をぴったりとらえているものだと感心する。“




ちなみにのび太は

射撃の名手でもあるんですよねニコニコ

射撃も独り遊びといえば独り遊びですね。



次は、しずかちゃん。

 


“しずかちゃんは、一見優等生のようだが、しょっちゅうお風呂に入っている。


よごれを病的に気にする不潔恐怖の持ち主かもしれない。


あの家庭はたいへんキッチリズムの家庭だ。しずかちゃんは息が詰まるので、浴室でしかくつろげないのかもしれない。


のび太の家とは対照的で、


のび太の母親はガミガミ言うが、抜けているところがあり、父はとぼけた人物である。


しずかちゃんがのび太にひかれるのも、

不思議ではないわけだ。


また彼女には同性の友人がいない。


いささかオテンバであるわけだ。


オテンバは、のび太みたいな


「女の腐ったような男の子」と一緒にいて、


お互いに得るところがあるらしい。


そういう組合せが結構ある。


のび太は単に同情されているわけではない。


しかし、のび太のような子は、


たまに成功した時「のび太さん、すてきだわ」といってくれるしずかちゃんのような子をいつも空想しているものだ。”



ここでのしずかちゃんの

存在をこう分析するのか…と非常に興味深く、またしずかちゃんを見る目が変わりました(笑)



続いて、ジャイアン。




“ジャイアンは原っぱのガキ大将だが、

そこに彼の誇りはない。

将来が学力と金力の世界で、そこからは自分が取り残される事が本能的にわかっているみたいだ。


だから、彼は歌謡曲に、

彼の妹は漫画に将来の夢を託している。

実際、この二つは、そういう家庭の子の夢想する将来である。

彼はハングリーであり、実際、いつも何かに飢えている。


特に友情にである。”
 

確かに、ジャイアンは


「いつも何かに飢えて」ますね…映画版では、案外、


優しい面やいい奴だったりしますからね。



最後は、スネ夫。



“彼と釣り合っているのが、スネ夫である。

彼は、親の金と地位のために将来を保証された子どもだが、それはそれで大変だ。


将来を彼は自由に出来ないし、

さしあたりも親の愛情は金銭や物質や権力による便宜の形でしか与えられていない。


彼がいかにも飢えた顔をしているのも、


陰湿なイジメッコであるのも無理はない。”





スネ夫のような家庭環境で

万引きや非行に走る、子ども達を見た事があります。


愛情はお金や物では埋めきれないものですな…得意げ




ドラえもんに関しては、


“「ドラえもん」はこの家庭をひっかきまわして、結果的に新風を吹き込む「トリックスター」的な役割をしている。”

(*“この家庭”というのは、のび太の家庭の事です)



といった記述しかされていません。

紙面の関係もあったのでしょうか?


もう少し、


中井先生の「ドラえもん」に対しての解釈や見方を聞いてみたいものですニコニコ耳



最後に、


“大人にとっても「ドラえもん」は郷愁である。


現代に題材を取りながら、


ちゃんと遊び場になる土管などが積んである、いかにも空き地らしい空き地があり、


裏山まである。


家もかなり保守的である。


中年から初老の人間にとって未来に押しやっておきたいものが未来におさまり、

すでにない空き地や裏山がある「ドラえもん」は、大人の心をくすぐる力をもっている。


結局、この漫画が受け入れられているのは、子どもと大人の空想にぴったり適合しながら、現実離れをすっかりしない程度に


たずなを引き締めている点にあるのだろう。“




と結んでいます。



どうでしたか??



「ドラえもん」をみる目が少し変わりましたかね??目



世間では、劇場版


3Dでの
「ドラえもん」が上映中ですね。



秦基博さんが歌う、主題歌、


「ひまわりの約束」を


「いい歌だなぁニコニコ」と思いながら


聴いているのですが、



映画はまだ見に行くことが


出来ていないのです。




是非、時間を見つけて観に行けたらと


思っています。




ではでは~~

こんにちは!



浦和高等学園の


金子です。


http://www.urazono.net)



別の職場の心理の先生が、


バリ島に行かれたということで、


お土産を頂きました!!にひひ








ピーナッツのお土産です。





ネーミングがチャーミング!!



ミスターP!!!!




「ヘイ、ミスターP!!」



って感じですかねにひひ



おいしく頂きました!!



ありがとうございます!!




では~~





おはようございます!



浦和高等学園の


金子です。


http://www.urazono.net)



だいぶ涼しくなってきましたね。



風邪など、ひかぬよう、体調管理、しっかりやっていきましょう!!


さて、さて、


久しぶりに

電車内でのエピソードです。


先週、都内で仕事後、


同僚の先生方と軽く飲んでから帰りました。



タイミング良く座れて、私は本を読んでいました。

すると、



両横に座っている男性、二人とも40代くらいかなぁ…



日々の仕事の疲れか、はたまた、


ほろ酔い気分なのかはよく分かりませんでしたが、



気持ちよく夢の中へ…



すると、なぜだが、



知らないですが、



二人とも私に寄りかかってきたんですよ~~~。


私も少し、お酒は入っているとはいえ、



帰りの電車内で見知らぬ男性二人に肩を貸すの




は、気がひけます・・・(苦笑)



そこで、私は考えました・・・


「わざとらしく、動くのも悪いかなぁ…だからといって、肩を貸すのは気持ち悪いし…」と


思い、



そこで、


「よし!なんなら、私も寄りかかってみよう!!」


という逆説的な考えが浮かびまして・・・



(なぜ、この考えが浮かんだのか??



我ながら不思議ですが…)



ちょっと実験的にやってみたんです。



すると、



両横の男性陣、きれいに私に寄りかかるのをやめて



くれました…(笑)



私は、がっつり、寄りかかったからかな…




お二人とも、不快に思ったのか?



「あ、自分も寄りかかってたか…」と思ったのか・・・


真相はわかりませんが、


時に、逆説的な考えや行動が、いつもと違う結果となることがあります。


なにか、うまくいかないときや、失敗が続く時は、



一度立ち止まって、




別な方法や考え方がないかを探してみるのも、


解決の糸口となると思います。




追:今回は両横の男性に寄りかかられるのをストップできたけど、逆に、起きなかったら、


相当、気持ち悪いな…見知らぬ、


おっさん、二人が仲良く、肩を貸しあって寝てる絵は…



う~~ん・・・


本当にいやだったら、


そっと席を立ちあがることにしよ・・・



ではでは・・・





浦和高等学園の


金子です。


http://www.urazono.net)


毎度、おなじみ・・・


本の紹介です。べーっだ!本



これまた、とても面白い本に出会いました!!


高校生の時に読んでおきたかった!!



「うらおもて人生録」 色川武大 新潮文庫



いろかわ たけひろ


という方で、


すでに故人ですが、


阿佐田哲也という別のペンネームで


「麻雀放浪記」という麻雀小説を書いています。



私は麻雀は大学時代、


少しだけやったことがありますが、


タバコは吸わないし、


ルールはよく理解できないし・・・という感じでした。



しかし、この「麻雀放浪記」は小説ではなく、


映画が何本か出ているので、借りて全て見ました。


麻雀というとギャンブルのイメージがあって、


不謹慎に思われがちですが、


(実際に映画の中には不謹慎な場面も無いわけではないですが・・・)



「運」の使い方について、とても勉強になりました。



やや話がそれましたが、



「うらおもて人生録」でも、

「運」について書かれている章や、

人生について書かれている章などがありました。


それをいくつか、紹介したいと思います。



P131
 わかる、ってことをなめないでもらいたい。

では、どろどろの体験をしなくてはならないかといと、そんなことはもちろんないね。

本当は体験するのも悪くはないと思うけど、

人間の一生は存外に短くて、一人の人間がたくさんのことをする時間がない。

体験をせずに、したとほぼ同くらいのことを身につけることができればとても有利なんだ。
 

 ただし、体験をオミットしているわけだから、

いいかげんなところで、わかった、なんて思わずに、感度を精密に働かせておくれよ。




P158
 生地がずるい、ってことは、

器が小さいということだ。

まず、生地は、ずるくないのがよろしい。


ただし、その上で万能選手であればもっとよろしい。ここで勝負、

というときはなんでもできなくちゃね。


ウィークポイントがあったら、勝てないよ。


スケール、スピード、変化なんでもだ。


けれども、一番大事なのは(勝負の場合でも)


生地がずるくないこと


これから成人しようという人たち、まず要領だ、


なんて思ったら、それははじめからマイナー指向になっちゃってるんだよ。
 


 まず、誠意だ。これが正攻法だ。

そうして誠意や優しさ一本気な善意がスケールにつながるんだ。


だから人格形成期に、まず、スケールを大きくしていくことを考えよう。


要領が自分の武器だという人がいたら、

いったんそれを捨てておくれ。


そうでないと、先へ行って上位戦で勝ちこめないよ。
 


 あのね、また変な例を持ち出すけどね、競輪でね、新人選手たちは、まず逃げろ、なんでもかんでも逃げの練習をしろ、と先輩達から教えられるんだ。


相撲が、まず押せ、といわれるのと同じだね。
 


 自転車レースは、一団の先頭に立つと、

風圧で呼吸が出来ないくらい苦しいんだね。

そのハンディがあるから、力がないとなかなか逃げ切れないし、苦しいレースをしなければならない。


だからベテランになると、風圧を避けて、

他の選手の後ろに位置して、ゴール前で一気に抜け出すことをするんだね。
 


 ところが実績のない新人には、

なかなかその位置をくれない。
 


 新人Aが、予選で先頭に立って逃げ切る。

準決勝に進むね。ここでも逃げて一着だ。

で、決勝に進む。さすがに相手が強くて、

決勝では逃げたけれども、うしろの選手に利用されるだけで、ゴール前で一気に抜かれた。
 


 こういうことを繰り返していると、彼は、決勝に出るクラスの力があると評価される。


それで逃げから追い込みに転向するときに、

楽に走れるいい位置がもらえるようになるんだ。
 

 新人Bは、予選では逃げ切れてはいたけれども、準決勝では彼の逃げは通用しなかった。

それで、弱気を起こして、早くも追い込みに転向しようとする。


ところがこの場合は、予選クラスでないといい位置がとれないんだな。


上位のクラスでは古手が彼の逃げのお世話になっていないのだから、

位置をゆずる義理もないわけだ。


追い込みではかなりスピードがあっても、格がないから、上位戦ではドン尻を回らなければならない。
 

 逃げは苦しくて、他の選手に利用されるばかりで、ばかばかしいけど、自分の力の限界を知るまでは、一生懸命に逃げる。


それが将来の格を決めることになるわけなんだね。だから先輩も、逃げろ逃げろというんだ。
 


 そんな具合に、まず正攻法なんだよ。


要領やテクニックはそのあとからなんだな。


それで、俺は今の図式をごく小規模に、

新しい職場に行くたびごとに、繰り返してたんだね。まず、白紙の状態を見せる。


要領やテクニックは一切出さない。
 

 これが礼儀でもあるんだけれども、むしろ俺としては、しのぎの一部なんだね。

まず白紙。あらゆるものの下につくが、

その代わり、眺めている。

ここのところが貿易なんだな。

提携といってもいい。

べた付いて仲良くするだけが提携じゃないからね。 

輸出・輸入のバランスが取れている状態が、提携なんだ。


P216 
いかに生くべきか―――、

このことについては、俺なんか、軽々しく記せない。


昔のように、宗教や道徳がなかば固定していた時代と違って、今は、

大網(重要な骨組み)が乏しいからね。


ことに現代の日本のように、資本主義社会は能力主義だから、勝てば官軍というイメージが強い。


勝つか負けるか、ということと、いかに生きるべきか、ということは違う。


俺には、大勢の人に向かって、

こんな風に生きるべきだ、

なんてことは(残念ながら)いえないよ。
 


 だから、どのコースを行けばいいか、そのことの決定は、君達自身で決めるより仕方ない。 

俺に書けることは、技術だ。どのコースを行こうと必要になる基本セオリーだ。


まぁ、そう思ったんだね。それで記しはじめてみると、どうもそういかないんだ。
 


 姿勢の問題と、技術の問題は、ジャンルが違うのだけれども、遠くのほうに行くと、天と地がつながっている一線があるんだね。

技術だけを別の皿で出すわけにも行かないんだな。それで、一連の文章の、初回からしばらくの間は、

すぐに技術に入らないでおいて、

おかったるようだけれども、俺の小さい頃のことをひきあいに出しながら、いくらか心の問題に近いところでしゃべっていたんだね。


  (中略)

人を好きになっておいてよかった、

ということを下敷きのようにしておいてほしい。


人を好きになること
人から愛されること
 


 こういうことというものは、陽の光みたいなもので、人によって陽当たりに恵まれて育った者もあろうし、陽当たりの悪いところで育った者もあろうけれど、


動物がほんのちょっぴりの陽光を求めて移動するように、そこのところを大切にして欲しい。







競輪のくだりは、たとえこそ、競輪ですが、

社会人としての基本姿勢として、

とても大切なことが述べられていると思いました。




今後の私のSSTの授業でも、

取り上げてみようと考えています。



では、では。