今日の朝は冷え込みましたね!!
体調管理には十分、気をつけましょう!!
さて、
今日はある本の紹介から・・・![]()
『龍の棲む家』
玄侑宗久 文春文庫
P85
「佳代子くん、君はここに置いてあった私の財布を知らんかね。・・・昨日の買い物のときには確かにあったんだが」
中略
「茶色い革の財布だよ。・・・
どこに持っていったんだね。
あれがなかったら、私は明日出勤できないんだよ」
「ああ、・・・茶色い大きな財布ですよね。確かに私がお預かりしたままでした。ごめんなさい。
あとで戻しておきますね」
「ほんとに、困ったものだね」
まるで、それは、佳代子が意図的に持って行った、つまり盗んだと言わんばかりの口ぶりだったので、幹夫は思わず「父さん」と口を挿んだ。
すると佳代子はすぐに父と幹夫の間に立ちはだかり、そして父の横に座ってその肩に手をかけると
「今日のお昼は、親子丼がいいですか、
それともカレーがいいですか?」と訊いた。
どちらも父の好物だが、「何にしますか」と訊いてはいけないのだと、佳代子は教えられていた。
佳代子の思惑通り父はすぐに表情を変え、
「久しぶりに、カレーがいいね」と答えた。
「お父さんはポークがいいんですよね」と追い討ちをかけると、話題はほどなく辛さの程度の話に移った。
問題を深刻にしないためには、会話の技術、というより、
自在な思考と会話が両方そろわなければいけないのだ。
「あれは物盗られ妄想っていうんでしたっけ」
「それで、片付けては、お父さんが可哀相だと思いますよ」
「私が泥棒にされるのは、お父さんが私に対してけっこう世話になっている、みたいな、そういう意識をもってるからなんです」
「・・・世話になってると、その恩を、仇で返す?」
「ううん、それほど簡単には言えないんですけど」
「・・・と、いうと」
「世話になっているっていう無意識の思いが、きっと溜まるんですね。お父さんに限らず、昔の人って律儀だから、本当はいろんなこと、自分ですべきだって思ってるんでしょうね。・・・だけど、お父さんって、案外ありがとうって、言わないでしょ」
「・・・ええ。・・・あ、すいません」
「いいえ、・・・あっさりありがとうって言えて、それで済ませちゃえる人だったら、泥棒呼ばわりなんか、しないんです。初めから申し訳ないって思わない人も、勿論、そんなふうにはなりません」
「・・・・・・」
「もうちょっと詳しく教えてください」
「教える、なんてことじゃないんですけど、私たち介護士はそういうふうに考えるようにしているんです」
中略
幹夫なりに理解したところでは、次のようになる。
父が佳代子のことをどんな存在と感じるのか、それはその日の気分や状況によっても少しずつ違うのだが、いずれにしても、自分の身のまわりのことを手伝ってくれる存在には違いない。
そのことが、父には無意識のうちに負担になっていて、父とすればその一方的な関係を逆転させたくなるらしい。無論、無意識の負担感を、無意識に逆転させたいのだ。
「負担をかけている人を、加害者だと考えると、わかりやすいかもしれません」
佳代子は丸い顔をすぼめるようにして言った。
「つまり、私に負担をかけているご自分が加害者なんですね、いつも。市役所の部下のように話されることが確かに多いし、それならそれで、負担に感じる必要はないようなものですけど、きっとお父さんはわかってるんですよ、私が介護のために来てるって、・・・どこか深い部分でちゃんとわかってるんです。だからどうしても、ご自分は負担をかけている加害者なんです」
「・・・・・・」
「自分がいつでも負担をかける加害者で、相手が被害者であることに、あるとき耐えられなくなって、その必死な心の表現として、きっと妄想は発動するんです」
「加害者から、・・・一気に泥棒の被害者になる
妄想?」
「そうです」
「そうか、それで無意識にバランスをとってるってことなんだ」
引用は以上です![]()
このような解釈は眼からうろこでした。
私も単科の精神病院時代、認知症の病棟の
集団療法を週1で行っていました。
そこでは主に「回想法」という技法を中心に行っていました。
(*回想法についてはタイミングでご紹介しますね)
そこで出会った方々の中にも、引用した俗に言う
「物盗られ妄想」を抱えている方がいました。
その際には、精神症状の一種としてこの妄想を捉えており、
また「何か注意を惹きたいのだろう…」
「この人なりの表現の一種なのだろうか??」
「怒りの代替表現?」
「攻撃性の一種??」
などといった見立てや解釈を私はしていたように思います。
この『龍の棲む家』 玄侑宗久氏のような解釈は
出来なかったです。
改めて自分の未熟さを痛感しますが、
「自分がいつでも負担をかける加害者で、
相手が被害者であることに、
あるとき耐えられなくなって、その必死な心の表現として、きっと妄想は発動するんです」
この「必死な心の表現」は一見、
自己を傷つける行為や、他者との人間関係を
破壊してしまう行動、と見られることが多いですが、
その裏側にある思いや意味を問わずして、
一方的な解釈でまとめてしまうのは非常に危険な場合が多いように思います。
私は最近、つくづく思うのですが、
人の心は「脆く、危うい」・・・
うつや神経症、といった精神の病は
本当に「明日はわが身です」
自分は大丈夫と思っていても、いつのまにか、心の不調を訴え、私のところに来られる方がたくさんいらっしゃいます。
ぜひ、無理せず、
「最近、ちょっとしんどいなぁ…」
「無理をしているなぁ…」
と感じたら、休息をとってください。
こう書きながら、
実は、私も
結構、
自分で自分を追い込んでしまうときがあります。
その際には、
「もうやーめた…」
「まぁ、いいや」
「今日出来なくても、明日できるさ」
などと
月並みではありますが、
自分で自分をほめたり、甘やかしたり、
考えるのをやめたり・・・(笑)
意図的に自分に課すようにしています。
カウンセラーも人間ですからね!!
さて、来週からは12月、今年もあと1ヶ月です。
気持ちよく新年を迎えられるよう、
日々、大切に、適当に一生懸命に生きて生きたいと思います!!




















