JAL123便の御巣鷹山への墜落事故から、


39年………。


あの日、祖父母も一緒に車で伊豆へ旅行に


行ってました。


ホテルに着いて一休みしてから、父と姉と


一緒に3人でホテル近くの焼き物の店に


行った時に、お店の人が『飛行機の行方


が判らなくなったらしい』と言うような


話を聞いたような記憶があります。


時間的には憶えてないですが、まだ墜落


したとかの正確な情報がない時間帯だった


ことは憶えてます。


お店を出てホテルの部屋に戻ったら、部屋


にいた母からニュースで飛行機のことを


報道してると聞いて、ビックリしつつも


あんな大事故とは想像もせずにいました。


翌日も伊豆を周って、お昼を食べたりして


る時には『伊丹空港行きのJALが群馬県の


山中に墜落』とか『その飛行機に坂本九


さんが搭乗してた』という情報を知って


「凄いことになってる……」と怖くなって


ました。


奇跡的に助かった4人のうち、一人の


女の子が救助ヘリに吊り上げられていく


映像は今でもハッキリと憶えてるほど


衝撃でした。


亡くなった方々の遺品の中には多くの遺書


としてのメモが残っていて、とてつもない


恐怖が綴られていたことも。


ニュースで、墜落現場の上空からの映像を


見ただけでも恐怖でした。


今、自分は沖縄に住んで、他県に行くには


飛行機を利用せざるを得ないし、県内の


移動でも飛行機を利用する状況で、あの


事故を知ってるからこそ、未だ「ちゃんと


目的地に着きますように🙏」と不安に


思ってしまいます。


私が初めて飛行機に乗ったのは、御巣鷹山


墜落事故の翌年、春休みに予定されてた


高校の修学旅行でした。しかもJAL……。


行き先は沖縄………。


超心配性な祖父は『大丈夫かね〜』と


言いまくってましたが、いや私に聞かれて


も………。


その後、北海道へツアーで2回行った時


に飛行機を利用しましたが、沖縄に頻繁に


来るようになった時には、スカイマークか


ANAばかり利用するようになりました。


無意識にJALを避けてるわけじゃないん


ですけどね。


どの航空会社も御巣鷹山墜落事故を忘れ


ずに語り継いでいて欲しいし、あの事故は


風化させないで欲しいです。