頭を(こうべ)を垂れる生き方 | 占い大阪・大東市野崎 占い師 明蘭 天国のお母ちゃんとの交信

頭を(こうべ)を垂れる生き方

あなたの今日の運気のおみくじです

HPの茶碗蒸しの画像の上を

Wクリックしてみてね

http://uraura77.sakura.ne.jp/

 

 

これは

先月

姉と旅行いったときの

旅館の

あちこちに

置いてあった

手の食毒液ボトルに

着物が着せてあったものですベル

 

あまりにも

可愛くて

写真を撮りました恋の矢

 

後ろ姿です

 

 

こうして

2つ

並んでいたり

 

 

 

こちらも

後ろ姿ですチョキ

 

 

ちゃんと

帯も

帯紐も

襟の色もかえておれられ

 

とても

丁寧に

「和紙」で作られていましたラブラブ

 

 

 

後ろ姿にも

細かく

ちゃんと

配慮がなされていました

 

ただ

ただ

感心して

変なおばさん(明蘭さん)が

写真撮っておりました

 

 

和紙は

このような紙を使われておりました

 

 

姉は

売店で

これが売ってないのかなぁ?と

 

売店さんに

聞いておりました

 

売店の人は

 

「これは

ご近所の奥様が

趣味で作られいるのを

頂いて

全館の

ボトルに着せています」

 

おっしゃっていたそうです

 

見たこともない方ですが

これを

つくられている

その

奥様は

たぶん

〇星だろうなぁ

器用な星だろうなぁと

想像している明蘭さんがいましたお願い

 

姉は

それが

売ってないことに

残念がっていました

 

そして

明蘭さんに

「同じようなのを

作ってぇ」

言うておりましたが

 

この方のような

同じレベルで

つくれるはずもなく

時間があれども

果てしなく

作れるわけがないと思い

 

姉には

「とんでもない

できないよ」と

断った

旅行の

ワンシーンを思い出しましたお願い

 

次の旅館に行きますと

また

その旅館にも

 

スプレーボトルに

着物が着せてありました

 

でも

その

旅館の

スプレーに着せてある

着物は

写真を撮ろうと思わなかったのです

 

すごく

雑で

後ろを見ても

帯もありませんでした

 

 

たぶん

 

最初の旅館の

スプレーの案を

真似して

作られたと思いますが

 

最初の旅館の

着物には

みなが

「可愛い~音譜」と簡単の声をあげて

食い入るように見ておられ

 

次の旅館の

スプレーボトルの

その前では

みなが

声をあげていない・・・

誰も

食い入るように見ていない・・・

 

「その差」は

大きいと思いました

 

下品な用語で言えば

「パクリ」は

「パクリなり」なのだと思います

 

それは

その人の中に

こめられている

「魂」の違いだと思いますお願い

 

 

ほんとうに

好きで

好きで

ただ作りたいラブ

それを見て喜ぶ人の顔をみたい

 

それだけで

作る人の

作品には

たましいがこめられていると思いますラブラブ

 

ですから

人が

感嘆するのですラブ

 

それは

「願うと叶う」を

された方で

 

パクリさんは

「ねらうとはずす」を

された

だけのことだと思います

 

簡単に見えるようなことでも

イザ

してみれば

ほとほと・・・難しいことが

たくさんあります

 

それを

すぐ

自分にもできる!と

パクる気持ちには

「邪」が生じて

いづれ

それは

つぶれるものです

 

こころがないからです

 

この世の中は

みなが

すばらしい

発想や

アイデアや

器用さ

素直さを

持ち合わせているものでも

ありません

 

それを

安易に見てしまう

目を持っている人は

「ねらうはずす」

だけのことです

 

どのような

職業でも

そんなに

簡単なことは

一つもありません

 

少しの人だけが

生き残れる時代が

まざまざと目の前に来ている時代だと思います

 

 

こうして

高い和紙を使い

その器用さで

無心に

あれほどの

全館の数の

着物を着せるために

作られた人は

欲のない器用な方だと思いますお願い

 

あまりにもの

可愛さに

評判がよく

ともすれば

売店で販売しないか?

 

などの声を

かけられたかもしれないですが

お断りされたと

勝手に想像しています

 

好きであることを

商売にしますと

自分の心は喜ばないこと

よく

ご存じなのかもしれない

お方の作品だからこそ

人の

こころを打つのだと思いましたお願い

 

パクった方の

その作品には

人間は

誰も

こころを打たれないものだと思います

 

どのようなことも

同じことが言えると思います

 

 

昨日のメールの中に

「切手デザイナー」のお話が

情熱大陸でされていたという

お話がありました

 

小さな

62円切手の中に

すごい

デザイナーさんの

思いが

あられるのだなぁと感激しておられました

 

 

神様は

同じ人をひとりたりとも

お作りになられていませんお願い

 

その人には

その人に

見合った適正な

ものを

与えておられると思います

 

でも

与えてもらっても

そこに

努力をしない人も

たくさんおられると

思います

 

努力もしないで

化けの皮をかぶりながら

生きていても

自分自身の中に

何も

生まれてこないものです

 

自分のこと

「たいそうな人間だと思い過ぎないこと」

 

「えらそうにし過ぎないこと」

 

年齢がゆくごとに

余計に

「頭(こうべ)を

たれれる生き者であること」

 

大事だと思います

 

それを

親が子供に教えていくべきも

大切なことだとも

思います

 

でも

「親が子に教える」

ことの

限界がきている

 

そんな時代だとも思いますので

 

まずは

自分自身をふりかえりながら

 

「わたしは頭をたれているかなぁ?」

 

反対に

「ふんぞりかえっていやしないかなぁ」

 

・・・・と

 

思うことも

この

蒸し蒸しする

梅雨に

少し

考えてみることも

大切だとおもう

今日

この頃ですお願い

 

親が年寄りになり

子に

キツク言われるむかっむかっむかっ

責められるあせる

 

相談は増えてきました

 

老いますと

若き子に

あれだけのことを

言われないといけないのか?

 

と思う時代がきています

 

でも

そういう人ばかりじゃなく

 

先日は

50歳代の息子さんが

 

70歳代の

お母様と

来られました

(もちろん時間交代で入られます)

 

そのお母さまは

まさしく

「歳と共に 頭をたれて生きておられる」

 

生き方をされておられます

 

それが

顔に出ておられます

 

息子は

母親をうやまい

自分の会社に

母親さんを雇われ

お給料を出しておられます

 

息子さんも

いい顔をされておられます

 

年齢がいくごとに

自分の内面が

顔に

出てくるものだと

日々

思います

 

意地悪人は

さらに

意地悪な顔となり

 

欲深い人は

さらに

欲どおしい顔になられるものです

 

人をみて

思うことがあれども

自分のことは

分からないものかもしれないのが

人間です

 

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

ということわざがあります

 

 

これを

言い換えるならば

 

「老いるほど頭をたれる自分かな」

 

と思うてもいいと思います

 

稲穂は

実るほど

頭をたれて

姿勢が低くなるものです

 

これを

人間にたとえたら

 

歳をとるということは

悪いことではなく

誰でも

行く道です

 

そのときに

我は

姿勢が低く

生きていけてるだろうか?

 

会社の

二代目が

なぜに

こうして

つぶれていくのか?

 

と思いますと

それは

 

子供のときからの・・・

甘やかし

 

社長の息子だ!と

勘違いさせた親のせいでもあります

 

また

子の

勘違いした

頭の悪さもあると思います

 

 

ですから

二代目がアカンと言われてしまうのです

 

親が

腰を低くして

作った会社を

 

ふんぞりかえって

あぐらを

かくから

つぶす

ケースが多いのです

 

 

自分は

 

反対に

ふんぞりかえって

生きてやしないだろうか?

 

・・・と思う

ことわざでもありますお願い

 

ほんとうに

エライ人は

えらそうにせず

 

腰が低いものかもしれないです

 

 

いま

一度

 

我を見返してみる

 

7月1日にできたら

いいなぁと思う

週はじめの月曜日でありますお願い

 

 

 

 

予約は

こちらまで

希望日程時間とお名前を書いて

メールお願い致します

hi.ra.me.chan@ezweb.ne.jp

折り返し返信いたしますぺこり

明蘭の予定表です

http://uraura77.sakura.ne.jp/page010.html