昨日は「母の日」でした
あなたの今日の運気のおみくじです
HPの茶碗蒸しの画像の上を
Wクリックしてみてね↓
昨日は
「母の日」でした
樹木葬の横に
お花を娘さんが
お供えして
手をあわせてこられました
おうちに咲いている
バラを
1倫
入れて
可愛い
ブーケを作っていかれました
ほんとうに
キレイな
バラです
お母様がお好きで
お庭で
育てておられた
バラだと思います
まだまだ
悲しみにくれておられる
40歳代の娘さんに
きれいに
薔薇が咲いて
その
薔薇が
いつまでも
悲しんでばかりおらんと
自分の幸せを
見つけなさいや~
と
お母様が
言われてるような
薔薇だと思いました
生前の
遺言で
樹木葬にしてね
と
言われたとおり
木の横に
小さな石があり
お母様と
娘さまも名前が
ひらがなで掘ってあります
こういうことは
生前に
ちゃんと
お話をしておかれましたら
いいと思います
そうされましたら
残された方が
悩まず
スムーズに
ことが運びやすいのです
墓の
問題は
出てくるものです
生前に
こうして欲しい
ああしておいてね
と
言うといてください
そうすれば
故人も
生きている人も楽なものなのです
「母の日」で
皆さま
いろいろな
プレゼントや
イベントがあられたと思いますが
それも
2024年の5月の
母の日の思い出にひとつになられましたら
いいなぁと
思います
明蘭さんも
こんなに
可愛らしい
カーネーションをもらいました
明蘭さんの
母は
「お母ちゃん」でした
勝手に
100歳まで
生きるような気がしていた
お母ちゃんは
ほんまに
あっさりと
80歳で
「ほな~さいなら~」と
言わんかのように
お空に戻られました
あっけにとられるように
いわゆる
「ピンピンころり」という
お空への
戻り方でした
有難い
お空の戻り方だと
いまでも思います
人間は
お空から落ちてきて
どのような
戻り方をするのか?
は
誰も
知らないことなのです
それで
いいと思います
知りましたら
怖くなるかもしれないからです
「知らない幸せ」は
生きているうちに
自分で
選択できるものの
ひとつだとも思います
でも
現代の
人間は
「知ろう!知ろうとする動物」に
段々と
余計に
なってきている気がします
知ろうしても・・・
知る
そういうものがなかった昔の時代は
夜に熟睡する人が多かったものです
現代は
夜の寝床での
スマホを見続けて
眠れない・・・・
という
お話はとても多いです
どうも
スマホは
中毒性があるようで
アカン・・・アカン
もう
やめて寝なくちゃ・・・・
と思いながらも
やめれないことが多いようです
そうする日々で
睡眠不足になり
次の日が
起きづらい・・・
仕事のとき
頭が回らない・・・
シンドイ・・・
という方が
急増しています
明蘭さんからしたら
何がそんなに
面白いものが
あの
四角の鉄のようなものの中に
あるのか?
と思ってしまいますが
いまや
あの四角い鉄の中には
ユーチューブやら
フェイスブックやら
なんやらかんやらと
押しカツの
タレントさんが
書かれているブログや
タレントさんの
いろいろなことを
知りたい情報が
山盛りにあるようです
それに
人間の
脳が働き
夜更けまで見てしまう・・・
ということも多いようです
先ほどの
「知らない幸せ」というものに
たとえるならば
好きな
タレントさんの
すみから隅まで
知らない幸せのほうが
いつまでも
好きでいれると思うのです
タレントさんは
「ええことを書かなければ」
いけない
職業かもしれません
それを
ファンの方が
あたかも
それが
ほんとうのように
すみから隅まで
読む・・・
読んでしまう・・・
そして
寝れない・・・
これは
個人の自由ですので
やめなさいという問題ではありません
でも
「知らない幸せを選択」することの
ひとつでもあると思うのです
明蘭さんは
夜の9時に寝ます
そのときは
あの
鉄の固まりとは
おさらばです
別の部屋の
充電器の上に置き
寝る部屋にいき
寝ます
しかし
あるとき
あの鉄のかたまりに
用事があり
布団の中で
少し
いじり
そのまま
枕の横に置いて寝た日がありました
不思議なもので
トイレ以外に目が覚めたことがないのに
幾度も
目が覚めるのです
そして
いつの間にか
頭の横にある
スマホに手がのびて
触っているのです
あの
鉄のかたまりから
変なものが出てきていて
睡眠の邪魔をするのです
これは
偶然なのか?と思い
もう
一度だけ
枕の横に置いて寝た日があります
そしたら
また
同じ現象がおきて
目が
幾度もさめてしまうのです
こりゃ
アカンわ
と思い
それ以来
スマホは
布団に
持ち込まない!と決めています
どうも
脳が。。。
スマホが
枕の横にある
ことを覚えて
寝てしまうようです
そして
脳を刺激されて
目が覚めてしまうのだと思いました
いらないものは
脳から
出していく!!!!
知らなくていいものを
興味というだけの
枠にいれてしまい
知りたがらないこと!!!
これは
自分で
できる選択のひとつだ思うのです
人間は
誰しも
「正しい選択」ができるわけではない
生きものだと思います
ぜんぶが
ぜんぶ
正しい選択ができているならば
人間の悩みは
だいぶ
減るはずです
しかし
いろいろな悩みが
急増する現代は
選択のまちがい
かて
することも
多々あるものですから
悩みも増えるのかもしれません
でも
人間は
選択のミスをするから
頭を打ち
過ちを感じて
精進でき
成長する
生きものだと思うのです
ですから
選択ミスで
いろいろな
過ちが起きたとしましても
それを
いつまでも
グズグズと思うことの
選択はしなければ
そんなに
悪い人生を歩むことにならないと思うのです
アカン・・・アカン・・・
これは
アカン・・・と思いながら
ギャンブルに手を出す人もおられます
アカン・・・アカン
この異性はアカン・・・と
おもいながら
いつまでも
ずるずると関係を続けてしまう
そういうことも
あるでしょう
でも
それを
ぜんぶ
「こやし」にして
次に進むために
苦難も感じさせられるものだと思います
その道を歩むのも
自分の
修行
あの道を歩むのも
自分の
修行です
それを
ぜんぶ
避けて生きれた人なんて
ひとりも
見たことありません
自分が選択したつもりがなくても
誰かに進められて
選択させられても
のちの
その後の
選択は
自分ができるのです
それを
ずるずるとしてしまっている
自分に目をむけず
「人のせい」に
するのが
現代の
流行です
それは
「人のせい」にしますと
自分の
こころが軽くなるからです
それが人間の
本能の中にあるようです
しかし
いつまでも
「人のせいだ」
としている人の
成長と未来は
薄いと
感じています
「ガツン」と
頭を
打って
それから
後悔というものが
生じ
不安も生じ
それを
乗り越えて
やっと
1段の階段が登れるようなものです
人間は
そのように
作られていると面ます
1段
1段の階段は
そのように
苦難を乗り越え
頭を打ち
気づきながら
登るものですのに
今度
階段から
落ちるときは
ものすごい
勢いで
真っ逆さまに
落ちたりするものなのです
このくらいにしとかなあかんな・・・
と思いながらも
それが出来ないからです
そこには
「欲」というものも
邪魔してくるのです
そんな
自分の本能を
自分が
知りながら
生きていくしかないのです
誰しもが
幸せになりたい
と思っておられると思います
それを感じるには
過去のことを
いつまでも
グズグズと思わないこと
知らない幸せも選択すること
アカンもんは
アカンと
割り切れること
大きな
野望は
「ねらうとはずす」ので
自分という
容量をしること
これが
できれば
幸せを感じて生きていけるはずです
たとえば
最初の
鑑定で
彼氏や彼女を鑑定したとします
鑑定して
「この人は ないです」
という
キツイ言い方をしています
けれども
そのときは
人間は
納得している
つ・も・り
でも
駅の改札口で
元彼や
元彼女と
偶然に出会いますと
ボロカスの相手が
「運命の人」に変わっていかれるのです
誰が
運命の人と決めたのでしょうか
それは
自分が
そう思いたいだけの
ただの
錯覚です
そして
あれほど
アカンと説明した
異性のことを
次回に聞かれますと
「この人
前の人と違うの?」
と
問いますと
「そうです」と
言われ
なんで???
と思ってしまう
明蘭さんがいても
それ以上
突っ込む気がないのです
次のデートの日をきき
こういう風に聞いてみなさい
と提案することもあります
それを
そのまま
相手に伝えられ
その報告をしてくださいます
その
アカンという相手の
答えが
あまりにも
ただのそのときだけの
エエカッコしぃ
なだけなのです
その約束を守るはずもありません
誠実な人なら
あのようなことを
言わないだろうという
ことを口から
発してくるのです
それは
ええ加減だからです
その場だけの
「ペラ」なのです
うそものなのです
でも
それもあれも
気づいて
成長してくだされば・・・と
思うのですが
なかなか
そこは
多難なようです・・・
でも
それは
その人に
1日中
ひっついて歩けない明蘭さんですので
あとは
自分で
いろいろな
選択をして
幸せだなぁとおもいながら
生きてほしいと
切に願います
先ほどの
お母ちゃんの話ですが
「ほな~さいなら~」
と
こつぜんと消えた
お母ちゃんを思い
まだ
40歳代だった
明蘭さんは
泣いて泣いて
身体中の
涙を
そのとき
一生分
出したものですから
もう
出す涙がありません
しかし
あれほど泣いている
明蘭さんの
前に
急に
「ごめんやっしゃ~」という感じで
お母ちゃんの
四十九日の日にあらわれて
いまに至るのです
「ほな~さいなら~」と
消え
「ごめんやっしゃ~」
と
現れた
お母ちゃんは
いかにも
お母ちゃんらしいと思いながら
いまでも
尊敬する人となっているのです
今日は
雨ですが
雨も
また
宜しいものだとおもい
嫌なものを
洗い流してくれていると思い
今日という日を
正しい選択ができる
良き日となれますよう
お祈りしています
予約は
こちらまで
ご希望日程時間とお名前を書いて
メールお願い致します
折り返し返信いたします
明蘭の予定表です
↓
http://uraura77.sakura.ne.jp/page010.html