私が人工透析を始めたのが29年前の1988年7月6日中学3年生の時でした
即入院しました、当時のM病院は🏥物凄く透析室は狭くて物置みたいな所できた(笑)、スタッフ〜はよい方ばかりでしたね、15歳の私には、その方達も58歳定年前か(^_^;)(笑)、そのご2003年4月25日30歳の時に献腎移植が行われました退院の予定が決まってから急性拒絶が発生します、どうにもならないなりOKT3と言う抗がん剤クラスの副作用が出ました、吐き気、高熱、ハゲその後3ヶ月入院して退院しました、2004年に病院に行き受診をしました、神経内科の医者に脳梗塞の跡と誤診を受けて帰りました、今ものうのうとその病院におりますが(^_^;)、そのご電気屋さんの駐車場で全身痙攣に見舞われ入院となりやした、脳みその半分より左に腫れがありステロイドで脳を普通の大きさに戻しました、左脳がやられてしまい右手が使いにくい言語障害がしばらく残りました、
脳定位精検という奴をしました、そこで病名が確定しました、悪性リンパ種、普通の方は治らなくてあの世直行らしいのですが私は放射線治療で髪の毛を差し出して命を頂きました、治療して下さった命医師は大変優秀なお医者様でしたが初診したえらい医者はあんぽんたんでした💢
2006年に顔の半面だけ帯状疱疹が出来ました
2008年の体育の日に呉の大和ミュージアムの玄関でコケて大腿骨骨折をしました、呉共済病院に運ばれてその後介護タクシーに乗り移植した病院に帰って来ました5時間かかって帰りましたよ寝たまんま料金は5万円なり〜
その後処置室で膝にドリルで穴を開けられ牽引しました(^_^;) その後入院となりやした、最初の手術で足の骨の中にチタン合金をぶち込んでビスで二本つけました、その後部分麻酔で一本ビスを抜く手術をここからが地獄の入り口麻酔が何故だか全然効かず効いてへんていってもシカトされそのままやるまさにそこは野戦病院普通の方なら失神して死んでると思われる、なんとか手術も終わりここの病院で2人目のあんぽんたんな医者💢イニシャルがまさにK・Y(笑)
2014年に白内障の手術を受ける。この手術は近所の大きな病院、何もなく2泊3日で退院
2015年年末大腸穿孔により人工肛門、この時もう少し遅かったら死が待っていたそうな、緊急入院緊急手術となりました、そこで仕事は退職
それから1年4ヶ月後の4月に人工肛門閉鎖術がる時終わりました、がしかし、退院の日も決まったてある日、突然高熱が、検査の結果、お腹に膿が溜まってて熱が出たとかその後腹を裂くか点滴で治療するかと言われて私は腹を裂く方を選択しました、もちろん全身麻酔で行いお腹の中を洗いました、熱は下がりましたそのまんま点滴で抗生剤を打ってたら抗生剤が効かず菌が回って敗血症でしんでいたかも💦約2週間で退院の予定が1ヶ月かかりましたが退院の運びとなりました🎶
その後現在に至る今年の5月9日で早いもので44歳、体内年齢は80代でーす(笑)