空虚という名の地図を持ち、あの夏の日々を僕はきっと忘れないだろう。

空虚という名の地図を持ち、あの夏の日々を僕はきっと忘れないだろう。

日々を綴る事は無く、回想や感じた事を散文程度に。

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時々、ピグで悩み相談を受けてるよ。

僕が聞く事で悩みが軽くなるなら、遠慮なく話してね。


あと、悩み相談で気持ちが楽になった、とか背中を押して貰えたと感じたら、

コメ貰えると嬉しいな。


それを読んだ人が、相談しやすくなるからね。

強制じゃないけれど、もし可能ならお願いしますよ。

早く起きた日は外出していることが多い。

そのほとんどが知人・友人の出演する舞台の観劇か、何かを買う時なのだが。

先日は前者で、ありがたくも招待してもらっていたので、行かない理由はない。
そんな訳で今年初の電車&新宿脱出を果たした。


芝居を観た後は、その前より少しでいいから心が豊かになっていたい。


演者だった頃には思いつかなかったことだが、
今になってそんな簡単なことに気づかされる。
それが立場の違いなのか、成長したからなのかはわからないけれど。

芸術や文化には物質的でない豊かさみたいなものが含まれていて、
日々に流されていた僕はそれに対して、精神的な飢餓になっていたようだ。

個人的には、「ココロが…」とか青臭いことを書くのは躊躇われるお年頃とキャラクターなのだが、
観劇後の僕は、「心の豊かさ」において胃袋を満足させることが出来た。

細かい感想はさておき、これは大きな収穫だったのかも。

公演の前後、久々に中野の住宅街を歩いた。
繁華街なのに静かで良い街だとしみじみ思う。


そうそう、その後、新宿に戻り食事によって胃袋を満足させたことも記しておこう。


……という日記を2年前に某所で書いた。


カレンダーのどこかに自分の誕生日があるように、
全員に絶対にあるのは何か。

それは、カレンダーのどこかにある自分の命日。

誰の本で読んだのかも覚えていないけれど、そんな内容だったと思う。

誰かが亡くなるのは勿論悲しくない訳じゃない。
でも、もっと悲しんでいる親しい人より悲しくなっちゃダメかな、なんて少し醒めた事を考えていたりする。

僕は多分、亡くなったという事実に悲しむんじゃなくて、その人の個性や才能に対する永遠の喪失を哀しむのだろう。
そして、一仕事終えた人に言うように「お疲れ様でした」と呟くのみだ。


自分の誕生日は誰よりも知っている。
では、自分の命日はいつなのか。

それを知りえなくとも、1/1から12/31までのどこかにあるのは絶対だ。
僕にも君にも。

別に死にたい訳じゃない。
精神的に疲れてもいない。
体は休息を欲していても、やりたい事が一杯ある。 知りたい事がある。
嫌な事が無い訳じゃないが、楽しい事はそれより少しだけ多い。

ただ興味として、いつなのかと思うだけなのだ。
それが近いのならば、すべき事を早々に済ませておく必要があるし、
遠いのならば、知ったところで特に何も変わりない日々を続けるのみだ。


話は変わるが、鬱病の方が10年前の2倍に増えているという。
1×2なのか、100000×2なのかによって印象や深刻度は違うのだけれど、とにかく増えているそうだ。

一説には魚の消費量と鬱病の発生率は反比例するそうなので、気になる方は意識しておくと良いかもしれない。
鰯の頭も信心から、という事だし。


僕個人としてはあまり鬱病とかメンタルな問題には縁がない。
楽しく過ごさせて貰っていると思う。

困った人も時々居るけど、ほとんどが優しくて楽しい人達だ。
イライラする事も多いが、長くても幾日かで忘れる便利な頭だと思う。
(この頃は大事な事も忘れてしまうので困ったものだけれど)

生きてる限り、嫌な事や納得のいかない事なんかいくらでもある。
それこそカレンダーのどこかにある誕生日や命日のように、絶対誰にでもあるのだ。
問題は物事の道理を知ってた上で、どう行動するかなのだと思う。

逃げるだけじゃ解決しないし、嫌だと言ってるだけでは何もしていないのと変わらないのだから。


いつだったか、あるアーティストさんのラジオ収録にお邪魔した時に、
その方のとてもポジティブな発言に感銘を受けた。

そこまでポジティブになれなかったとしても、自分の居場所は自分で作って、自分で死守する必要はあると感じた。


個性や才能を発露しきれずに亡くなった人達の為にも、そして何より自分の為にも。
大好きな人や素敵な人の命日を知った夜には、少しだけそんな事を思って「頑張ろう…」と呟いてくれれば、その人達も嬉しいんじゃないだろうか。

僕は少なくとも悲しむだけよりは建設的だと信じている。


君よ、お疲れ様でした。
そこから僕を見ていておくれ。