去年の夏のバーベンハイマー騒動の時から観てみたかった映画オッペンハイマーをようやく観に行けました♪
3時間という長尺に私の膀胱は耐えられるのか?と勝手に耐久レースを始めていたのですが、途中から腰痛耐久レースへと趣旨が変更されて、さらに恐怖だったのはその後一週間ほど腰痛が治らない…
月曜18:30からの上映回だったので、空いているだろうと油断していたら20代くらいのカップルや若い男性3人組など若い世代が目立っていて、座席も8割くらい埋まっていました。
映画の感想としては「エンタメとしてとても面白かった!」
しかしネット上でよく言われているように、予習(前提知識)が必要な映画でもありました。
大前提として
J・ロバート・オッペンハイマーの伝記的映画である
マッカーシズム旋風吹き荒れるアメリカが舞台の映画であり、ナチスドイツの台頭から崩壊、米ソ冷戦という時代に生きた理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた映画
日本人としてはどうしても原爆にフォーカスしてしまうのですが、あの時代のアメリカの視点を追体験するような感覚で見ました。
映画の構成として
【カラー映像】オッペンハイマー事件(機密情報アクセス権に関する非公開の公聴会)を中心とした時間軸
【白黒映像】ルイス・ストローズの商務長官任命公聴会を中心とした時間軸
という2つの時間軸で物語が展開されていて、オッペンハイマー側では彼の半生の振り返りも起こるので時間が前後しやすい。
登場人物に著名な科学者が多い上に、ケンブリッジ大学、UCバークレー校、ロスアラモス国立研究所、プリンストン高等研究所など場所移動も激しい、シュヴァリエ事件、マクマホン法、マンハッタン計画、トリニティ実験などなじみの薄い(後述2つはそうでもないですね)歴史的事実がすごいスピードで出てくるので、全体の把握の為に脳味噌の容量を結構使う。
以上の事から、略年表のようなものでオッペンハイマーの生涯をさらってから見に行ったほうが理解はできるのではないかと感じます。
英語版ウィキペディアのオッペンハイマー事件のページが分かりやすいのですが、がっつりネタバレにもなっていてなんとも薦め難いw
鑑賞直後からずっと心に残っているのは映画中盤~後半のバーンズ国務長官の台詞
「先日、B29で東京を絨毯爆撃して10万人の民間人が死んだのにもかかわらず、(アメリカ)国内で抗議の声が上がらない。」
「アメリカの市民は戦争に慣れて日常になったんだ」
恐らく原爆投下により広島と長崎合わせて犠牲となる22万人と対比させる意図や、WW1からWW2と戦争が日常であった時代を表現したのでしょうが、私はとてもショックを受けて未だに表現する言葉が思い浮かびません。
現在の世界の状況から湧き上がる感情と、日本の歴史観から日本人として湧き上がる感情と、職業人としてオッペンハイマー博士が内包したであろう葛藤に共感する気持ちと、ボーア博士の願いとアインシュタイン博士の絶望と受容。
ぐるぐると堂々巡りをして上手く表現できない感情ではあるのですが、答え?対?となる台詞も映画の中にあってそれはキティの“罪を犯しておいて、その結果に同情しろとでも?”だったのではないかと。
こう感じたのは、トルーマンとの会談シーンで大統領が「あの泣き虫を二度と近づけるな」の前の台詞で原爆の使用で歴史に名を残すのは君じゃない。私だ。(正確に覚えていないのですがこんな内容だった)で、このシーンは政治家と物理学者という生き方の違いを印象づけたのと、大統領の口を使ってキティの台詞の言い換えに感じられたから。
トルーマンの「泣き虫」発言は政治家としての覚悟を感じるので結構好きなんです。
恐らく私が日本人だからこそキティの台詞に強い感銘を受けますが、アメリカ人であったのならトルーマンの台詞に感銘を受けるのかもしれません。
でも、一般的な感覚からしたらオッピーやアインシュタインに共感するのかも?善良なボーアに好感は抱きますが楽観的過ぎかな。
映画の原作本も気にはなりますが、長らく在庫切れになっていたオッペンハイマー中沢志保著が最近、電子書籍で配信されたので読んでみようかな。