裏釈迦が保育園の年長さんのとき、妹が生まれました。
ずっときょうだいが欲しかったので、とてもとても嬉しくて可愛かったのを覚えています。
妹が生まれる直前、私と母は故郷である北の大地に帰らざるを得ない状況になり、妹も彼の地で産声をあげました。
生まれたことを関東にいる父に報告するため、母は産院の公衆電話で電話しました。
6歳の私は、父に妹の声を聞かせてあげたくて、生まれたての赤ん坊をそっと抱っこして、電話口まで連れて行きました。
母が顔面蒼白で大慌て、電話の向こうの父も何事かと驚愕していました。こってり叱られました。
今なら、何ちゅう怖ろしいことをしでかしたのかわかるのですが。
……あ、ダメだ。自分の娘のこと叱れないな、私。とんでもないことばっかりしでかしてたわ。
食いしん坊で甘えん坊で健康優良児な妹は、まんまるく育ちました。
小さい頃は「ねーね、ねーね」と私の後ばかりついてきました。
大きくなると、生意気になりました。
それでも困ったことがあると今でも相談してきます。
妹からの相談で印象強いのは、数年前のことです。
「ねーねー、『メアド変更しました ◯◯』ってメールが来たんだけどさ、誰だかわかんないの。『誰ですか?』って返信したんだけど返事ないの。お姉ちゃん心当たりない?」
当時、ケータイメールで流行していた、メアド搾取の手口と思われます。
おまえは、バカか。
と開いた口がふさがりませんでした。何を律儀に返信しているのだ。詐欺じゃなりすましじゃ。放置じゃ、放置。
こいつ、騙されていつか幸せになる壺とか買うんじゃあるまいか……。
妹がいたおかげで、私はだいぶ救われていました。
親父と私の共通の趣味は、この単純で泣き虫な妹をからかって、うわぁ〜ん!と泣かせることでした。楽しかった……。
同じ姉妹でも、私と妹は全然違います。
妹はとにかくテレビ好き。朝起きたらテレビ。帰宅したらテレビ。ずっとテレビ。
いつしかジャニーズにはまり、それからだんだんと音楽関係の追っかけのようなことをし、社会人になるとライブばっかり行ってました。
妹が高校3年で進路を考えるようになって、「大学行きたい」と言ってきたとき、私は叶えてやれませんでした。
大学は、私も諦めざるを得ない状況だったので、もし私の稼ぎがもっとよかったら、行かせてやりたかったのが本音です。
妹は、反対する私に、一生懸命訴えてきました。
バイトして生活費は自分でなんとかする。
奨学金を借りて、働くようになったら返済する。
しかし、私は反対しました。
無償の奨学金を受けられるほどならともかく、借りるなんてとんでもない、と思いました。
当時の私は、就職したものの、正式採用されるためには車の免許と、自家用車が必要でした。お試し採用期間に車の免許取得を言い渡され、自動車免許のローンを組み、中古車もローンで買い、自動車保険を払い、その上家族を支えるための借金まで抱えていました。
大学で学んでいるうちは、返済も苦ではないでしょう。しかし、就職ができるかどうかも不透明な当時、たとえ就職できたとしても、我が家の状況では、免許やら車やらのローンがのしかかってきます。その上奨学金の返済では、就職したばかりの若いやる気をなくさせるのは十分目に見えていました。
どうしても大学に行きたいなら、二、三年働いて、お金を貯めて、そのお金で行け、と言いました。
妹は、とにかく悔しかったと思います。そのやり場のない悔しさは、私も知っています。何度も何度も、味わってきた理不尽な悔しさ。
できることなら、妹にはそんな悔しさ、味わってほしくなかった。
それでも、奨学金を借りて大学に行って、そのあとで借金という現実的な問題を抱えるより、ましだと思いました。
しばらくして、妹は進学を諦め、就職の道を探し出しました。
いくつかの就職面接を受け、無事に採用になりました。
就職面接で、『あなたの尊敬する人は誰ですか』と聞かれたそうです。
妹は、『私の姉です』と答えたそうです。
陰でこっそり泣いたことは、秘密です。
そんな妹も、もう少しでお母さんになります。初めての姪っ子が、今から待ち遠しい裏釈迦でございます。