【スワロー】重連蒸機の咆哮が聞こえるか【エンジェル】 | Savage Salvage (AKA UЯASHIMAru)

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砂漠 音楽 秘密(笑)の趣味 
Desert Life, Classical Music, Traditional Play, Motor Cycling and a bit of Model Railroading.


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満洲のみならず内地でも流線型蒸気機関車が誕生していたが、電車や気動車も含めそのデザインは基本的には流行に乗ったデザインのためであり、その覆いによって如何程の速度向上が見られたかといえば、残念ながらその姿に見合った効果があったとは言い難いのが現実であった。
焦土と化し、産業復興も侭ならない戦後を迎え、しかし大陸や南方からの復員或いは都市部から地方への買出しと、戦争による移動制限の枷が外れた人々の動きは活発になった。軍需中心の貨物輸送を目的とした機関車増備計画は大幅な見直しが必要となり、余剰となった重量貨物用の巨大で効率のよいボイラーを転用或いは改造した旅客用機が企画された。国内用では最後の蒸気機関車形式となったC62の誕生である。
その車両限界ぎりぎりまで拡大した体躯に反し、自動給炭器(ストーカー)の搭載や余裕のある出力により意外にもこれより小型の機関車より燃費効率が良いといったような想定外の美点にも支えられ、沼津、京都間等の東海道、山陽非電化区間の優等列車牽引仕業のみならず、やがて呉線や常磐、東北といった亜幹線へと活躍の場を広げていった。しかし何よりの勲章は、居並ぶ流線機を差し置き、本機こそが狭軌鉄道の速度世界記録樹立の栄に浴したことであろう。


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しかーし!そんなタイソウな記録より何より!!オレ達の脳裏に焼きついて離れないあの日あの時あの場所でのC62いやシロクニの記憶とは、もちろんその晩年、生き残った大半が渡った北海道の大地でのあの重連で急行列車を牽引していたときのあの姿ですよ!なかでも重装備の2号機と3号機が仲良く手を携えて長万部小樽間の通称山線を、もくもくと分厚い二組の煙を上げて上ってゆくあの力強い姿ですよ!いやーいまだにゴールデンコンビ等と言われ語り草のあの姿を、当時を知る鉄道ファンならよもや忘れることなどできはしまい(笑)
当然模型の世界でも、それを再現することに今でもダレもが憧れます。勿論オレもその一人であります。懐かしい今やセピア色に染まったアノ頃の、少年の頃のオレの目の輝きが、今ここに蘇る!!(ナンノコッチャ

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その40年ぶりの夢を叶えるのは天賞堂の(やや古めのw)特定番号スーパーディテール仕様2号機スワローエンジェル&カツミ模型店の(相当古めのww)シュパーブ・ラインにニワやエコーのロスト部品等で纏めた3号機という、日本の鉄道模型史を現代まで続けて担ってきた2大メーカー製品の、これまたゴールデンコンビであります。

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この時代の少年は、なんでも良いからただツバメのマークさえ付いていればカッコ良いとすら思っていたものでした。自転車のフレームにも一生懸命このデフについているツバメ・マークと同じようにマジックで描いたりしたものでした(笑)
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そしてその重連仕業独特のブラスト音は、レコードになってカラヤンやショルティのと一緒に駅前のレコード店の一番目立つところに並びました。いや、南沙織や水前寺清子のと一緒に並んでいたのかも。
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夏になると若者達(といってもオレよりづっと年上の若者達でしたが)はこぞって青函連絡船に乗って北の大地へ渡ってゆきました。なかには親の脛かじりの分際でこんなクルマに乗ってるヤツもいたものでした。スカイラインGT-R(KPGC10型)2ドアは1970年暮れの登場。入れ替わるようにC62の北海道での最後の活躍は71年の夏の伝説の3重連仕業で幕を閉じたのでした。
現在この2号機はオレ様のお膝元にして2号機自身の古巣でもある梅小路に戻り、その目玉として動態保存(2年前から故障中)、3号機は最後の活躍の場北海道苗穂基地で静態保存されているのは周知の通りであります。なお梅小路にはトップナンバー1号機も静態保存されております。

(つづく)