真新しい襲名披露用の幔幕に織られた「伊勢丹」の文字もなんや田舎くっさいデパートの名前が書いたあんなあくらいに最初からケチこそつけ、やっぱり江戸歌舞伎の上方での本公演ともなると、なんで(客席やなくて)舞台の方から妙な気負いと敵愾心、というより必死なって見下そうとしてるとしか思えん焦りばっかしが浮いて出てくる。しかも夜の部は襲名披露の口上まであるというのに。
その口上を挟んで前半はもともと近松が人形浄瑠璃に書いた義太夫狂言「俊寛」後半には黙阿弥がお能を歌舞伎にうつした「船弁慶」と、古典歌舞伎好きには申し分ない番付ではある。
当代吉右衛門演じる俊寛と、回り舞台を効果的に使ったその不条理の果ての孤独を取り囲む絶海の孤島の表現、或いは歌昇改め又五郎が踊る平知盛の霊が弁慶の祈りとその霊験により退散してゆく哀れ、しかも落ち行く当の義経と弁慶さらには彼らを追い詰めた頼朝の子孫もまた逼塞してゆくという誰もが知っている破滅の連鎖の物語は、無常を知るオレ達好みの選曲であろう。
しかし、そういった日本人の心を映す鏡ともいえる名調子も、なぜか東京人が演ると薄っぺらい。まず調子が一本調子なうえに、すべての動作が早い、早すぎる。必ずしも感情の篭った芝居が良い芝居とは限らないが、しかし空っぽで何も響かないお芝居の形だけが決まっても、それでは何も響いてこない。まるでテレビでお芝居を見ているような気分にすらなってくる。わざわざ小屋まで足を運ぶ理由とは何や?そしてそもそもガラガラとは言わんまでも8分も入ってない。上方の客をバカにしてはいけない。
播磨屋の屋号がもともと京都のものであろうとも、一族が京都出身であろうとも、そんなことをいちいち口上で並べ立てられて喜ぶようなイナカモノは京都にはおらん。俊寛が命を賭してでも帰りたかった京の都、その妻の首が斬られ晒されたのはまさにこの南座の建つ四條河原であり、あるいは弁慶と牛若丸の出会いの場である五條大橋とは、やはりこの小屋のすぐ南の今の松原橋である。そういう場所で、しかも歌舞伎発祥のその地であげる口上がこれでは、そりゃ客の入りがこの程度でも仕方がない。そもそも休憩時間にロビーで聞こえて来るお客さん達のしゃべり方からして、殆ど京都(や大阪)の客なんか居らんやん。そういうところをちゃんとチェックすらしないようでは、やっぱりこの先辛いもんがありますどすえ!
今オレのなかでは、やっぱり俊寛は文楽として、船弁慶はお能としてそれぞれ見たほうが面白いんちゃうかという思いでいっぱいである。
秀山祭三月大歌舞伎@南座
(夜の部)
俊寛
襲名口上
船弁慶
(明日までw)