きっと日本中の人達が京都に行くときに思うような事を京都人は金沢に託す。だんだん金沢が近づいてくると訳も無く心が浮き立つ。しかしその一部は徐々に金沢が近くなるにツレ打ち並び始める新幹線の橋脚に挫かれる。なんで京阪神からでなく、東京から新幹線なん?例えば京都駅0番ホームから終日ひっきりなしに出発してゆく雷鳥やサンダーバード、それが象徴する濃密な繋がりと何か矛盾してないか。
ショスタコは共産主義世界に咲いたアダ花であるとはよく言われる。井上/OEKのカップリングの妙を遺憾なく発揮したくっきりとしたコントラストを見せる演奏を聴きながら、世に言うシティー/シチズンとナショナル/ネイションとの違いについて思う。コミュニズムとは結局モスクワのためのものであった。シベリアから中央アジアまでその版図に治められた全地帯は畢竟その西の果ての都市文明を支える巨大な食料お呼び資源の供給地に過ぎなかった。つまりソ連にカントリーなどと言う概念ははなからなかったのであるから、そもそもそんなものは最初から不成立なのは当然であった。コルホーズもソホーズもただ家畜を太らせ出荷させるためだけに存在した。むしろそれを恥知らずにも国是として抜け抜けと一国二制度とか言いってのける中華のほうが潔い分いまだに崩壊せず存在している。
とにかくそんなシチズン/シティをその第一番交響曲の時代から諧謔的な音にしてみせたショスタコのナイーブに屈折した思いを井上がどう思っているのかは今のところ知る術が無いが、少なくともOEKの面々が真摯に切り取るその音像は、昨年ちら見したソ連時代のポスターや抽象芸術がその半皮くらい剥いた所にくっきり透けてた、つまり見え透いた豊かさのみを殊更強調することでアナーキーさが炸裂するようなアレとの同質さを浮き彫りにしてみせた。
いや実はここで改めて感動するべきはOEKなんやけど、それを通り越して普段なかなかそういう耳になれないショスタコのそのスターリンとの際どい関係性の音というのを本当にじっくりと聴かせて頂いた。
OEKに関しては、はっきり言って、無駄にいくつもある大阪の交響楽団を大フィル含め全部差し上げるので、この小さなオーケストラを下さい!と今日は本気で思いました。実はOEKを生で聴くのは恥ずかしながらこれがハジメテなのです。いつも大阪定期は金聖なんちゃらとかいう整形系自己愛専科指揮によるものしかなく、従って選曲にも興味が持てず、唯一PACと合同演奏会という強引な企画のみに顔を出しただけやってんけど、もちろんそんな状態でもOEKの実力の片鱗は十二分には感じたんやけど、ついに敵地に乗り込むこの日まで聴いた事が無かった。が、来てよかったー。「黄金時代」という選曲につられたんだが。
ええところで昨日の差額のお話でヤンケすが、そんな差額が何の意味も無いほど本日お昼間に散財してしまいました。まずもって朝8時半ごろの新快速に乗れば敦賀で一回乗り換えるだけで特急料金なしに金沢まで4時間を切るスピードで行けると知って、それを実行に移したがなぜか昨夜の大雨とそれにともなう強風で徐行運転大幅に乱れるダイヤ・・・。もちろん敦賀から金沢行き普通に乗れるはずもなく結局チュート半端に特急に乗ってしまった。
そして金沢特産といえば焼き物、しかも高価な九谷焼。早めに着いたら美術館に行くんだぁ、兼六園や武家屋敷も見なくっちゃ~・・・のはずが気が着いたら窯元直売や骨董屋で目移りしまくり♪いやバスの一日乗車券を買って兼六園の入口までは行ったんですよ!やばい現在ポケットには千円札しか残ってません。。。
でも次回こそ機会を設けて是非一杯やりたいと本当に思っております。よろしくお願いしまーっす!
さてそんな貧乏を脱するためにも明日は早朝5時半の特急列車に乗って京都に帰ります!仕事しごとー(ほんまか?w)
5/22(金)
オーケストラアンサンブル金沢
第300回定期演奏会
@石川県立音楽堂コンサートホール
井上道義/OEK/ボリス・ベルキン
【曲目】
組曲「黄金時代」Op.22a
ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77
(休憩)
交響曲第1番へ短調Op.10
以上オール・ショスタコーヴィチ・プロ
(アンコール)
チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」より「ポロネーズ」

