相変わらず暑いには暑いが、朝晩はそこそこな気温になり、湿度もソレほど高くないんで結構過ごしやすくなった。それでもお昼間は冷房がデフォですが。そしてこれがやっとフツーの真夏くらいなんやけど(苦笑)
暑い夏こそ涼しい北欧の音楽を、ってわけなんかは知りませんが、最近京響のシベリ率が高い。先日の大阪公演でもシベリウスやったし、これまでも京響はシベリウスはレパートリーといって良い頻度で取り上げ、ムントや遠くは渡辺暁雄で録音も発表しておるから別に驚くべきことではないが、昨日は一寸違った選曲のシベリウスであった。そしてまたあの大袈裟なワイヤーが指揮台の上空に吊られていた。なんと再びNHKで放送されるらしい。これはもう前回放送分も含めはやくCDにして発売してもらいたい。なんせオレはFMラジオを持ってません!
間もなく新国の芸術監督に就任する尾高忠明がプレトークでちらりと語った裏事情では京響常任の広上とともに選曲を決めたそうやけど、尾高と広上が同じオケでシベリウスを競演ということでどっちも後に引けないタクトやん!と否が応にも胸は高鳴る(笑)それにしても最近ひときわ透明度が高く涼やかで且つ厚い音を鳴らす京響は、はっきり言ってまさにシベリウスを演るためのオケといって過言なく、実際昨日も思ったとおり、いや思った以上の感動を胸にホールを後にした。それどころか「4つの伝説」が高らかに鳴り終えて訪れた静寂の束の間に涙が溢れそうになったのはオレだけの秘密にしておく。いや辛うじて抑えたけど。
細かいことを言えば「ペレアスとメリザンド」中、クラリネットが発音を小さく間違えた(ように聴こえた)り「4つの伝説でオーボエやったか何やったかがデクレッシェントで息がやや荒れ気味やったりしたのが僅かに気になった一方、イングリッシュホルンやパーカッションの滑らかさ、冴えにはヒキツケを起こすほど惹きつけられた。特に「4つの」で吹奏楽器の奏でるメロディは京響史に忘れられぬ新たな感動を残したと思う。
尾高の話の中にもやはりフィンランド人の出自を明らかにしたいという構造主義以降の精神には怪しげな、しかし怪しげであるからこそいまだにセカイを大きく規定づける民族主義や国家主義つまり世俗的通俗的には隠しても隠し切れない欲求が、そこにこれまたこの頃巷でひときわ姦しい日本人は何所から来たの(?)話に結びつけられた紋切り型の説明として付け加えられておったんやが、まあこれは先日の森悠子にも言える今の二ホンの音楽馬鹿の知性との交流の程度が伺える与太話とうっちゃっておけば良い。
しかしそんな日芬交流のおべっか的部分を掻き拭って、ソ連/ロシアとスウェーデンに挟まれ幾度も民族の言葉や歴史を上書き或いは消去されながらも、なにがしかの非ヨーロッパ的アイデンティティを保ってきたフィン族という集団とは何なのか、そしてシベリウスはその集団の内部から何をしようとしたのか、という視点ならば興味深い。或いはその流れのなかで明治維新以降夢中で西洋化を勧めた二ホンが21世紀になってやっと今我々にとって「和」とは何かを欧米のみならず今やすっかり関係性が変わってしまった周辺諸国との距離の中で探る可能性或いは不可能性について考えて見るところまで範囲を広げればもっと親しみが沸く。ましてや嘗て京響の音楽監督を務めたこともある渡辺はそんなフィンランドと二ホンのハイブリッドであった。存命中にもっと踏み込んでそのへんのところを誰かがインタビューしておくべきであった。或いはどこかにそのような記録が残っているかもしれない。誰かそのへんをかき集めて不勉強なオレの目にも触れ易いようにしてくれないか。
9/4(土)
京都市交響楽団第539回定期演奏会
@京都コンサートホール
尾高忠明/京響
(曲目)
①シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ
②同:組曲「ペレアスとメリザンド」
(休憩)
③同:交響詩「4つの伝説」
ところで尾高は札幌交響楽団でもやはりシベリウスを演って高い喝采を浴びているようだが、こうなるとオレも是非札響のシベリウスも聴いて見たくなった。近々京都、あるいは大阪あたりへ来る予定は無いんやろうか。