2013/01/10 | asuaritoのブログ

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あすありと思ふ心の・・・

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22才の別れ

作詞、作曲
伊勢正三さん


名曲「なごり雪」と「22才の別れ」は
3日間で出来上がった曲だと聞いたことがあった。


「なごり雪」も大好きな曲だけれど
「雨の物語」は、もっと好き音符
シングルのレコードを繰り返し聞いていた記憶がある。


「22才の別れ」
小学生のとき、上級生のかたから
「いい曲ですよ」
と教えていただいた。
そのときは、なぜかレコードを繰り返し聞いた記憶がないから
自分では持っていなかったのだと思う。


私が27才のとき
高校のときの恩師が心臓病でなくなられた。
1年間担任だった。
無口で静かな先生。
「叱る」「怒る」表情を見たことがなかった。
それと、おかしそうに笑われる表情も。


2年生のとき
修学旅行で関西と関東に行った。
毎年、修学旅行では「事件」があって
修学旅行が終わったあと
退学処分、謹慎処分の生徒が何名かいたという。
二学年上の先輩は、定員の半数に満たない生徒数。
定員以上の生徒がいても、修学旅行で羽を伸ばしすぎて
半数以上は学校を退学なさっていた。


私たちの学年も定員より、数名多かった。
二学年上の先輩のこともあってか
引率の先生方はピリピリなさっておられたのだと思う。

修学旅行の帰り、寝台列車で一晩かけて帰る。
生徒たちは、寝台列車で渡された「浴衣」を着て
旅行中に買った洋服を取り出してはしゃいでいた

夜も深まったころ
担任の先生がたが
写真を撮りにいらした。
「おやすみ」
の合図であったとも思うのだけれど
担任の先生は
座り込んで
「ブルーライトヨコハマ」
を歌いだされた。
2年間過ごして、初めてみる担任の先生の明るさに
みんながうけたのだと思う。
同じ歌詞を繰り返し何度も歌いながら
みんなが、先生の姿を喜んでいた。


事件は1週間後に発覚した。
修学旅行の写真が全て張り出され
購入者を募られた。


その写真を全て見られたW先生。
W先生は校長先生よりも決定権をお持ちのような…
W先生の一声で全てが決まっていた。


W先生。
「ブルーライトヨコハマ」を合唱している写真…
教師たちの顔が赤すぎるのは、どういうことかと追求なさった。


生徒は、何も知らない。
学年主任が「白状」なさったらしい。
「今年の修学旅行は『無事に』終わった」
と、大層喜び
校長はじめ1人を除いて、引率者全員で『祝杯』をあげられたのだそう…


確かに「事件」はなかった。生徒は。
その後、引率なさった校長先生と数名の先生がたが
どういうことになったのかは覚えていない。



前おきが
とても長すぎてしまう…
「22才の別れ」の
音符あ~なたに~』
声が担任の先生に
そっくり。
30才を過ぎたころ関西へ移り住んだ。
そのとき『22才の別れ』を見つけてCD
聞き入っていると
担任の先生の声のようで泣き出してしまった。


好きな曲を集めて
プレイリストを作る。
発表順(発売順)に
曲を並べてみる。
う~ん!(^^)!
自己満足。


思い出の順番に
曲を並べてみる。
一人で悦に入って涙が止まらない。


同級生、学校の先生。
私たちの学年は
同級生を多くなくした。
学校の先生も。


生家には
いしだあゆみさんの
「ブルーライトヨコハマ」はある。
今、手元にあるのは徳永英明さんのカバー曲だけかもしれない。


8時を過ぎた…
そろそろお呼びがかかる。
7時間くらいは自由(曲を聞けない)ができない。
終わったら18時から楽しみがある。
10日ぶりのラジオ。
おりこうさんに過ごします(/^▽^)