某ネイルサロンオーナーのぼやきブログ。

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30歳からネイリストを目指し、32歳でオーナーネイリストになった過程や プライベートサロンを運営していく上で気づいたことなどをupしています。

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スタッフ見てても、いろんな方のお話を聞いてても思うんだけど

ほんと、自分のことしか考えてない人ほど他責思考で 

何か起こればぜんぶ誰かのせい。



この思考のルーティンは、感謝が無いからこそ起こると私は思う。



他者に感謝すれば自分がどれだけ恵まれているかがわかり、自己肯定感も上がる。



仕事に行きたくないのは職場の上司のせい

彼氏が会いに来てくれないのは彼氏が私を大事にしてくれないせい

家に帰りたくないのはうるさい親のせい




だけど、本当の理由はそこじゃない。


向き合わなきゃいけないのは自分自身だ。



なぜ職場の上司が嫌だと感じるのか

その理由を言語化して書き出して

どこからどこまでが業務上必要な「事実確認」と「改善策」で

自分の非は本当にどこにもないのか?

相手から見た自分の改善すべき点に対しては

一切聞く耳を持たず

イラッとした部分にだけフォーカスして問題をすり替えてない?



自分の未熟さで迷惑をかけてしまった

と反省できる人は、自己肯定感が前提にあるから

まずは自分自身にフォーカスして

良くも悪くも、事実を認める。




「この度は私のミスで皆様にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした!
貴重なお時間を割いて改善点を教えてくださってありがとうございます。」




と、自然に上司に伝えてるんじゃないかな?




これ言われた上司は、優しくなると思うよ。


人の話を聞く耳を持った素直でいいコだな。


ってね。




彼氏に何日も自分の連絡を無視されて

久しぶりに連絡が来たらなんて返す?



ごめん、忙しかった。



と言われたら



何日も連絡もらえなくてさびしかった。



と感情を伝えることも大事かもしれない。



だけど



私も私で忙しいし、あなたがいようといなかろうと私は幸せなんで💋



ってスタンスがない依存気質の女の子の本質は

「自分を寂しくさせたのはあなたでしょ」

という他責思考だから、寂しかった が強く前に出て

相手が「忙しかった」と言った事に

労いを示す余裕もない。



忙しい中、連絡してくれてありがとう!



この気持ちが少しでもあれば、寂しかったという感情を相手のせいにしなくなると思う。




自分を大切にしてくれる人は

言葉と行動に思いやりがある。




毎日、「ぼちぼちな」と連絡をくれる人がいるんだけど

その人に「ぼちぼちな」ってどういう意味?

と聞いてみた。


ぼちぼち=そこそこでいい

みたいな意味で

頑張ってる人に、頑張ってって言いたくないねん。

だから肩の力抜いて、頑張りすぎんと気楽にな

みたいな意味やで。


と教えてもらった。


わたしは「おしおしな」と返す。

これは山形の方言で

「ありがとう」って意味で使われる。



気遣ってくれて、ありがとうね



このやりとりを繰り返していて、思ったの。

たった一言の ぼちぼちな と おしおしな。

これ、相手を気遣う人の優しさと、それを受け取った人の感謝なんよね。

これが双方の自己肯定感を上げる。





感謝=受け取るチカラ でもあるなと思う。

それがない人の反応の違いが明確にわかるようになったし

自分が受け取り拒否をしたときも気づけるようになった。



失って気づくこともある。

与えられ続けてきたのに なぜ私は拒絶してしまったんだろう

と後悔の中で苦しんだ事もある。

だけど、ちゃんと取り戻せた。



私が、私を諦めなかったのは

そのままのあなたが大好きよ。
だから無理に誰かの理想に自分を合わせて変わろうとしなくていい。

と言い続けてくれたお客様や友人のおかげだ。



だから今度は私が諦めようとした人に手をのばす。

拒絶されてまた苦しんだとしても

それでも構わないと思うの。

私がそうしたくてしてるだけだから。


だけど、ちゃんと掴んでくれる人もいるんだよ。


かつて拒絶したあの人が私に向けてくれた愛情は

ちゃんと感謝になって私の中にある。



だから私は自分の言葉と行動が責任をはたしていると言えるか?

と常に自問自答する。


最初は苦しいよ。

認めたくない自分の非なんて、いっぱいある。

むしろ非しかないんじゃないか ってくらい。

だけど、1つ1つ認めていく。

もちろん、いい部分もね。



感謝→自己肯定→自責→自由



幸せは他人からもらうものじゃない。

自ら至るものだから。

by お釈迦さま