●【ココロノマルシェ】のご相談に回答しました。

〜人が亡くなる悲しいニュースに全く感情移入できない〜

 

 

こんばんは。心理カウンセラーのうららです。

雨の土曜日、寒い日曜日、皆様いかがお過ごしでしたか?

今日は良いお天気の月曜日でしたね。

 

ハナミズキが綺麗な朝のお散歩です^^

 

 

 

今日は【ココロノマルシェ】のご相談に回答しました。

 

ココロノマルシェは、根本裕幸師匠の「お弟子さん制度」を卒業した弟子カウンセラーたちが、

寄せられたご相談にお答えするページです。

 

 

▽まりあさんからのご相談▽

〜人が亡くなる悲しいニュースに全く感情移入できない〜

こんばんは。

ブログで知った子どもの死を悲しめず
人として問題があるのではないかという疑問がわいています。

これは本当に人として問題があるだろう感情で
かつ、病気や死を扱う非常にセンシティブな質問なので
お気を悪くされるかもしれないことはここでおことわりしておきます。

こちらアラフォー独身子なし、中途半端な自武女です。

友人から先日、闘病の末に若くして亡くなった子どもを持つ親御さんのブログを紹介されたのですが
全く感情移入できませんでした。

友人は涙で読めない、胸が押し潰されそうと話していたのですが
お気の毒、無念だったろうなとこそ思うものの
それ以上の感情を持つことができなかったのです。
ましてや泣くなんて。胸が押し潰されそうになるなんて。

実は昔からそうなのです。
若くして無念の死を遂げた、というニュースに
不思議なくらい感情移入ができない。

一体なぜそう思うのかということについて考えてみました。
おそらく一番は、こんなにたくさんの方に惜しまれ悲しまれていること、

親御さんからこんなに愛されていることへの嫉妬。
私は正直、自分が死んで悲しむ人の顔が全く浮かばないのです。
もし今私が死んでも、家族ですら悲しむことはないだろうと感じています。

小さい頃からいろいろなことを期待され押し付けられて
できて当然、できなかったらボロカスに言われる環境で育ったために
生きているだけでありがたがられる、みんなが喜ぶという存在の人が羨ましくて仕方がありません。
生きることをこんなに願われて、どれだけ生まれながらの特権階級なんだよとすら思ってしまいます。

ただ若くして亡くなったというだけでこの子めちゃめちゃ幸せじゃん。
こんなに大事にされて、こんなに愛されて、たくさんの人にその死を悲しんでもらえて。
私は五体満足で生まれて、人並み以上にいろんなことを頑張って結果を出しても
全然誰にも喜んでもらえなかったのに。
(ちなみに小さい頃から具合が悪くなると、心配より先に迷惑がられる環境で育ちました。

そのせいか今も非常に健康です笑)

最後ご家族に当てた手紙で、私が死んでも悲しまないで、というような文章があったのですが
ああこの子、自分が死んだら誰かに悲しんでもらえるってわかってるんじゃん…
私が同じような境遇だったら、誰も悲しまないだろうしそんなこと書こうとすら思わないなんて考えてしまって。

つまるところ、私も自分が死んだら誰かに悲しんでもらいたいんですよね。
私がいなくなっていろいろ困る、じゃなくて、ただ私の不在を悲しんでほしい。
利害関係全くなしに。
その希望が昇華されていないから、
こういう場面で人として当然持つべき感情を持つことができないんだなと思いました。

以前だったらきっと、ヒステリックに自分が惨めで心乱れていたと思いますが
今回はそこまでではなく、なんだか淡々とこの事実を受け止めています。

だいぶ自分軸、自分を大事にする、という感情は育ってきたと思うのですが
それでも「誰かに悲しんでもらいたい」という欲求があること
そのせいで本来であれば悲しまなければいけない場面ですら悲しめないことに気づいて
愕然としております。

人としての感情を取り戻すために、私は何から手をつけていけばよいのでしょうか。
アドバイスいただけたらありがたいです。

 

 

 

▽うららの回答▽

 

まりあさん、はじめまして。うららと申します。

ココロノマルシェへのご相談、何度もお読みしました。

率直な思いをお伝えくださりありがとうございました。

 

まず、最初に、ブログで知った子どもさんの死が悲しめなかったこと、

感情移入できないこと、そのことに対してご自身に人として問題があるのでは?

と悶々とされているようですが、私が思う人として問題があるような人は、

悲しめなかったこと自体、何とも思わないのではないかな?と思います。

 

まりあさんがそこの部分を気にされる、ということは、

きっと、ご自身の認識するお気持ちと、心の奥底のお気持ちが

ピッタリしていないのでは?と私は感じました。

 

誰かに悲しんで欲しい、ということは、ご自身が悲しみたい、ということなんだと思います。

愛されたいなら自ら愛す、与えて欲しいなら自ら与える、悲しんで欲しいなら自ら悲しむ、

そんな〝気持ちの交流〟を少し頭の片隅に置いてみてくださいね。

 

まりあさんは、悲しめないことが悲しいのでは?と思いました。

無意識かもしれませんが、悲しみたいけれど、その感情をご自分で禁止してしまっているので

感情が心の奥底で凍ってしまっているように感じました。

 

なので、カラダ中に違和感があるのではないでしょうか?

と、言うことは、まりあさんは、本当は暖かい人、愛情深い人なんだと思います。

 

悲しいという感情が感じられないとして、

〝楽しい〟〝嬉しい〟〝幸せ〟と言うような感情は感じられていますか?

 

いろんな感情があると思うのですが、感情を抑圧してしまうと

どんどん溜まっていってしまいます。そしていつしか麻痺してしまいます。

そして悲しいや嬉しいを感じなくなってしまうんです。

 

まりあさんは、ご自身の死を誰も悲しんでくれない、と言われますが、

まりあさんにブログをご紹介してくださった方は素敵なご友人さんだと思いました。

きっと、まりあさんと悲しい思いをシェアしたかったのではないでしょうか?

 

まりあさんご自身は悲しむことを出来なかったのかもしれませんが、

そうしたかった思いを、そのご友人を通して、

そのご友人がまりあさんの代わりに涙したのでは?と思いました。

子どもさんの死を悲しみ涙し、胸が潰れそうな思いをなさったのは、

本当はまりあさんご自身だったような気がします。

 

 

 

 

まりあさんの小さい頃のことを書いてくださっていますが、

とても深い悲しみや寂しさが伝わってきました。

 

まりあさんは、いっぱい頑張ってきたことを、

ご両親にもっと認めて欲しかったのですね。

いっぱい褒めて欲しかったのですね。

一緒に泣いたり笑ったりしたかったのですね。

 

その当時に出来なかったこと、今、してみませんか?

今、〝感じる〟ことをしてみてはどうかな?と思いました。

 

お風呂に好きな香りの入浴剤を入れて「気持ち良いな〜」

お天気の良い日に外に出てキレイな花を探して「キレイだな〜」

朝日や夕日を見て「自然って素晴らしいな〜」

公園で青々した木々に触れてみたり、

ただ、そよ風を感じてみたり、

 

等々・・・

 

そして、何かを感じた感情を、小さな頃のまりあさんとも

シェアをして欲しいな、と思います。

「気持ち良いね」「キレイだね」「暖かいね」「寒いね」って。

 

それから、悲しい、と直接感じられなくても、

悲しいという事実はわかる、という時に、

小さなまりあさんに、「可哀想だね」「辛いね」「悲しいね」

と共有してみてください。

 

無理をせずに少しずつ、小さなことから始めてみてもらえると

私も嬉しいです。

 

本当は暖かいまりあさんのエネルギーが

まりあさんの体いっぱいに溜まっているように思います。

そのエネルギーを幸せの方向に使ってみくださいね。

 

今を生きているまりあさんの未来が幸せ色に輝きますように。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

新しい週が素敵な週となりますように。

 

うらら

 

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*5月のカウンセリングスケジュールは、今月末に掲載予定です。

今しばらくお待ちください。