東野圭吾さんの「クスノキの番人」を読みました。
知人から何気なくもらった本
だったので、
内容を知らずに読んだのですが
とても面白かったです。
祈念
預念
受念
オカルト的、とか
ファンタジー小説だ、
という感想があるようでしたが、
キーワードになるものを
挙げてみただけでも、
私にとってはスピリチュアル的に
面白く読み応えのあるものでした。
新月と満月でのエネルギーの
働き方の違いや、
不思議な御神木のパワーなど
目には見えなくても
わかる、ある、という感覚。
私も神社へ行くと
御神木のところにしばらく居て
その大らかなエネルギーを
感じるのが好きなので、
物語の中での描かれ方が
興味深かったです。
「念」と言うものも
ネガティブなイメージが
ありますが、この物語の中では
想いや祈りという意味合いが
強そうです。
念、想い、祈り
形がなく、見えないものですが
私には、確かなエネルギーとして
感じられます。
本の内容とは違いますが
「想い」が強くなればなるほど
エネルギーの濃度が高くなって
「念」になり、
そのままの形でとどまれば
ずっとそのままですが
ある時点でその濃くなった想いを
昇華させることができれば
それが「祈り」として天に届く
のではないかなと思いました。
きっと、
「念」のままでは重いのでしょう。
「念」にまとわりついている
余分なもの、不純物が
「エゴ」であり
それらを取り除くと
純粋な「想い」そして「祈り」が現れる。
そんな軽やかなエネルギーの
想いを放つことができたなら
すぐにその「想い」は
「祈り」に形を変えて
聞き届けられるのかもしれませんね。