今日は一日雨でした。



通り沿いの木々も雨に濡れて

生き生きしています。



木々に生い茂る葉を見ていて

思いました。



幹の上にある葉っぱは

太陽の光がたくさん届いて

明るく照らされ、

他の葉と重なっていたり

下の方になればなるほど

日陰になって暗く見えます。



人間の持つ本質的なパワーや輝きも

これと似ている部分があるな、と思いました。



本来の自分とは、光そのものです。



肉体をまとってはいますが

その光は内側から輝きを放ち

オーラとして常に存在しています。



たとえば

あの人はすごいオーラだ、とか

あの人は影がうすい、という

表現をすることがありますが


オーラがすごい人も

影がうすい人も、個々の特性は

あるにしろ、魂として見たときには

それぞれが光そのものなので

いつでも輝いている状態です。



その輝きの現れ方に強弱が

あるとするならば、

その光を隠す、何らかの陰りが

あると言えます。




SNS等で画像や写真を見た時に

それは顕著に現れます。



エネルギー的に陰りが無いときは

パーンと明るい光を放ち

陰りがあるときは、何だか暗めな感じに見える。



それは、

画像の写りが良いとか悪いとか、

もちろん美醜とかでもなく。

ただの光の強さ。



エネルギーは正直だなーと思います。



そして大事なことですが、

暗いことが悪いわけでは無いのです。

けっして。



自分の中には本質としての光が

常に輝いているけれど

何らかの陰りがあって

その光が前面にでていない、

というだけのことなのですから。



その陰りは、

感情的なブロックであったり、

気づくべきテーマであったり

するのでしょう。



陰りが少なくなればなるほど

本来の自分に戻り、

ただそこにいるだけで

自分の持つパワーを十分に発揮できる、

それが一番、自然で楽な在り方

そんなふうに思いました。