ホテルミドリを後にし…寄ってみたい所があり息子に話すと快諾。

 

3・11の津波により流されてしまった六角堂、翌年には再建されたという。

何度か訪れているのですが、多分20年振りかも。

その時は六角堂のほか、岡倉天心のお墓も見学。

石も何もなくただ丸く盛り上がった土のお墓。

 

山口青邨の句に「天心の墓は土饅頭春の芝」だったかなぁ。

うろ覚えです(;^ω^)

 

 

「茨城大学五浦美術文化研究所」と言うのが正式な名称です。

 

 

入ると間もなく太平洋。

 

 

歩きにくい石段を下りると六角堂の屋根が

 

左断崖の上が「五浦観光ホテル」

 

 

辿り着きました。

 

中は?あら、畳じゃない!以前は畳だったような。。。

わたしの記憶違い??

 

 

 

一応見学してまた石段を上ってきました。

ここは岡倉天心の住まいだった所。広さは半分以下になっているそうです。

この辺りまで津波が来たようです。

 

 

岡倉天心の「亜細亜は一つなり」の石碑

 

庭に池

 

 

40年くらい前、五浦観光ホテルの別館に来たことがあるのです。

別館なので建物は古く、階段はぎしぎしと(笑)

 

それは義母の「喜寿」のお祝いに主人のきょうだい、その子どもたちが集まり

にぎやかにお祝いしたことを思い出しました。

息子も憶えていたと。

庭には画家「菱田春草」が住んでいたという離れがあり、部屋を見てきたり・・・。

40年も前のことですから、もうあの別館はないと思います。

そしてここはご存知ないかもしれませんが、元日活女優、筑波久子さんのご実家です。

今もアメリカでお元気のようです。

息子が高速にのる前にランチをという事で、日立まで一般道を走りました。

途中、魚屋さんに寄り金目鯛の開きを買ったり、サイゼリアでランチをしたりと。

日立から高速道へ

 

 

笠間PAで休憩とお土産

 

笠間PAって上り下りの中間に1か所なので、お土産を買って出ると

「あら、駐車場はどっち?」とならないように、このような矢印が。

わたしのように一瞬方向音痴の人には親切。

息子に言わせると「どっち?となるのは、お母さんぐらいだよ」と。

「はい、そうです」(笑)

 

 

家には17時前に到着。

夕食は「かつやのお弁当」を息子に買ってきてもらい

留守番していた主人と3人でいただきました。

 

おわり

 

 

 

高速を下りてまず訪れたのは、主人の先祖、祖父母、両親、そして義兄夫妻の眠っているお墓。

すでに花と線香があげられており、綺麗に整っていました。

 

同じ敷地内にわたしの伯母(父の姉)と伯父のお墓があり、そこも行くたびにお参りしています。

今年はその長男(従兄)が94歳で亡くなりお墓には一人加わりました。

わたしが子どもの頃、私たち姉弟を可愛がってくれた従兄でした。

 

 

そして主人の実家へ。

義姉が昨年亡くなり、昨年新盆でした。

 

ここは義兄夫妻が住んでいた隠居です。

今は誰も住んでいないのですが、息子(甥)家族が綺麗にしています。

床の間の脇の「書院障子」、懐かしいので写真に。

わたしの生家にもこんな立派ではないけれど、ありましたので撮ってみました。

 

 

 

 

次は実家のお墓。

わたしの祖父母、両親、53歳で亡くなった弟。

このお墓も弟たちが綺麗に守っていてくれます。

弟たちに感謝。ありがとう。

 

お墓参りを終えて弟(三男)の家へ。

ここで昼食のお寿司をご馳走になり、次は次男である弟の家へ。

次男である弟にはコロナ禍依頼、親せきや上記の従兄や主人の義姉のお葬式になどに

いつも出てもらっています。

故郷へ来ると、なかなか忙しい(笑)

 

 

これでやっと目的は果たせたのですが

わたし、主人の姉に会いたいと思っていたのです。

息子に話すと「もういつ会えるかわからないから、行ったほうがいいよ」と。

一時間近くかかるのですが行ってきました。

義姉はとても喜んでくれて…わたしは6年振り、息子は何十年振りでしょうか。

92歳一人暮らし、ヘルパーさんが来てお掃除などしてもらっているようです。

今も迎えに来てくれるので、体操教室にも行っていて元気でした(*^-^*)

 

 

義姉の家に行く途中、カーナビにわたしの母校が載っていて、それを見た息子

「お母さんの高校が近くにあるけど、帰りに寄ってみる?」

「うん、ぜひ寄ってみたい」

という事で、帰りに寄ってみました。

 

当たり前ですが、何もかも変わっていました。

門柱さえも変わっていました。

正門の右側にある建物は見覚えがあり、県の重要文化財になっている?

 

   幾世経し石の門柱身に沁みて   うらら

 

 

右側の桜並木の道路の辺りに石垣があったのと桜の右側は沼でしたが水が涸れています。

道路が広くなったように思う…

あの石垣は、平城のものだったのでしょうかねぇ?

通っていたころは若い桜でしたが、あの当時のものかどうか…

 

桜木は大分おばあちゃんになってしまって。

 

 

さて、また生家近くに戻ってきました。

この日はここに泊まります。

 

 

昔は「みどり」と言う老舗の高級旅館でした。

時代の流れですね。一般的なホテルになっていました。

近くには昔勤めていた銀行がありますよ。

 

 

息子とは別々の部屋です。

 

 

 

さあ、ゆっくり休みましょう。

 

つづく

 

 

 

 

 

8月も終わりに近づき…早くUPしないと9月になってしまう!と焦っています

この頃気合を入れないとブログに取り掛かれなくて...(;^ω^)

書きたいことはたくさんあるのですが…

 

そんなことでやっと!重い腰をあげました

 

 

14日の朝、自宅を出発。今年も息子とです

佐野藤岡インターから東北道に乗ります

 

 

雨が降ったり止んだりしていましたが、いつしか上がって・・・

 

 

笠間PAにて休憩。

地元で買ったお土産は用意してきたのですが、ここでもお土産を買ったりして。

 

実家へ行くまでの高速は東北道、北関東道、常磐道とjctが2つありさらに

東京?いわき?の分かれ道もあり神経を使います。

 

 

常磐道に入ると10数個のトンネルがあります。

蒼さんに倣って撮ってみましたよ(*^-^*)

 

 

ただ、載せるのは少しだけ。

ここはトンネルを出ると又トンネルとなり、トンネルが幾つも続いているのです。

ね!

 

 

 

 

高速を下りるまでの最後の鞍掛トンネル

 

 

下りる前、中郷SAで休憩

 

隣接して「野口雨情公園」

 

 

野口雨情の歌碑「青い眼の人形」

歌碑は8碑ほどあるのですが今回はこれだけ

またの機会に撮りたいです

 

さあ、間もなくおりますよ~

 

つづく

 

 

台風10号居座っていますね~( ;∀;)

皆さまの所は被害はありませんか。

しばらく大雨が続くそうですが、被害が少ないように祈るばかりです。

今年も田んぼアートを見に行ってきました。

 

蓮は終わりに近づいているので駐車場はガラガラ。

ちなみに、駐車料(500円)の領収書を見せると、蓮会館の入館(400円)が

2割引きで320円になります。

 

さあ、50メートル高さの蓮会館へ行ってみましょう。

 

 

入ってすぐ、今年は能登の応援です

 

写真の習字は能登の高校生が書いたそうです

これが田んぼアートになっています

 

能登のキリコ祭り

キリコ祭りとは、切子灯籠を縮めた言葉

巨大な直方体の灯籠を掲げた山車の一種です

 

 

このようなアートが出来上がりました

 

花火も揚がっていますよ

 

 

 

右手前が会館から見下ろした古代蓮池

暑いのでことしはパス

 

 

駐車場ちかくの「世界の蓮」の池で撮りました

 

なので古代蓮ではありません

 

 

白も綺麗です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとだけわたし

 

この後は行田の蕎麦処で、天ぷらうどんのランチをして

帰途に着きました

楽しい半日でした(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 

7月23日の新聞の欄にこのような短歌が。

 

 

  あの日から嫌いになったおもてなし公園に白き梅咲きはじむ   由布子

 

長谷川櫂さんがこの歌を鑑賞しています。

まさに同感です。

どうしても『あのヒトと、あのおもてなし』を好きになれないのです。

 

新聞のこの欄は大好きで必ず目を通しています。

毎日、俳句、短歌 詩などを載せて鑑賞しています。

「もう20年ぐらいになったかなぁ」と思ったら

7,174回ですって。

一日も休まず書き続けている長谷川櫂さんが凄い!

 

 

          スイカ   スイカ   スイカ   スイカ   スイカ

 

 

 

息子がスイカ大好きで(笑)

 

 

6月から、来るたびに買っています。

丸ごと大きいのは冷蔵庫に入らないので、このような物を。

小玉スイカも1個買ったので3回目です。

 

主人とわたしは一切れあればいいので、ほとんど息子が(笑)

昨日帰ったのですが、降りる最寄り駅のスーパーでやはり、スイカを買って

帰ったそうです(笑)