どうも〜お久しぶりです〜😆
いや〜……12月ですね!!
最後にブログ更新したのいつだっけ…まあいいや!
最近メインは完全にツイッターだったので、こっちはもう気が乗ったらでいいや〜と思っていたら師走。師走でごわす(ナチュラルに飛び出すオヤジギャグ)
というかね、そもそもなんでこんな今年ブログ書いてないかっていうと、書こうかなと思うタイミングは何度もあったんですよね。
でも書けない。なぜか。
展開がアホみたいに早い。
もう早すぎる。
1年でやる内容じゃないですこれ(半泣き)
ほんと書けねえの。書こうと思い始めたときには、もう遅いの!次の何かが起きてるの!😂
しかしオイラ(オイラ……?)は波に飲まれて沈みたくなかったので、そりゃもうがんばってがんばって向き合ってきましてん…。
……ちょっと日本語がガタガタですけど、気にしないでくださいね。心のままに書いてるのでw😉
で、ですね、まる一年を過ごしてわかったんですけど、わたし、2019年と2020年でまったくちがう流れを体験することになったんですね!
このブログずっと読んでくれてる方は知ってると思うけど、2019年はそりゃあもうレッツパーリィナイ!!🤪💕(?)くらいすごい楽しい年だったんですね。
イナズマイレブンのアニメに再熱したことをきっかけに強烈な推しができ、ずっとやってみたかった絵を描くことをがんがんやって、ツイッターでつながった人たちと楽しく交流し、はてはいっしょにライブ行ったり推しの誕生日パーティーを開いたりともう〜〜〜充実の日々!!!
仕事の有給も恐れ知らずか?!のレベルで入れたいとこに入れまくり、
あ〜!!!わたし超すごい!!!
やりたいことやれてる!!!!!
何より、あんなにできないと思ってた絵も描けるようになった!
憧れのツイッター投稿!!
絵師さんとの交流ー!!!
来年には本も出しちゃうぞー!!!😆✨
と「自分最高!!!」みたいなテンションで過ぎていった、それが2019年だったのだ。
正確にいうと、2019年の流れは2020年の4月の中ごろくらいまで続いてて、フェーズ的には2020年4月ごろまでが2019年と同じ流れの中にあったと思ってほしい。
2020年の3月に出せた同人誌が、4月のはじめで完売したり、誕生日にゲームに推しのイベントが来たりとやばかったからね💕
このように、2019年は、
・長年やってみたかったことがどんどんできる。
・こんなことが起きたら素敵だなあ!と思うことや、予想外な喜びが次々と起こる。
・自分の望みをどんどん叶えていく。
というフェーズの年だったと言える。
もちろん、そこには恐れとかとの向き合いもあったのだけれど、乗り越えるたびに大きな喜びが起き、次のワクワクが現れるのでさほど苦しいとか思わなかったように思う。
自分が拡大していくのが、手に取るようにわかったので、ひたすら楽しかった。
だが、ご存知のとおり、この記事の前の前(9月8日の記事)は相当テンション低めなのである(今見たらお通夜みたいなテンションだった🤣)
この「仲良くしてた人からのフォロー外され事件」はもう、わたしの中ではすごい久しぶりに「こんな苦しいことある?!!?!😭😭😭」っていつレベルのやつで、本当に本当に辛かったんだけど、
この事件があったおかげで、さらにもう一段深く自分ってものと向き合うことができたんだよね!
実はさ、だいぶ前に書いてたことだけどわたし、一時期Happyちゃんへの嫉妬がひどくて、もう2018年終わるころくらいからブログやインスタもあまり見なくなってたのね。
自分の中でも、もう知識はたくさん吸収できてて、あとは実践あるのみ、という状態だったんだと思う。
2019年は「やりたいことをやる」という実践の場であって、ほんとにHappyちゃんのブログもインスタも全く見ない状態で進んでいたし、進めていたの。
ところが「フォロー外され事件」をきっかけに、わたしはそれはそれは落ち込んでしまって、ちょうどその頃なんとなくだけど感じ始めていた、
「自分の力ではもうどうにもならない感」をものすごく強く感じるようになったのね。
そうしたらちょうどその頃にいつも電話してるりりーちゃんが、HappyちゃんがやってるHTLの動画を紹介してくれたのね。
Happyちゃん関連はほんとに見る気がなかったわたしだったんだけど、
そのときのわたしはなぜだか、YouTubeにあがってるHTL動画を見に行ったんだよね。
もう、ほんとに自分の今の状態ではお手上げっていうか、手持ちのポケモン全部ひんし状態で目の前真っ暗っていうか……(笑)
そ、ほんと無力ってか、ゼロな感じだったの。
でもこのゼロの状態ってのはすごい貴重なのね。
久しぶりにHappyちゃんというコンテンツに触れたわたしは思った。
「いや〜…Happyちゃんやっぱいいこと言うなあ〜…」
あい。
超しみじみ感じてしまいました(笑)
けどね、不思議なことに、あれほど荒れ狂ってた、Happyちゃんに対する嫉妬がなんかぜんぜん出てこなかったの!
きっともう、自分は自分、HappyちゃんはHappyちゃん、って思てたんだろうな。
わたしは砂木沼さんが好きだけど!🤪💕
Happyちゃんは宇宙とか研究すんのが好きなオタクですね!って。
だから、HTL動画の内容がね、するする入ってきたの。
それを自分の状況に当てはめて、自分と向き合っていくうち、不思議と辛さが緩和していってね、今このブログを書いてるわたしは、また己の力強さを取り戻しているんだ!!💪✨
あのね、やりたいことをやる、好きなことをやる、それはすごく素敵で、みんなどんどんやっていっていいことなの。
なんだけど、2019年のわたしはね、自分の持つ力を、「自分が好きな楽しいこと」という非日常でしか、使えていなかったのね。
人生でとくに悩みやすいポイントだった、「人間関係」や「完璧主義」や「強い劣等感」、こういったものを、心のどこか奥底で抱えたままだった。
そういったものって、非日常じゃない、日常のワンシーンでいっぱい顔出してくるんだよ。
でもこういった、ずっと抱えていたものと、向き合う時期が来た。
そのためには、地盤が必要だった。
向き合うためには、自分を信じられるだけの余裕っていうのかな、そういうものがないと難しかったんだと思う。
だから2020年というのはね、2019年とは反対の年になった。つまりは、
・自分が望まない状況が起きたとき、どうしたいか。
・嫌な気分とどう向き合うか。
・長いこと信じてきた、自分に向けているネガティブな価値観と向き合えるかどうか。
っていう感じ。
そして、
「本当はどうしたいの?本当はわたしはどう在りたいの?何がいいの?どうするのがいいの?」
という真の望みを知るためのきっかけをたくさん味わう年が今年、2020年だったんじゃないかと思う。
これは、世界全体の流れともリンクしててとてもいい。
2019年はそれまでの知識を活かして、外は外へ!未知なる世界へ飛び出していく年。
2020年は、2019年の流れを経てからの内へ内へ…という、自分の内側との向き合いが色濃い年。外へエネルギーを振りすぎてたわたしには必要だったんだろうな。
でな、この明確な気づきができてるのも、何を隠そうHappyちゃんがHTL動画で勧めてた「SNS断食」をやったおかげなんよね。
2ヶ月くらいを、おすすめしてたけど、1週間でもいいから!とも言ってたから、わたしは1週間だけ。
しかもゆるゆるのルールで、「アメブロ・ツイッター・インスタの3つを7日間見ない」っていう…。
けど、これが効果絶大だった。
もうめちゃくちゃクリアになったし、職場に対して抱えてたもやもや部分とも向き合いが入ったし、それもなんかもう解決策見えてきた気がしてる。
で、7日間SNS断食の7日目に、とんでもない気づきでわたし号泣してたの。
これに関しては、7日目の朝のメモを取ってたからほぼそのまま載せるね。
22日 日曜日
朝瞑想で泣く。たった12分の動画で、すごいことに気づく。このタイミングだったんだ。
1年かけて回した、大きな歯車。今日のために、あの日始まった。
「おめでとう、よくこの境地にたどりついたね」
1年前の11月22日、わたしは思いたって映画を見に行った。アナ雪2、公開日の次の日に行くなんて珍しかった。
瞑想中に見えた、氷のつららが突き出す凍りついた部屋、そしてエルサ。
そうだ、エルサもはじめは自分の力をコントロールできず、自分にはできない、わたしにはどうしようもない、という感じだった。
それがなんでか自分とリンクした。この感じ似てるなと。
どうしてわたしがあの日、1年前のあの日、映画へ行ったのか。
それはそもそも、次の日のイベントに行くためだった。そう、○○さんに会うため。迷走の始まりのタイミング。自分を無視して、人にばかりエネルギーを使うとどうなるか。まるでその実験をするみたいな、1年かけて。
わかるかい、そんなん。
この境地とは、
すべては、この世界はノールールであり、何を思っても何を感じても、そして何を考えたとしてもいいんだ、ということ。それを腑に落とすということ。
迷走で始まった1年を、瞑想でしめくくり、そして明日から始まる11月23日は、くしくも勤労感謝の日なんだ。1年よくがんばったね、って、労われる日。こんな完璧なタイミング、あるんだろうか。
1年前のあの日だったのか、今この瞬間のために、自分は大きな歯車(タイマーかもしれない)をセットして、回したんだと思う。
瞑想の音楽が切り替わったあたり、ハッピーちゃんのセリフあたりから泣けて泣けて仕方なくて、泣いてる理由を探したけどわからないから、わからなくてもいいやと思ったら気持ちよく泣けた。
「これはハッピーちゃんの言っている台詞なのだろうか?」と不思議な感覚を感じた。ハッピーちゃんの声ではあるんだけど、境界線があいまいになった感じで、つまりはソースと深く繋がったんだと思う。「いや、これはたぶんわたしの声だ」と思った。自分がハッピーちゃんという器、スピーカーを通して、自分にかけている言葉だと。
瞑想2回目聞いて、落ち着いて、これを書いている。
これをどう生かすか?それはまだあまりわからないけれど、今はそれはどうだっていいんだ。
1年前のわたしと今日のわたしがリンクして繋がって、手を取り合った気がする。
この瞬間のための1年、そのためのあの苦しみもあったんだろうか、とにかく、1年かけて気づく気づきなんて、わかるか!!と思った(笑)仕掛けが壮大すぎるよね(笑)
(中略※良い夢を見て起きたから、起きた時からその日は気分が良かったと書いている)
今見たら11月23日がアナ雪見に行った日だ!1日ずれとる🤣
いや、いっか!
ごめん、まって、数えてみたんだけど、今年うるう年だから1日多くて、やっぱちょうど1年では……?🤣
おいおい、どんなだよ……(笑)
はい非常に長いメモでしたね(笑)
いやでもすごくないすか。
○○さんっていうのが、「フォロー外され事件」のその人なんですよね。
わたしはその人に、ハンドメイドでぬいを作る約束をしていて、なんとか作り上げてプレゼントしたのですが、その後フォローを外されてしまったショックで落ち込み……という流れがあったわけなんです。
(この辺の気持ちは前記事読んでちょ)
あのあたりの時期からわたしの、「人目を気にして外へエネルギーを振りすぎる」という部分がネガティヴな現実となって現れ続けてたんですよね。
そのために2020年は苦しかった。
でも、その苦しみは、封じ込めてしまっていた自分、ないがしろにしてた自分、ぞんざいに扱っていた自分自身との向き合いに必要でした。
キラキラしてる現実だけが、大切なんじゃありません。足元の部分、心の奥底のあまり見えない、見たくないと思っていた部分も大切です。本音の自分はそこにもいるから。
メモにある歯車。
メモを書いたときは、その壮大な歯車はひとつだと思ってました。
でも、ほんとうは、歯車は2つ。
何度も書いているように、2019年と2020年はわたしにとってまったく毛色の違う年でした。
そう、2020年だけでなく、2019年も歯車だったんです。
あなたは2つの歯車を回した。
1つ目は望むことを叶えていく歯車。
1年をかけて、やりたいことをやっていく歯車。
わたしには力がある!と信じるための歯車。
2つ目は、望まない現実と向き合うための歯車。
望まない現実を見ることで、本当は自分はどうしたいのか、どうがいいのか、何がいいのか、何を味わいたいのか、心の本音に気づくための歯車。
1つ目の歯車を回すと、2つ目の歯車が動き出す。
そうして2つの歯車が噛み合い回るとき、
3つ目の大いなる歯車が回り出す。
人生は、伏線だらけの物語。
気づくか気づかないかで、楽しみ方の深さも変わる。
「3つ目の大いなる歯車が回り出す」は今朝ふと降りてきた言葉。
わたしは「言葉」から受けるメッセージが強いところがあるから、たぶん、これも来年からの流れへのメッセージだ。
2019年と2020年、2つの質の違う歯車。
だけど、その2つが噛み合って初めて回せる大いなる歯車があるのだ。
たぶん、このまだ見えない、未来の先に。
ちなみにね、わたし今年、ほんっとにどこにも出かけてないの。
住んでるとこと、職場のあるとなりの町、そこ以外のどこにも今年出かけることはなかった。
そんなどこにも行けない年だったけど、いや、そんな年だったからかな、
答えは自分の中にあるってことの証明になったんじゃない?
あっ……今自分……
すごいかっこいいこと言った……(激褒め)
今年はこれで最後の投稿になるかな〜。