わたしを責めていた「わたし」は、
本当はわたしのことを守りたかったのだ。
できるようになれば、怒られずに済む。
できるようになれば、叱られない。
できるようになれば、ほめてもらえて、認めてもらえる。
そしたら、きっと安心できる!
もう1人の「わたし」は、
自分を責めていた「わたし」は、
本当は、わたしのことを守りたかった。
本当は、わたしのことが大好きだった。
だけど、その「わたし」が頑張ろうとすればするほど、
わたしを責めることになってしまった。
できるようになれば…!も、
できるようにならなくちゃ…!も、
「できないわたし」を助けるためだった。
責めていた「わたし」も、頑張ってた。
頑張ってるのに、責めるんじゃない!と言われて、悲しかった。
「責める声」と「責めないで!という悲鳴」が混ざり合って、
今日の仕事中は、ものすごくしんどかったよ。
過呼吸になりそうだった。
いっそ、倒れたかった。
すっかり元気を失って、
帰り道に寄ったコンビニの駐車場で、
じんさんの記事と歌で泣いて、気づいたのが、ひとつ前の記事に書いたこと。
自分に謝り、自分を許してあげたとき、
大きな許しが自分の中に起きたとき、
仕事終わりですっからかんだった心に、
パワーがあふれて、しおれた心が蘇ったのがわかった。
大地に根付く、巨木の根、いや、大地そのものみたいな、愛のパワー。
「母なる大地」という言葉良く聞くけれど、
とにかく、そういう大きなパワー。
そして、
許すは愛、
許すはパワー。
という言葉が降りてきて、
それを感じたすぐあとに、
夜空の雲の中に雷の光がはしって、
「ああ、祝砲だ」と、そう感じた。
許すことは、認めることでもある。
ありのままが許せなかったのだから、
ありのままを許すことは、
ありのままを認めることになる。
そしてこの許しは、
誰かにやってもらうものではなく、
自分が自分を許すこと。
そこから得られるパワーは半端ない。
許さずにいたせいで、
堰きとめられていた、
「本来のエネルギー、パワー」が流れ、まわりだす。
自分の中で、力強い流れになって。
その流れを、
この安心できるパワー、エネルギーのことをもしかして、
ヴォルテックスとも呼ぶんじゃないかな。
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今まで許せなかった自分を許すこと。
それは、自分への最高の愛情表現。
本来の自分とのエネルギーのシンクロが始まる。
許すは愛、許すはパワー。