つらかったバイトの思い出 | マザー・ウララのブログ♪

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つらかったバイトの思い出 ブログネタ:つらかったバイトの思い出 参加中
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こんばんは~、ジョニーさん^^

私は、「ジョニーへの伝言」を歌ってます、urara真梨子ですよ~音譜


ジョニーさんは、昔、引っ越しのアルバイトをされた事があるんですね^^

3kgやせ、腕の筋肉がついた音譜


お金をもらえて感謝され、ダイエット成功でパワーがついた。

ホント、最高ですよね^^


私も引っ越しの仕事をしました。

重たい荷物を、階段から下ろすのがきつかった、、、


私は下側を持っているんです。

階段の上側で、荷物を支えてるだけの先輩は、

「しっかりしろ!!」とか、掛け声だけ出している、、、、

こっちはもう、苦笑いや泣き笑いするしか出来ないですね。



Q みんなは、つらかったバイトの思い出、ありますか



33年前に東京の高島平で、遺跡発掘員をしたことがありますよ~♪

高島平には、元世界チャンピオンの輪島功一さんが住んでいるのを私は知っていて、

「どの辺なのかな~?」と、周りを見ていたのを覚えてます♪


遺跡発掘員は、私のバイト時間最短記録誕生!でした。

イヤ、違う! 「高層ビルの窓拭き」があった(笑)

その話は、置いといて~、



遺跡発掘員というお仕事とは?


作業前に、ミーティングがあって、


「急いでやろう!などとは、思わないでください!

それは、大切な遺跡を壊すことになりますから、くれぐれも慎重に作業してください。」


というお言葉がありました。



私は言われた通りにしていたら、

作業を始めから30分位して、監督さんが私に付きっきりになりました。

私は内心、「お~~♪ 早くも見込まれ正社員に出世かよ~♪」と喜んでいたら、


監督 「オマエ、しんどいんか?」


私 「えっ? 言われた通り、慎重に探してます。」


監督 「慎重と、怠けるとは、違う!

この辺りは、ガンガン掘って良いんや!」


私 「はい、すみません。」


監督 「やり過ぎやないか! ある程度掘ったら慎重に!」


私 「はい、 初めてなんで、、、」


監督 「座って探すな~! 中腰で探せ!」


私 「はい。  あの~、 どんな恰好でも、見つけたら良いんと違います?」


監督 「オマエな、ヤル気はあるのか?」


私 「ガンガン掘りたいけど、慎重にと言われてるから、、、」


監督 「オマエ、こういう仕事には向いてないんと違うか?」


こういう感じのやり取りが1時間ほどは続いたと思います。



私はスコップほり投げ、事務所へ行って、その日働いた時間のお金を貰い辞めました。



私は、高島平の駅につくまで、やけに輪島さんの事を思いましたね~。


「日本最高齢で世界チャンピオンになった男、 輪島功一。

ボクは、そんなの、キライだ~。」


その年、私はプロボクシングC級ライセンスのテストを、1R、20秒以内にKO勝ちし合格しました。



私が初めて正社員になったのは、ボクシングを辞め、

あんな監督が居たらダメだ!と思い、土木・建設専門学校へ入学し、

学校の紹介で、建設会社に就職しました。


私は就職した年の8月に暑さでダウンし、その続きで会社を辞めました。



遺跡発見現場で、監督から言われた、「こういう仕事に向いてないんと違うか?」


当たってましたね~、、、、


遺跡発掘のバイトをしたのは、暑い8月だったような気がします。