老人の一人暮らしには多すぎる食器 | うらぽ

老人の一人暮らしには多すぎる食器

2月に母が急逝した。
6月、納骨のため朝早く新幹線に乗ってきたのだが、前日来の大雨で和歌山のお墓が水浸しとなり中止、延期になった。せっかくなので父が一人で暮らす実家で1泊。

料理はほとんどしていなかった父、なんとかひとりで毎日の自分の食事を作りながら暮らしている。
僕は時々大阪への出張があり、泊めてもらったりするのだが、父は夕飯の準備をして待っていてくれる。
サラダを作り、お刺身や総菜コロッケを用意したり、時には煮魚、時には煮物。最初は分量もわからず、手際も悪かったようだが、次第に要領をつかみ、手順を整理して、慣れてきたようだ。

母が健在の頃は「出張で行くから泊めてね」と連絡を入れると、母が喜んで夕飯を用意して待っていてくれた。そして父が好きなお酒と共に待ち構えていて一緒に夕飯を頂いた。

母がいなくなった今、父が慣れない料理をして夕飯を作り待っていてくれる。
なんか申し訳ない。自分にできることは何だろう。
週に何回か携帯メールでやり取りし、時には出かけていって顔を見せる。それでいいのだろうか。

「泊めてくれておおきに。また来るね。元気でな。気をつけてや」と行って僕が出かけると、また一人暮らしに戻る父。いつだったか、昼間はいいんだけど、夜になると寂しい、と本音を漏らしていた父。

実家の狭い団地の台所の食器棚には、老人の一人暮らしには多すぎる食器。

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「地震とかで、崩れてきたら怖いから、ガラスの食器はいずれ処分する」と父は言っていた。