西脇は兵庫県播州の内陸の街で、播州織の産地、そして僕の祖母の生まれ育った街でもある。僕は小さい頃は、何度か西脇に遊びに行かせてもらっていたが、最後に行ったのはもう13年前、それから一度行きたいと思いつつも、なかなかその機会がなかった。

10月最後の週末、父が土曜に大阪で仕事があり、その翌日、西脇に行くというので、僕も一緒に行くことにした。

手筈としては、土曜日に父は車で、僕は電車でそれぞれ別々で出かけ、翌日の日曜日に合流して、西脇に向かい、帰りは一緒に帰るということになった。

 


10月28日(土)、目が醒めると4時25分、家を出る時刻である。「やってしまった」と思ったが、1秒で身支度を終え、武蔵小杉4時40分の始発の横須賀線下りに駆け込む。この電車は、戸塚で東海道線の下り始発電車に接続している。乗り換え時間は0分で、乗り換え検索アプリではこのルートは表示されないことが多いが、紙の時刻表を観れば分かる(鉄オタの勝利)。

無事戸塚で東海道線に乗り換え、東海道を一路、西を目指す。少しずつ空が白み始めた。朝を食べられなかったので非常に空腹で、ポケットにたまたまあったマーブルチョコなどをつまむ。

 

熱海では2分の接続で沼津行きに乗り換え、沼津では時間があったので、ファミマのハムチーズクロワッサン(旨い!)とコーヒーを買い、浜松行きに乗る。眠いので少し寝たいが、電車に乗るとどこを走ってるのか、気になるのは僕の性分で、外が見たくなる。もうだいぶ空気も澄んでくる季節で、富士山がよく見えている。

ところで、東海道線の車窓に富士山が見えるのは山側、つまり進行方向右側のみだと思いがちだが、実は、何箇所か左側の窓からも富士山が見えることがある。本当です。地図を見るに、富士川駅の先は間違いないだろう。ヒョイと左を覗くと…果たして予想通り、朝日が逆光となって富士山のシルエットが浮かんだ。この時の何とも言えない良い心持ち!

静岡を過ぎ、牧之原台地の茶畑を眺める。静岡はお茶の生産地だとか、茶は排水良好な丘陵、傾斜地に出来るとか、習うことも大事だが、自分の目で見て確かめるのも大事なことである。

浜松に着くと、この列車がそのまま豊橋行きになるというので、そのまま座っている。沼津を出て2時間以上、さすがに尻が痛くなってきた。

9時45分、豊橋に着く。関西を目指すなら引き続き東海道線、もしくは名鉄に乗るのが一般的だが、僕は豊橋鉄道の駅に行った。今日は大阪まで、名古屋も京都も通らない、ユニークなルートで目指すつもりである。具体的には、

武蔵小杉→豊 橋 (JR東海道本線)
豊 橋 →三河田原(豊橋鉄道)

田原駅前→伊良湖岬(豊鉄バス)

伊良湖 →鳥 羽 (伊勢湾フェリー)

鳥 羽 →大阪難波(近畿日本鉄道)

豊橋鉄道は、お金がないとされる地方私鉄の割には、駅舎が綺麗で、思いの外乗客も多い。乗り心地も良く、それなりに近代化されている。とはいえ、車両は元々東急線の中古車で、昭和42年東急車輛製造とあるからオンボロである。

豊橋市内の住宅地を抜け、だんだんと畑が目立つようになり、35分ほどで終点の三河田原に着く。

豊橋鉄道は渥美半島の途中までしか線路が延びていない。田原駅前の看板に本当は伊良子岬まで延伸する計画はあったが、戦争で中止になったと書いてあった。ほらみろ、戦争は何もいいことない。ここからは路線バスである。

少し時間があるので、田原駅前をうろつく。電車の旅行は待ち時間があるけれど、その分色々発見もある。田原は古くから栄えた町らしい。

三河田原11時ちょうど発のバスに乗る。乗客は10名ぐらいで、ほとんどが旅行客のようだ。せっかくなので一番前に座ってみる。ところがこのバス、オートマ車ではないか。クラッチ操作を観察しようと思ったのに…

 

途中の乗降はほとんどなく、淡々とバスは走る。渥美半島は稲作をほぼやっておらず、ひたすらキャベツ畑であった。あとは花卉栽培も。

1時間ほどで、渥美半島の先端、伊良湖岬に着く。どうやら「いらご」と濁るのが正しい読み方のようだ。伊良湖はそれなりに観光地らしく、ホテルや民宿も多い。

次のフェリーまで時間があるので、岬の灯台を観にいった。カップルが多いので何故かと思ったが、ここは恋人の聖地とか書いている。この、とりあえず恋人の聖地だとか、パワースポットとか書いて客を呼び込むの、本当に芸がないだけだからやめた方がいい。

向こうには三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になった神島が見えた。そして伊勢湾らしく、タンカーから漁船まで、大小いろいろな船が行き交っていた。

 
(フェリー乗り場にいた子猫4匹。ずっと眺めていられる)

(伊勢湾フェリー。)

港に戻り、フェリーに乗り込む。疲れたので早く船内で休みたいが、船に乗ったからには、出港の様子も見届ける義務がある(は?)。階段を昇って、甲板に出てみるも、そんな物好きなことをしているのは気持ちの悪いオタク一人だけであった。あ、僕もです。

13時ちょうど、伊勢湾フェリーは動き出した。船の動き出すのはなかなか迫力があって良いではないか。鉄道の発車も良いけど、船はそれ以上に重量感があって、頼り気がある。ちなみに一番良くないのは飛行機の離陸である。南無阿弥陀仏…

 

渥美半島を離れ、西に進む。神島が近づいてきた。神島は絶海の孤島だとか思っていたけれど、こうしてみると伊良湖からそんなに遠くないとの感。まあまあ波が高く、片方がグワーンと持ち上げられたかと思うと、ザブーンと沈む。

(神島は鳥羽よりも伊良湖のほうがずっと近いのに、なんで三重県なんだ?)

 

神島を見届けて、船内に戻る。土曜なのにガラガラで40人ぐらいしか乗ってない。間違いなく大赤字だと思う。売店で焼きそばを買って食べたが、売店も売り子のお姉さん二名の時給すら賄えてないぐらい儲かってなさそうなので、せめてと思い、ステッカーも買った。お姉さんに聞いたら、今日は揺れる方だという。

 

伊勢志摩国立公園の景色を眺め、鳥羽に着き、1時間ぶりに揺れない地面を踏みしめられるようになった。船ではるばる遠くに来たといえばそうだが、本州から本州にわたっただけだという意見もある。

 

ここから先は全く計画が決まってないので、少し鳥羽を見物しようと思う。水族館、観光船などは男一人ではきつい。駅に行き、観光パンフを開くと、江戸川乱歩記念館というものがあった。これなら僕も楽しめそう。

江戸川乱歩が三重の人だというのは知っていたが、なんでも鳥羽に住んでいたこともあるらしい。小さな博物館だが、それなりに満足した。受付のおばさんがやたら親切で「怪人二十面相に変装しませんか?」とか言ってきて困った。

 

鳥羽からは一路、大阪まで近鉄特急で行く。15時31分、難波行きの伊勢志摩ライナーに乗る。乗車券(学割)と特急券で3610円しかしない。安すぎ!JRだったら絶対もっとする。

 

山を抜け、宇治山田、伊勢市と止まり、伊勢市の次はなんと大阪の鶴橋まで135.5㎞も止まらない。(専門用語で言うなら、いわゆる「阪伊甲特急」である)

伊勢市を出ると列車はめちゃくちゃに飛ばす。全国にスピード狂の鉄道会社はいくつかあるが、近鉄もその一つである。

少し眠ると、ちょうど布引山地を貫く、新青山トンネルの手前だった。危ない危ない、せっかく乗ったのに寝るなんて勿体無い。僕は一番前に行った。伊勢志摩ライナーは運転席との仕切りがが全面ガラス戸になっていて、前が非常に良く見える。あまり知られていないが、この世で一番面白いことは電車の一番前でかぶり付くことである。こんな面白いことはそうない。

(いるのは推定7歳の鉄道少年と、21歳のキモ鉄オタ青年(僕のこと)である。しかも21歳の方が真剣に前を眺めていているではないか。救いようがない。)

 

33‰の上りと下りが連続する奈良県の山中を、列車は130km/h近い速度でかっ飛ばしていく。ジェットコースターに乗っているようだ。

気づいたら40分近くも経っていて、座席に戻ると程なく奈良の市街地に入り、西陽を眺めるうちに終点の難波に着いた。

 

ところで今日はまだ宿をとってないので、とりあえずホテルを探す。ホームページではどこも満席であるが、まあ電話すれば一人ぐらい空いているだろう…と思って電話するもどこも満席である。焦ってきた、カプセルホテル、ビジネスホテル、ネットカフェ、なんでもいいので色々電話し、道頓堀をうろうろして悩む。今日は土曜だからか?

 

(なんとなくグリコの看板は北側にあるという謎の先入観のせいで、いくら見渡しても看板が見つからなかった。もしや…と思って振り替えったら、ありました。しかし、なぜか電気が消えている)

11軒ぐらい電話して、やっと心斎橋の辺りのホテルが取れた。

そのあと色々夜の大阪を見物したりしたが、まああまり面白くないので割愛させていただく。