生きることは食べること。
食べるよろこびは生きるよろこび。

 

↑は、猫舌堂さんサイトの「猫舌堂について」のページに載っていた言葉。

 

その通りやな~~と、しみじみ感じたよ。(*´ω`*)

 

北里に行かなかったら、あの、”いつもの入院先”のドクターに従って、

「毎日食べてる食事を全部液体にしなさい」としていたら、

ミキサー食でも美味しく作れる・食べれると知ったにしても、やっぱり

 

なにか、大切なものを失った気になったとおもう。

生活の中の大事なシーンが色彩を失っていくような。

 

で、現実に戻って、退院後の食生活。

ずっと試行錯誤してたり考えたり悩んだりしていて、この話題に突っ込めなかった。

退院して、しばらくは・・

 

入院中は一日3食のパターンだったから、入院前の小分け5食からフツーの3食に

少しずつシフトしていたんだけど、カラダのほうがうまく順応しなかったりで…

 

病院食は一度も完食したことがなく、食べれて7割、食べれなくて5割、

最終的に、そのくらいの「食べれた」分量を目安に食べることに落ち着いた…

 

うらんの場合、退院前に先生から、うらんさんの腸閉塞は放射線性腸炎による腸狭窄が

が原因だから、癒着性腸閉塞の患者さんとは術後経過が異なるんですよ、と説明を受けて

いた、

それって具体的にど~ゆうことかなぁ、、癒着性腸閉塞の患者さんの術後というと、、

人によるけれど、小腸の浮腫みによる閉塞や再癒着の可能性が考えられるが、うらんの

場合にはそれがない…?

実際、手術では特に強く放射線治療の影響を受けた小腸の一部を切除しただけで

つまり、切除吻合(切って縫って繋げた)をしたのであって、癒着を剥離したのではない

から…

 

いや、でも傷を作ったという処置は共通では?

うらんの傷口だって癒着は起こると言われたゾ。

よ、よくわからないもやもや、、、「混同しないでください」と言われても、ナニを混同して

るのかがわかってないんですけど・・・アセアセ

 

肝心な点を理解しないまま、「なんだかダイジョウブらしい」という楽観的拡大解釈の

上に(4日の外来に辿り着けたら聞いてくる)

 

作った食事に、これまでは一汁一菜みたいに品数少なかったから、

「もう一品増やそうか」ってキモチになって、小鉢モノを追加して食べたら

 

それがいけなかった・・ドクロお腹が苦しい、、

このくらいは食べられる、と予想した分量が、結局は食べ過ぎになったりして。

 

それからは、食べる量がなかなか決まらなかった。。

やっぱり小分け5食のほうがいいのだろうか?とか

 

お腹いっぱい状態が「満腹でしあわせ~」とは感じることができない、

癒着性イレウスと言われて信じて疑わなかった、長い時間のなかでの

お腹いっぱい食べてはイケナイ、お腹いっぱいになったら腸で詰まるぞ~~

みたいな洗脳?自己暗示?のせいで、

 

ちょっとばかり「食べ過ぎる」ことにも恐怖感と罪悪感が沁みついてる。

 

待てよ、手術で狭窄してた箇所を含む小腸を取り除いたのだから、

もう「細くなった箇所で詰まる」はないのでは?

 

・・・そうだよなぁーーー

(すでに自問自答モード)

 

もう、詰まらないのかなぁ、、ダイジョウブなのかなあ、、、

 

大丈夫と信じて、美味しく食事を摂らねば、手術がんばってくれた先生に

申しわけないではないか (゜-゜)

 

取り戻せ>食べるよろこび。(スローガン(/・ω・)/)

 

それはそおなんだけどぉ・・

ああ、なんだかあんだ、悩みと不安は入院前と変わらないじゃんガーン

 

ただね、「食べる」ことでは、入院前から習慣化している、

  • よく噛んで食べること
  • 消化のよいものを食べること
  • 腹八分目にしておくこと

 

などは今後も「習慣化」したまんまでいいと思うのだ(トシもトシですしー)

それに

詰まりたくなくて(^^;一所懸命、食材や調理法について勉強して、得た知識は

腸閉塞ががん治療の「欲しくなかったオマケ」だとすると、それとは逆の

「付いていてよかったオマケ」

だとおもうから。