さて、心が読めることが分かった私。

それからが大変でした。

 

声が聞こえる、聞こえる。 

みんな心でこんなことを話しているのか、

本音と建前がこんなに違うんだ、とか、

これはうそなんだ、とか、

 

本音と建前が一致している人の少ないこと、少ないこと。

 

小学生のときは、友達は、やはり正直でしたね。
本音と建前が同じ子が多かったです。

 

本音と建前が(HとTにします。)違う子もなかにはいましたが、
そういう子に限って、優等生が多かったです。

そういい子が多かったのです。

 

学級委員の子が「先生、わかりました。みんなに伝えますね。」
なんて言ってる子が、「ふざけんなよ、何でもかんでも、押し付けるなよ。」

と心では言ってるのです。

 

で、そのギャップが怖くて、そういう子の前では、逆らわないようにおとなしく振舞っていました。
はい、私は賢かったのです。(笑)
顔色を読むのではなく、はっきりと心の中を読んで過ごしていたのです。

 

 

そのうち、私はその能力をコントロールすることができるようになりました。

黙っていれば、どんどん声が聞こえてくるのを、聞きたくないと思った人をこの人の心はシャットアウト!
と思うと、聞こえなくなったのです。

 

そしてこの人の心の中を知りたい、と思うときは、「ズームイン!」 とやると、ピンポイントで聞くことができる

ようになったのです。

 

これは生きていく術でしたね~~。
このおかげで、私は思いのままに過ごすことができました。

さて、中学生になると、みんなHとTがはっきり違う人が多くなってきました。
やはり、みんなええかっこしいになるんですね~~。

本能のまま動く人はいませんでした。
そういう本能のままに生きる人ははっきり言って嫌われていました。
私はその人は素晴らしいと思っていましたが、

本能のまま生きるということは実に生きにくい世の中だったのです。

つづく。

この物語はフィクションです。
しばし、私の妄想におつきあいくださいませ~。


さて、私は、小さいころからちょっと不思議な能力を持っていました。
それは人の心が読める。ということでした。
親はこの子は人の顔色を伺うようなそぶりを見せるなぁ~と思っていたようですが、

反抗もせず、親の言う通りにする子だったので、能力があるとは思わず、

それはそれはいい子だと思い、とてもかわいがっていました。

 

 

私は自分にその力があるとは、何にも感じていませんでしたが、ある時、はっきりと心の声を感じることができました。

小学生のころ、家にお客さんが手土産を持って来たときのことです。

 

母は、「まあ~~、めずらしいものを~~。ありがとうございます。」と満面の笑みで応対していました。

 

ところがです、ところがです。

 

「こんなもの、もらったって。しょうもないわ。なんでこんなもの持ってくるんだろ!」という声が聞こえてきたのです。

(え???、だ、だれがこんなこと話しているの???)

私は周りを見渡しました。 母とお客さんと私しかいません。

でも、母は満面の笑みで応対しています。 だ、だれが・・・・・。

 

き、気のせいか・・・。 私はそう思うことにしました。小学生とはいえ、結構気を使う子供でしたので、変な声が聞こえる、とも言えず、ただ、黙っていたのでした。

 

そして、お客さんが帰った後、母が「ああぁ~~、こんなものもらったって、なんの足しにもならないわ~。」

と言ったのです。

ひえぇ~~~~!!!!
あ、あの声は母の声だったのか?????。
幼いながらも、本音と建前の違いを、この時、初めて知ったのでした~~。


ここから、私は人の心の声が聞こえるようになってしまったのです。

 

つづく。

 

偶然なんですが、目玉焼きが陰陽の勾玉になってしまいました~~。(笑)

 

 

陰陽太極図というそうですね。




うそう、こういう形にはなりません。
1個目はあら、変な形になっちゃった~、って思って、2個目を入れたら、反転した形に~~。
むむむ?? これは~~。(笑)



陰と陽、どちらが良い悪いではなく、均等に存在する状態こそベストであるという考え方を体現しているのです。相反するエネルギーも均等になれば調和を生むということらしいです。

何の啓示???って思いましたが、きっとこういう心構えでいなさい、っていうことなのかなぁ~。