最近、ふざけた投稿しかしていなかったので、少しばかり、

真面目な、ちょっと難しい話を何回かに分けてしていこう

かと思います。

 

私は、浄土真宗の家に産まれ、カトリックの幼稚園に通い、

小学生のときには、毎朝5時の教会のミサに通い、夕方は、

氏神様の神社にお参りし、小学生・中学生の頃の愛読書は

「ムー」で、易経やルルラブア先生の占星術や、野末陳平

さんの姓名判断、田口真堂先生のご本なども読んでは占い、

高校生のときに、クリシュナムルティ、ラーマクリシュナ

に出会い、大学では、天理教・黒住教・大本・世界救世教・

金光教・真言宗の教えを学び、社会人になってからも、

さまざまな神道系・キリスト教系・日蓮法華経系・浄土真

宗系などの宗教団体・カルト教団に出入りし、30代で

真言宗で得度し、いま、40代後半になって、どこの教団

からも離れて、自由な立場で、会社勤めをしながら、中国

と欧米の占いの研究と、仏道修行、真理の探究を続けてい

ます。

 

こんなバックグラウンドを持った私ですので、一つの宗教

だけが真理で、あとのものは間違いであるといったカルト

的な考え方はできません。どの宗教にも、一片の真理が

あると考えています。しかし、どの教団も、自分たちの

教団だけが真理だと言います。そうした態度は、確実に

間違っていると、まず最初に断言しておきたいと思います。

 

また、いろんな宗教を広く見ていく中で、共通した概念が

存在していることにも気づきます。これが最も重要で、

その教団の中にいると、その概念を正しくつかむことが

できないのですが、一歩退いて、いくつかの教理を突き合

わせてみると見えてくる世界があります。今回は、その

あたりの話をしてみたいと思っています。

 

さまざまな宗教を学んできて分かることは、

 

・ラーマクリシュナ(インドの大聖人)の教え

・天理教の教え

・イエスの教え

・マイスターエックハルト(ドイツの神父)の教え

 

には、はっきりとした共通点があるということです。

 

全く違った場所と時代に出現した教えですが、完全に

同じ概念を共有しています。

 

私は聖書がすべて正しいとは考えていません。アイン

シュタインが言っているように、聖書は古い時代の

記録の一つでしかなく、間違ったことを述べた箇所が

たくさん含まれていると思っています。しかし、

イエスの言葉には、深い真理があるとも感じています。

 

聖書には、イエスだけが真理であるといった記述が

あります。それは間違った考え方です。もし、イエス

が自分だけが真理の道であると信じていたとすれば、

ただの外道に過ぎません。私が思うに、イエスはその

ようなことを言っておらず、聖書の著者たちが、その

ように「誤って」信じていただけだと考えています。

 

イエスが喋っていたアラム語を現在も話している民族

がいますが、彼らの中にイエスの話が伝承されている

のですが、現在、私たちが知っている聖書とはだいぶ

違った内容のようです。その伝承の中では、イエスは、

自分だけが唯一の存在のようなことは一切言っていな

いわけです。

 

ですから、どこかの児童虐待犯罪教団や、カトリック

その他キリスト教系団体が聖書を唯一絶対の真理と

考えていることは、間違っている可能性が高いと思い

ます。

 

さて、上記、共通した概念をあぶりだしていくために

最初に理解しておきたい概念が、天理教の「かしもの

かりもの」です。

 

この教えは、天理教の最上級の教えです。

 

この私たちの体は、神様が貸してくれたもの、私たち

の立場からすれば、神様から借りているものという

教えです。

 

まず、動画で概念をつかんでください。

 

 

 

 

 

 

関係ないですが、天理教の本部にひさびさ行きたくなり

ました。とっても良い場所ですよ。なつかしいですね。

(天理教への入信を薦めているわけではありません)