「『南無大師遍照金剛』だけでお助けいただいた母。

(R・T女史。日本巡礼記集成)」


「大正6年、私の母は結核性腹膜炎にかかり里の岡山県北部の

小さな村に数え年4歳の私を連れて帰って療養しておりました。


すると大正7年にスペイン風邪が流行し、突然、大阪にいた父

が亡くなったという電報が届きました。

 

しかし当時は母も動けない状態で葬儀にも駆け付けられない

有様で、医者も見放していました。


年が明け大正8年になりましたが、そのころ村では毎年春に

なると小豆島参りが盛んでした。

 

母も行く末のことを考え、

 

「今後は頼るあてもなく子供を育てていかなければならぬ。

元気になれなければ死ぬ他ない。どうせ死ぬならお大師様に

お願いしよう。もし最後まで巡れなければ途中で死んでも

よい」

 

と覚悟を決めて、小豆島参りに参加することとしました。

 

医者は「好きなように」といったようです。


母は一歩も歩けないので同行の方に両脇を支えていただき

つつ最初の土庄町の宿についたようです。宿でも何も食べ

られず、体中が痛くて眠れなかったといいます。

 

どうしようもないので廊下まで這って出て、

 

「お大師様、私はこんな病気で頼る人もなく、お金もなく

どうすることもできませんので、お大師様を頼って来ました。

治らぬ病気ならここで引き取ってください。もし、お慈悲で

治していただけるならお救いください。」

 

と一心不乱にお祈りしたそうです。

 

当時、母は般若心経も開経偈もご真言さえも知らず、ただただ

「南無大師遍照金剛」と唱え続けて何時間過ぎたか分からなか

ったそうです。

 

ふと気が付くと朝になっており人に起こされたということです。

 

すると不思議なことにあれほど痛かった体が治っており、

そのまま一人で立つことができた、といいます。


本人も同行の方々もびっくり仰天、それからは母が先頭に立ち、

小豆島を七日間かけて歩き続けて帰ったといいます。


その後は母子の生活も成り立つようになり、母は毎年小豆島を

お参りして89歳の天寿を全うしました。

 

ほんとうにありがたいことです。」