私は理屈馬鹿の変人なので、自称パクチーみたいな占い師だと自覚しています。

万人受けする性格ではないし、どっちかと言ったら嫌われる方が多いだろうことも、一時ならいいけど長時間なら他者と一緒に居ることが向かない性格だということもちゃんと自覚しています。

 

そんな自覚もある偏屈で理屈馬鹿な私が今回記録しておきたい偏屈っぷりなことは、占い師だけど占いじゃないことを伝えることもあるという話。

 

例えばこんな相談。

仕事を辞めて失業手当をもらっていたけど、再就職するに当たって再就職手当をもらった。でもパワハラがひどくてすぐに辞めてしまった。次の就職先が決まるまで生活費が不安だけど、失業保険はもう使えないし、かと言ってすぐに次が決まらないので本当にお金に困っています。どうしたらいいでしょうか?

もちろん、架空の相談だけどありそうなやつね。

 

で、多くの占い師はこう答えると思います。

就職が決まるのは○月くらいになりそう、金運が良くなるのは○月。あとは多分、こういう仕事が向いてるとかそんな感じかな。弱みに付け込んでパワーストーンを買えとか祈祷してやるから金よこせ!みたいな詐欺師も居るかもだけどそれはもう詐欺師であって占い師ではないからね。

 

で、偏屈理屈馬鹿な私の占いは全くそんなことには触れないことが多いです。

私ならこう答えます。まずはハロワにいけと。そうしてこう答えます。

 

再就職手当をもらっていたとしても前々職で有効だった失業手当がもらえる可能性があるので相談してくるといいよ。そうしたらすぐにでも失業手当が受給されるかも知れないから。だめ元でハロワに言って相談してきたらいいよ。現状そんな可能性は0だと思って仕事を探していたのだから、もらえたら焦らなくていいからラッキーでしょう?もらえなくてもふりだしに戻るだけだから。これを知った上で、他に知りたいことは何?

 

これは行政のこととか、法律のこととか知らないと答えられない話だけど、そんなことは知らない占い師が多いよね。でも私は自分がお金に困ったことがあるから知ってる。だから伝えられる。でも占い師にはそんなこと求めてない、知っていますよ!っていう人も中には居る。全体の10%もないけどね、でも90%以上ははそうなの?!知らなかった!もうだめだと思ってた!っていう人のほうが多い。だからこれは占いじゃないんだけどと言って伝えることにしているけど、どうなんだろうね。お客さま的な立場で言ったらそんなこと求めてませんが?って感じなのかな?

 

そういうことは多い。遺産相続とか借金のこととか、名誉毀損とか、そういう占いでよくある相談には法律が関わっていることや、DVなど行政機関やNPO団体などの仕組みなどを知っている必要があることも当然だけどたくさんある。

 

それは占いでは全く無いけれど、そういうことを知っていることは実用的で現実的なそうして時に緊急的に必要な知識であると私は考えているんだけど、たまに言われる『客として占い師にそんなことは求めていない!』って怒りは本当なんだろうか?

 

こういった知識を伝えたとき、今の所多くの人がありがとうとか、知らなかったとか、そういうことが知りたかったと言ってくれるけど、そうじゃない人、つまり何も言わない人もいっぱい居る。そうじゃない人たちは、占いでそういうことが聞きたいんじゃないんですが?って思っている可能性がある。だから私はいつも迷う、言ってもいいのかな?知ってたら申し訳ないなって。

 

実際『そういうことが知りたいんじゃないんです、そういうことが知りたいなら行政に行きます!(# ゚Д゚)ばかにしないで!!』って不機嫌になんならブチ切れて言われることもある。さっき言った10%に満たない人たち。正直どうしていいのかわからない。

 

靴がほしいと言っても、スニーカーか革靴ではだいぶ違うし、安全靴やレインブーツ、もしかしたらピザカッターみたいなのがついているウエスタンブーツがほしい人も居るかも知れない。

占いもそんなもんだと思っているんだけど、違うのかな?

 

当たってないんですけど!あとそういうことを求めてるんじゃないんですけど!っていう人に限って、じゃあ何が知りたいの?と聞くと何も答えない。そうじゃなくてしか言わないので文句をいいたいだけなのかな?と思うときもあるほど。実際他のところの占い師でしたってときもあるし、推しの占い師さんの偵察ってときもあったし。いろんな人が居るからね。私の足を引っ張ったところであなたの実力が上がるわけではないよってなるけどそれは言ったらおしまいなやつ。こういうことを言うから恨まれるのか(笑)なるほど。

 

他人の評価に一喜一憂してはいけないことも知っているし、自己成長に有効な意見なのか好みの問題で無視すべき意見なのか取捨選択しないといけないことも知っている。知っているけど、知っているからと言って凹まないわけじゃない。

 

でも私は顔に出ないから厚顔無恥な図太い人だと思われがち。だからって泣けばいいってもんじゃないし、ただじっと自分の感情さえも見つめて分析して処理してしまうことのほうが多いからどう表現していけばいいのかわからない。だって言葉にしたらただの愚痴だからね。愚痴は相手にエネルギー的な負担(精神的な負担)を強いるのでなるべく言わないようにしている。私の数少ない友達が消えちゃうからね(笑)

 

私はサイコパスではないけど(定義である反社会性はないからね)共感能力が著しく欠落していることも、顔認識能力が著しく低く家族でさえも認識できないときがあることも自覚しているけど、それは他人に対して興味がないのではなく、どちらかと言ったら自他ともに分析しているに過ぎないのだけど、他人からしたらそれもよくわからない話なんだろうな。


私はよく言うのは、理解と共感は別とか、理解はできるけど共感はできないとかそういうところがうざいと思われるんだろうなと分析しているけど、私に言わせたらだってそうなんだもん!ってことと、理解できると言ったら共感もしていると勘違いされたとき、大抵あとから裏切られたとか余計面倒なことになるから事前に予防しているに過ぎないんだよね。そういうところがサイコパスっぽいのかな?反社会性はないから違うのにな。


ただの可能性とか危機管理とか予防とかそういう話でしか無いのに私は理解も共感もされない。しかもそれがなぜ悪いのかわからないから対応もできない。だからより自己も他者も分析して理解しようと務める、それだけを繰り返してその結果言われることは、『そこまで言ってないのに理解されるのは怖いし気持ち悪い』じゃあどうしろっていうのだい?私だって万能ではないから、むしろポンコツだから全然理解してないっていうのに。むしろわからないことだらけなのに。わかってたら嫌われてないし。

 

わからないから結果として、その人が求める結果に対して、可能性を色々と考え、一番実用的で有効な根本的な問題解決策を提供しているに過ぎない。


それが占いの結果のときもあれば、行政や法律の知識、ときに雑学や哲学、都市伝説であるときさえあるけれど、それが心理学の悪用だろうと、(考えかたの根本的な価値観を変える必要があるときに)スピリチュアル全開の信憑性が低いものであろうと、私は私に依頼してくれた人の悩みの根本的な解決のための実用的なアドバイスをする。それが一番効率的で効果的で、最短で実現可能な方法だと考えるから。

 

共感を求めるなら私じゃない。それは人選ミスだし他の曜日の先生か、他の館の先生に頼んだほうがいいと言ってる。言ってるけど友達とかにはもうやだってブロックされることもあったけどね。人選ミスだって言ったじゃない以外に私には言うことはない。なのに私のせいと言われても納得できない。納得できないけど仕方がないからそういう人のことは忘れることにしている。どうせ顔認識能力が低いから街ですれ違うどころか声をかけられてもわからないし。


私は自分が変わることで自分の人生が多様性に満ち、多くの他者を受け入れることになり、多くの可能性に目を向けることになることで、人類皆兄弟みたいなところに行くことを知っているし、そういう占いをやめるつもりはない。これが占いかはわからないけど、それが私の矜持だから。

 

でもさ、、、求めてなんだよね、そんなこと。多分多くの人は今この瞬間自分の悩みが解決したらいいんだと思う。なんなら自分が変わる必要性も感じてないし、悪いのは自分じゃなくて周囲だから!と思っている人も居るし。

 

実際本当に自分が悪くないケースもあるけども、例えば空き巣に入る泥棒が悪いからと言って空き巣対策をしなくていいわけではないってことと同じ原理だということを多くの人は知らない。なんでだろう?空き巣に入られたくないのなら空き巣対策をするのがいいよという事よりも犯人は誰ですかにこだわる。

 

そうすればもうズレが生じるのは仕方がない話なんだよね。

そうして何度も空き巣に入られてやっと、もうこれ以上空き巣に入られないためにはどうすればいいですか?となるように、何度も失敗してどうしたらもう失敗しなくて良いですか?となって自分が変わる必要性を感じる。


その段階をすっ飛ばす私の占いは需要がないのだろうか?と今迷ったりもしているけど、迷ったところで結局本質以外の事を伝えることはできないし、そんなことをしたら占い師としての矜持もプライドも失ってしまう気がするし、なんなら罪悪感を持ちそうな気さえする。

 

なんだか漠然と変わる必要性を感じているけど、どんな方向で変わる必要があるのかがわかっていない感じ。こういうときに占いに行ってもそうじゃないってことしか言われない。なぜって私が本質を求めない人たちにばかり注目しているから。

そういう人しか出会わないのは当然。


だからこういうときはただじっと自分を見つめるしか無いんだけど、もうそれにも疲れてしまって。最近たまには誰かに頼ったりしたいなって。


そんなことを言っても結局靴のように、求めるものは人によって違うし、必要なことも違うから、お客様が求めることに柔軟に対応しつつも、私は私の伝えたいことを伝えるしか結局できない。


なんだかジレンマにハマっているような気がするな。

理解されないのなら伝え方が悪いはず。でもその伝え方がわからないし、ニーズもわからない、わからないから聞いたところで答えがないし、試行錯誤したところで八方塞がり。つまり、どん詰まりの袋小路。


なら淡々と今までどおりにやるしか無い、あ、なんかこれ数年前にもブログに書いた気がするなあ。


ちなみにね、なぜそんなに知っているんですか?って聞かれることがある。それは単純にわからないことで知りたいことがあったとき、私はすぐにその場でわかるまで調べるから。多くの人はそのことをしないらしい。そうして私は知ることを諦めない。例えば人はなぜ生まれて来るのだろう?なんてことは思春期にみんな一度は悩むけど大抵の人は答えが出なくても別に気にしないらしい。私はそのことを3歳のときから20歳超えるまで約20年近くずっと追求してきた。だって知りたかったから。そういうのはキモいのかな?


でも物理学者や数学者とか哲学者とかもそうだけど、多くの学者は自分の知りたい答えを知るために一生を費やす。一生を費やしてもわからないどころか、一生を費やして自分が確立した理論を発表したそばからたった数年もしないで覆され間違えていると証拠を突きつけられるときさえある。たった20年でわかったのならむしろ早い方だっていうのに。多くの聖者は知ることが魂の目的だと言う。だけど本質に目を向けず他者が決めてくれるのを待つ人が多いという。善悪さえ他者にゆだねて居るのが宗教だと揶揄した人は誰だっけな。


そういうヲタク気質の私が追求して見つけた科学とか論文とかそういうのを読んで見つけたスピリチュアルの集大成とも言えるチャネリング講座でさえ高いから安くしろとか値段だけ見て言われるときもある。そういうのに疲れちゃったのかも知れないなあ。


こういうときはガッツリ温泉とか旅行とか行くといいんだけどね。大宮マルイ店は占い師が少ないから休めなくて(´Д⊂グスン

占い師になりたい人とか、大宮で働いてもいいよって人とか居たら声かけてください。


ちょっと近場でぷち旅行いこうかなあ


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