先日こんなことを書きました。

ざっくり言えば、馬鹿が嫌いって怒っている私が一番馬鹿で嫌になるっていう話。

怒りについて、怒りの手放しについて、そういうテーマの話です。

気になる方はリブログしておくので読んでください

さて、こんなことを書いていると、友人から連絡が来ました。

なんと今同じようなテーマを抱えているとのこと。

結局2人であーだ、こーだと意見交換という名前の愚痴を交わし、結局頑張るしか無いよねーってなって電話を切りました

 

すると今朝、こんな記事を見つけました

 

 名古屋大学心理学のお話、科学雑誌に飛びます

 

 

実はこのやり方いろんなセラピーに使われています。

私も実際怒りや悲しみを手放すということで昔人に勧めていたのになんですっかり忘れていたんだろう?

 

確かに自分の感情を紙に書いて言語化するということは心と頭の整理にとても有効的ですし、怒りならその紙をビリビリに破って丸めて叩きつけて捨てるといいと思います。本当は燃やしたりできたら最高ですけど、今は消防法とか火災報知器の設置とかいろいろとそういうことがしにくい環境ですからね

 

大事なことは自分の感情を否定せずに吐き出すこと。

特に怒りの感情は否定する人が多いです。

なぜなら、死ねばいいのに!!くらいまで思ってしまったり、不幸になればいいのに!と思ってしまったりすることもあるからです。

 

そうしてそういった自分に対して嫌悪感を持ったり罪悪感を持ったりします。だからそうならないように、怒りを押さえつけ、閉じ込めようとする人が多いのです。

 

でも、怒りは特に、押し込めようとすればするほど反発し、バネのように無理やり縮めれば縮めるほど、より強い力で反発し飛び出そうとしてきます。

 

でも、怒ってるのはあなただけです。

そうして多くの場合、怒りを表現している人に対して好意的に思う人は少ないです。

どんなにあなたに正当性があったとしても多くの場合、厄介な迷惑者として扱われることになるでしょう。

 

つまり、怒りを表現しても基本的に損なんです。

ただし、怒りを表現することで守るときは別です。例えば人には一定数、弱いものや逆らわない人には強く出るという畜生界に生きている人が居ます。そういう人には怒りを表現することで攻撃してこなくなります。

でも逆に、戦い勝つことにしか興味がない修羅界に生きている人も居ます。そういう人に怒りを向け攻撃的になることは共に修羅界に落ちることになります。

 

畜生界でも修羅界でもなく、きちんと人間界で生きるには、慈愛があれば簡単です。慈愛、つまり慈しみと愛です。

 

では何を慈しむのか、何を愛するのか、自分であり他者であり、この世の全てです。

そういったところに行った時、怒りの感情は、ただ怒っただけというところにいけます。

だからどうしろとか無いのです。

 

多くの人がゆるす気がないのに『謝れ!』といいます。土下座して謝罪しったって許さないけどな!でも謝れ!といいます。私は理屈馬鹿なので、それに何の意味があるのかと思います。

なぜ相手に無駄なことをさせるのか、全く理解できませんし、もし私が言われたとしたら、ゆるす気がないのに一体何がしたいのか、どうしてそんな無駄なことをしなくてはいけないのか、おそらく拒否するでしょう。少なくとも疑問に思って質問したくなるでしょう。そうして多分、火に油を注ぐんだと思います。(つまり意味不明と思いながら謝罪するか黙って帰るということ)

そうして誤ったところで多くの人は、謝るくらいならやるなといいます。半ば無理矢理に謝罪させたくせにです。怒っている人は全くもって意味がわからないです。やれと言ったくせにやるなといいたり、やるなと言ったくせにやれと言ったり、理不尽なことを要求します。いわゆるエモーショナルハラスメントです

 

感情的な人と話をすることは難しいです。理論や理屈が通じないからです。

そうして、怒っている間は自分が正しいと思っているから聴く耳を持ちません。

自分が傷つけられたのだからと過剰な要求をすることも多々あります。

なので怒っている人が居たときは距離を置くのが一番です。

ですがそれが自分だったときはどうしたらいいのでしょう?

 

本当は怒りの正体をじっと見つめることです。でもこのことを書こうと思ったら長くなるので、気が向いたらノートの方に書こうと思いますが、このことに有効なのが先ほど紹介したサイトになります

自分が一体何に期待していて、どの部分に怒っているのかが見えてきます。

 

私にとって怒りはいつも悲しみとセットです。

それは怒りが叶わなかった願いや期待や自分の中の常識が相手にとってはそうでなかったからです。

 そうして相手に不当に扱われたと思うのですが、それは私が相手にとって私は不当に扱うはずがないくらいには価値があるはずだという思い上がりがあったからです。

 

私は世の中には一定数、人を人とも思っていない人間がいることを知っているのにです。そうしてそういう人たちは自分のことしか考えていないということも私は知っているのについ忘れちゃうんです


こんな感じで自分を見つめながら、自分の中の怒りを否定せずにただ受け入れて、その怒りが何に変わっていくのかをただじっと見つめていると、何かどうでもいいような気がしてきました。

そうすると、今日は私をいらいらさせる人と自然と何も感じずに話をすることができました。

早いwww


まあ、あとは癖でイライラしないように、この穏やかさが癖になるように経験を積んでいくしか無いよなあと思っています。


ーーーーーーーーーー

6種類のカードから選べるLINE占い(完全無料ですがたまに宣伝が届きます)


有料ブログ、一部完全無料


個人ホームページ、個人鑑定・イベント・動画・講演会などのご依頼もこちらから


実はこっそり始めてたBluesky


Xアカウント