
17年ほど前の話。4歳の息子が「誕生日はこのケーキがいい」と指さした。
それは、幼稚園の帰り道に毎日通る、神戸では誰もが知っている有名なケーキ屋さん
コトブキのショーケースに並んでいたケーキ。上には、戦隊キャラクターが乗っている。
誕生日当日、そのケーキを買ってレジでお金を払うと、
「レシートを貼って応募してね」と、応募券を渡された。
そこには「ベトナム旅行ご招待」の文字。
ほどなくして当選の連絡が来た。
当時から私はツイていて、当選することは私にとっては当たり前のことだった。
主婦ではあったけれど、ハガキ一枚送るだけで懸賞生活が成り立つのでは、
というほど当たってしまうのだ。
その頃の様子は過去ブログにあるので良かった見てね。
そう、近所のカフェでたしかに私は
「ベトナム行ってみたいなぁ…」って呟いてしまったのだ。
当然のごとく叶ってしまう。
私はそのまま、懸賞でベトナムへ行くことになった。
ベトナムのホーチミン市に到着すると、当選者を集めたミーティングがホテルで開かれた。
そのホテルは、今回の懸賞旅行を企画したケーキ会社が運営している日系ホテル。
部屋に入ってカーテンを開けると
眼下にはサイゴン川がゆったりと流れていて、風情のある景色だった。
ひとまずベッドに横たわると、窓の外に一匹のトンボが飛んでいるのが見えました。
こんな高層階にトンボ?と少し驚きましたが「ベトナムでは昆虫も高所まで飛ぶものなのかな」と、初日はそんなに気にしませんでした。
ところが二日目、三日目と、トンボの数が徐々に増えていることに気が付きました。
きれいに列を成したまま移動せずに私の部屋の窓の外にずっとホバリングしているのです。
そして帰国予定の4日目、
食べたものが悪かったのか私はお腹を壊して高熱を出して寝込んでしまいました。
朝から起き上がれず朦朧としながら周りを見ると、整列した数十匹のトンボが
私のすぐ横で動かずにじっと浮いているのです。
周りの人に確認しましたが、なぜか私の部屋にだけトンボ。
体調が悪い私を会社のスタッフが気遣ってくれながら、なんとか空港に到着。「あとは飛行機に乗り込んで帰国するだけ!」と思っていたら、掲示板の表示が離陸の遅れを知らせています。結局深夜0時を過ぎてしまい、国が運営する空港は静まり返って売店も閉店、ペットボトルの水すらも買えなくなりました。
照明が落とされ、日本へのフライトを待つ日本人だけが広くて暗い空港内にぽつりと取り残されました。暗く静まり返った真夜中の空港というのは気分のよいものではなく、ひたすら帰国だけを楽しみにして耐えていました。
その後何度か掲示板の表示が変わり、午前2時過ぎにやっと離陸となりました。
ホーチミン空港から関空に向かう直行便の飛行時間は5時間。
機体はすぐに飛び立ち、「さっさと眠れ」と言わんばかりに機内照明が落とされました。
実際に待ち疲れていた乗客は全員、ほどなくすぐに眠りについたようでした。
私も最初はウトウトしていたのですが、お腹が急降下してトイレに起きたところで機長からの英語アナウンスが流れました。「これから給油の為に着陸します」
耳を疑いました。「国際線の直行便が飛行途中の深夜早朝に給油で立ち寄るだと~?」
しかも周りは光ひとつないジャングル。いったいどこに着陸するというのか?」
夢であることを望みましたが、夢でもジョークでも何でもないようで本当に機体は降下を始めました。
窓の外を見ると、やはり真っ暗なジャングルばかりが続いています。
ジャングルの茂みに二つの掩体壕(えんたいごう)が見えます。
掩体壕とは第二次世界大戦中に敵の空襲から軍用機を隠し守るために建設されたコンクリートの半円状のもので、
私が生まれ育った関西(西宮の甲陽園)の住宅街の民家にもあったりするので
わりと身近なものであったのですが、
それがジャングルの中に2つあります。一体私はどこに連れてこられたのか??

乗客のほとんどが眠ったままで、そんな状況とも知らずに熟睡しています。
軍事用で秘密の飛行場でもあるのか、まさにジャングルのど真ん中に滑走路が確かにありました。
着陸するとすぐに入口から小柄で引き締まった身体の男性軍人が乗ってきました。「やばい事件にでも巻き込まれたのか?」私は一瞬そう思いました。
ところが、次から次へと乗り込んできてはシートに座ることもなく立ったまま通路に詰め込まれている軍人たちの規律正しい所作から、今の時代の人ではないことが分かりました。顔を見ると、それらは全員が日本人のようです。
給油がどうだったのかはさておき、全員が乗り込んだのを確認した超満員の飛行機は日本に向けて再び飛び立ちました。
飛行機は、朝になった関西国際空港に着陸しました。私は疲れ果てて国際線到着フロアに座り込んでいました。
すると、途中から同乗してきて一緒に帰国した日本兵たちが私の前に列を成して並び立ち、深々とお辞儀をしてから最敬礼をしてきました。するとそのまま全員が空港出口に向かい、どこともなく消えて行ってしまいました。
後に、私はホーチミンとハノイの間にあるジャングル地帯の地図や資料を調べてみたのですが、
詳しい場所は特定できず。
しかし着陸したと思われる場所は戦火のひどい場所であったようです。
もしかしたら彼らは隠された兵士として日本国民には知られずにそこで戦死し、帰国することが叶わなかった日本人の方々なのでしょう。
霊ならばどこからでも飛んで帰ってこれそうなものですし、そもそも霊には国や地域なんて無関係だと思いがちです。
しかし兵士は「国を守るために敵国を倒す」というような地理的分離概念に固執した状態で他界するため、自国の土地に帰ってからでないと成仏できないのかもしれません。しかも「人は物質である」と信じ込んで敵の肉体生命を奪うことだけに注力しているため、死んでからでも「船や飛行機でちゃんと帰国して墓に入りたい」とか物質的な欲求を当然のごとく持ってしまうものなのです。
今回は無料で全てがお膳立てされた旅行でしたから、私は「非物質ボランティアに指名された」ということなのでしょう。
そして、17年の年月が流れ、
またも「ベトナム旅行ご招待」の流れとなりました。
な・ん・と・な・く、
そういうこと?って察してはいましたが、
今回、国内線移動でダナン空港に飛行機が着陸した時に
窓の外に広がっていたのは、ジャングルの中にぽつんと並ぶ、2つの掩体壕。
一瞬で、17年前の記憶がよみがえった。
あれはダナン空港だったのだ。
そして・・・
私は4日後にここからまた日本に向けて帰国するのだ。
一人で?そんな都合のいいことが多次元世界では通用するはずがない。
②へ続く。









