5月×日
雨。
体調は良くない。
雨のではなおさら足が進まない。
それで思い出した。
風邪を引いた翌日、無理をしたわけではないが、
事務所に向かう朝のこと。
頭の中で歌声が聞こえてきた。
(なんだ。この歌は)と声がした。
もちろん私の声であり、わたしが考えた言葉である。
すると歌声が早くなった。
(おいおい。早くなったぞ)
そう云うとさらに歌のテンポが速くなる。
(どうしちまったのだ)と云う声をかき消すように
歌声が高くなる。
ここで頭の中のわたしではない歩いているわたしが
考えた。
「どうしちまったのだ。これはオレの頭の中の会話か」
そのあとテレビや映画でよくあるシーン。
主人公の頭の中で良い人間と悪い人間が交互にやりあうシーン。
まさにそれだ。
あんなものは造り事。
物事の進行上頭の中での葛藤をしめすために、
あんな会話をつくるのだ。
そう思っていたが、いざ自分がそんな現場に直面すると、
いやいやあの作者たちは現実にこんな体験をしているから
実体験として書いているのかもしれない。
と譲歩した。
頭の中のわたし。
つまり少なくとも今回の経験から
わたしという「わたしA」と、
頭の中で歌を歌った「わたしB」と
歌に対して評価していた「わたしC」がいる。
困ったことになった。
3人も「わたし」のような存在がこの世にあるなら、
まとめ切る自身がない…。
5月×日
池田晶子の本を読んでいたら、
突然こんな文章が出てきた。
《血液型とか星占いとかは馬鹿にする人でも、この「〇〇世代」という
括り方だけは疑っていないことが多く、以前から私には不思議である。
私は、この「○○世代」と云う人間の括り方を、深く軽蔑しているのである》
血液型なら人間を4種類に分ける。
星占いなら12星座に分ける。
(ふん。人間がそんな単純に分けることができるか!)
というのだろうが、いわれて見れば、
わたしもまた池田がここで批判している団塊の世代の末子であり、
「全共闘世代」と自嘲気味に自称する世代である。
だが哀しいことに、わたしはこの世代的な括りには懐疑的で、
もちろん血液型にも星座別性格にもいささか斜めから眺めてはいるのだが、
わたしとて卜者の片割れ、
頭から「そんなもん当たるか!」とは言い切れない哀しさがある。
5月×日
インスタライブでタロット占いをした。
2つの相談を鑑定したのだが、
面白いことに結果のカードは同じ「隠者」の正位置だった。
同居の親と別々に暮らしていいものかどうか、
というのが最初の内容で、
2つめは人間関係に悩む職場を辞めたほうがいいかどうか、
という相談だった。
理由・原因にあたるカードは
最初の占いでは「審判」が出た。
2つ目の占いでは「愚者」が出た。
ともに正位置だ。
安直に易きに流れずよく考えて出口を見つけなさい。
正しい道は必ず見つかるはず。
見つかったら決断しろというのが最初のほう。
2つ目はとりあえず「清水の舞台から飛び下りる」くらいの
気持ちになりなさい。
タロットのお告げはこんな意味があるのだろう。
5月×日
昨日は全国的に大雨だった。
台風1号も来ているようだ。
だからというわけではないが、あることに気がついた。
オフィスの電気メータの点検日は、
「月末の前日」と決められている。
ただし月末が土曜とか祝日ならば
「その前日とする」という補足がある。
そんな気まりのままに10年以上も続いているが、
今月は月末が金曜日である。
点検日は前日の木曜日。
つまり今日なのだが、今日は30日だ。
記憶を手繰っても点検日が30日になったことは滅多にない。
気になってカレンダーを調べたら、今年1年間で
月末が金曜日なのは5月だけだった。
凄い!
こんなことで感動してては卜者失格か…。